LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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Okinawaの記事一覧

2012年4月の沖縄弾丸滞在の記録

2014.07.05
那覇に行っている友人の写真を見ていたら、書いていないことが再び思い出された、2012年4月の那覇滞在。実はある所に書いたものを書き直してからブログにと思ったまま放置していた。2年以上も前なので細かいことは思い出せないし、読んでくださる人への観光情報にはならないだろうけど。


スクリーンショット 2014-07-05 14.06.22

那覇への飛行機は、4月3日の午後3時45分羽田発の予定でした。当初は、午前10時に三鷹のジブリ美術館(海外からの入場券購入方法、改善して欲しい)へ行き、駆け足で観て回った後に羽田に直行し、那覇へ。その夜は元会社の大先輩にあって、翌日は那覇をのんびり観て回って午後7時の便で東京へ、という予定をたてていました。

 その予定が、結果としてよい意味で大幅に変わってしまったのは、春の大嵐のおかげ。2日の夜の天気予報で、3日は日本全国で超大荒れの天気になることは確実との報道。ということで3日は6時前に起きて天気予報を確認すると既に九州への飛行機がかなり欠航になっていました。
 いけるかどうか判らないけど、ジブリはあきらめてとりあえず羽田に行こうと実家を出たのが7時すぎ。羽田空港3階にあるJALのカウンターに9時に到着し、すぐさま午後のフライトを予約してあると伝えたところ、乗るはずだった便は既に欠航が決まってしまったとのこと。でも、9時20分離陸の飛行機でよければ席があると言われて即断。飛行場内を走ったのは久しぶりでした。嵐の影響で所要時間は3時間かかりましたが、12時半には那覇空港に降り立っていました。
 一人だからこそ身軽に行動できたのだと思います。でも一つしみじみ感じたのは、自分も歳を重ねたな、と。どうなるかは判りませんでしたが、この程度の変更であればパニックになることもなく。

 那覇空港に到着して楽しみだったのが、初めて乗るユイ・レール、そして車両から眺める那覇の景色。那覇の町並みを上から眺めることは初めてだったので、とても楽しかったです。

https://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157629820365179/

 牧志駅で降車して向かったのは公設市場周辺。むつみ橋通りのあまりの閑散ぶりに、自分の記憶にある那覇はもうないのではと感じ、公設市場内に入ってその印象は的中しました。一階の魚屋の猛烈な客引きには唖然としました。魚を地元の人に売るより観光客に魚を買わせて2階の食堂で食べさせることが営業目的になっている。試しに中くらいの魚を上で食べたらいくらと訊くと、こともなげに3千円と。何も買わずにエスカレーターで2階にいくと、そこでも食堂の客引きのみなさんが声を張り上げている。
 前回、この2階で食事をしたのは1999年の夏。そんな古い記憶にすがっている自分が悪いのだろうとは思いました。何も食べずに後にしようと思ったのですが、エスカレーターの裏側にある「さくら亭」には客引きもいず、閑散としていたのでここはいいだろうと。客は、シュトゥットガルトから沖縄空手を精進しにきたドイツ人男性だけ。英語と片言のドイツ語で話して判ったのは、彼はフランクフルトから上海経由で那覇に来たとのこと。往復航空券は€670−だったそうです(今、2014年、思うと高いな)。ここ(公設市場内の食堂)は安いと聞いてきたけど思ったより高いといっていたので、チャンブルーを頼むとご飯とみそ汁がついてくるからと教えると、翌日からはそうすると言っていました。

 食後は市場界隈に戻り、見つけた乾物屋さんで松江産の「ワカメとシジミ」のパックを購入。

https://www.flickr.com/photos/89578620@N00/7077410801/in/set-72157629820365179

 美味しかった。持って帰れるのであれば10袋くらい欲しかった。その後は壷屋周辺を散策。国際通りからはずっと奥にある育陶園さんで、壷屋焼きをみて、さらに工房を見学。

https://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157629456134112/

 おもろまちに移動して、OさんとYさんと再会。二人と最後に会ったのはいつだろう。二人とも全くかわっていなかった。大嵐とともに、自衛隊がパック3を沖縄に運び込んだ4月3日は多忙だったそうだが、かわらぬ二人にあって沖縄に来ているとやっと感じることができた。
 二人と向かったのは、「あやふに」というお店。沖縄は自分の第2の故郷(第一の故郷はどこだろう?)と勝手にいいつつ、実は沖縄のディープな食材はちょっと苦手。それを避けたい願望でOさんに「魚が食べたい」、と無茶を言って連れて行ってもらったのですが、旨かったです。豆腐も、湯葉料理も、ソーメン・チャンプルーも、出されたすべての料理が美味でした。

 那覇を歩き回っていて、特にコンビニに入るたびに感じたのは、「ここも日本なんだ」という当たり前の感想。どのコンビニに入っても、対応は東京のコンビニと全く同じマニュアル通りの返答。同じ商品が並び、同じマニュアル対応。
 一方で、沖縄の基地問題には何ら変化の兆しがないという現実。さらに、復帰40年を迎える今年、再び沖縄の地に日本人によって武器が運び込まれることの意味を、ほかの土地に住む日本人は真摯に考えたことがあるのだろうかということ。

 4日は観光バスツアーに参加して、今帰仁や美ら海水族館へ。美ら海は、行けて良かった。

https://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157629820493677/

 観光バスを途中で降りてユイレールに乗り換えて到着した那覇空港で、もう一つ面白い経験。前日の嵐による欠航の影響がまだ残っているらしく、アナウンスが交錯していた。その中に、僕の戻り便でオーヴァー・ブッキングがあったらしく、最終便へ変更されて頂けるお客さまには謝礼をお支払いします、と。どうせ一人だし、これが実現すれば東京・那覇往復にかかる航空券代、実質1万円になるかもしれないとの打算ですぐに申し入れた。結局調整ができたようなので謝礼を受け取ることはなかったけど、席をアップグレイドしてもらえたので広い席でのんびりと。もとからあった訳ではないことはすっぱり頭から消し去るのが肝要。

 嵐のおかげで那覇、沖縄での実質の活動時間が長くなり、思っていたよりずっと実りある沖縄滞在でした。

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沖縄慰霊の日:琉球新報から

2014.06.24
昨日、沖縄の慰霊の日の琉球新報の記事。琉球新報の皆さん、転載の許可を事後承諾でお願いします。

慰霊の日 非核・共生の要石に 戦争と軍の犠牲強要に反対
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-227389-storytopic-11.html

沖縄戦の事実上の終結から69年を迎えた。多くの住民を巻き込んだ沖縄戦は「ありったけの地獄を集めた」と表現される。だが、戦闘終結後も「生き地獄」が続いたことを忘れてはならない。
 米軍は住民を収容所に隔離している間に、土地を強奪して基地を建設した。普天間飛行場もその一つだ。そのころ住民には満足な食料が配給されず栄養失調で倒れ、女性は米兵に暴行された。
 日米両軍による二つの地獄は、「軍隊は住民を守らない」という教訓を残した。だが、米軍は今も居座り、沖縄の戦場化を想定した日米訓練が繰り広げられている。

教訓のギャップ

 米軍が沖縄島に上陸した4月1日朝の光景について、こんな記録がある。
 「死臭で息がつまるようだ。鉄帽を射抜かれてたおれている兵隊、両足をふっとばされて頭と胴体だけであおむけに天をにらんでいるおじいさん。頭のない赤ん坊を背負ってあざみの葉をにぎりしめてうつ伏せている婦人の死体…」。米国統治と日米軍事同盟に抵抗した政治家瀬長亀次郎さんの未発表原稿だ。
 沖縄戦は「本土決戦」準備が整うまで、米軍を一日でも長く沖縄に引きつけておく「出血持久戦」だった。第32軍が司令部のある首里で降伏せず、沖縄島南部の摩文仁、喜屋武一帯に撤退したのは大本営の方針に従ったからだ。
 第32軍は沖縄県民を守るために配備されたのではない。そのため住民保護の視点は欠落し、米軍の圧倒的な砲爆撃で多くの住民が犠牲になった。5月下旬以降の南部戦線は日本兵による食料強奪、壕追い出し、壕内で泣く子の殺害、住民をスパイ視しての殺害が相次いだ。日本軍は機密が漏れるのを防ぐため、住民が米軍に保護されることを許さなかった。そのため戦場で日本軍による命令や、強制、誘導によって親子、親類、知人同士が殺し合う惨劇が発生した。
 一方、軍にとっての沖縄戦の教訓とは「島の戦闘は守るより攻撃側が有利」だ。現在、尖閣諸島の緊張の高まりを口実に自衛隊は、島しょ防衛と称して南西諸島の軍備を強化しようとしている。
 自衛隊の隊内誌によると、自衛隊の離島作戦とは、敵の攻撃を受けたら島をいったん占領させる。その後、日米の増援部隊が強襲上陸して島を「奪還」する内容だ。尖閣のような無人島だけでなく石垣などの有人島も想定している。だが軍事作戦の中に住民避難の発想はない。住民が巻き込まれた沖縄戦の再来が危惧される。

ワシントン体制

 第32軍創設によって、沖縄は米軍の標的になった。それ以前は沖縄に本格的な軍隊は配備されていなかった。なぜか。それを解く鍵は第1次世界大戦後に築かれた国際秩序にある。
 100年前に始まった第1次世界大戦は人類が初めて体験した総力戦だった。戦後、軍縮を目指して1921年から22年にかけてワシントン会議が開かれた。その結果結ばれた海軍軍備制限条約に、太平洋の島々をめぐる軍縮が含まれている。当時日米は同地域で覇権争いをしていた。同条約により米国はフィリピン、グアムなどの軍備強化を停止し、日本は台湾、琉球諸島、小笠原諸島などの軍備を凍結した。
 ワシントン体制と呼ばれる新たな世界秩序によって沖縄は非基地化された。しかし後に日本は同条約を破棄し、沖縄に第32軍を創設する。基地の島沖縄の源流は、日本が軍縮の枠組みを一方的に断ち切ったことにある。
 自衛の名の下に他国の戦争に介入しようとしたり(集団的自衛権)、海外での武力行使も許されたりするというのは、明らかに憲法の否定である。それは無念の死を遂げた沖縄の戦没者に対する冒涜(ぼうとく)でもある。私たちが成すべきことは、国際社会と共に東アジアを非核・共生のモデル地域として育んでいくことだと確信する

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平和をもたらすのは、歌:ガーディアンの沖縄レポート

2014.04.18
コメント欄が閉じられているのは解せないが、ガーディアンの日本在住記者、ジャスティン氏による沖縄に関するニュースが今日、掲載された。

Okinawa's musicians provide a focus for Japanese protest against US bases
http://www.theguardian.com/world/2014/apr/17/okinawa-musicians-focus-japanese-protest-military-bases

If an island of 1.4m people can be summed up in a sound, it is that of the sanshin. Where there are people on Okinawa, a Japanese island almost 1,000 miles south of Tokyo, the distinctive tones of the three-stringed instrument are never far away.

Music is deeply rooted in Okinawa's tragic place in Japan's history and the conduit for its modern grievances against the glut of US military bases on the island. As Barack Obama prepares to visit Tokyo to meet Japan's prime minister, Shinzo Abe, later in April, the anti-war message of sanshin players such as Shoukichi Kina and Misako Oshiro is back in vogue as the subtropical island confronts its biggest political challenge since it reverted from US to Japanese rule in the 1970s.


Less than a century after it was forcibly made part of Japan, Okinawa was the scene of one of the second world war's bloodiest battles. An estimated 240,000 Japanese and Americans died, including more than a quarter of Okinawa's civilian population, after US forces invaded in June 1945. Japanese troops distributed grenades to civilians, urging them to commit suicide or risk being raped and murdered by American soldiers.

"There are lots of songs about how terribly the Okinawans were treated in the war," said John Potter, the author of the only English-language book on Okinawan music and a prolific blogger on the subject.

Lucy Nagamine, a Peruvian-born singer whose grandparents left Okinawa shortly before the war, learned classical Ryukyu music from her grandmother and picked up her deceased grandfather's sanshin at the age of 10.

Before settling in her ancestral homeland several years ago, Lucy often sang for Okinawan immigrants in Peru who were desperate to preserve the emotional ties with home. "Now I'm here in Okinawa, away from the country of my birth, I know how my grandparents and other immigrants felt," she said in between songs at her regular venue, a restaurant in Naha.

"In those days immigrants had nothing to do except sing and play the sanshin. It was a central part of their existence, and why music and the Okinawan lifestyle are closely intertwined, even today."


 記事の後半で紹介されているのはネーネーズ



https://www.youtube.com/watch?v=bjJU9tOPPwY

 オバマ大統領が沖縄を訪問するとは思えないし、正直、たとえ彼が沖縄を訪問したとしても何かがすぐに変わることはないだろう。でも、沖縄のアメリカ軍基地が減ることへの新たな動き、うねりにつながるかなと。

 最近思うのは、ジャスティン氏、沖縄が好きなんじゃないかな。状況は全く違うが、スコットランドの独立の課題、大小多くの島を領域に抱えるイギリスには共通する課題があるだろうとも思う。また、沖縄と同じように南米、特にアルゼンチンに多くの人を送り出したウェイルズは歌が盛んな地域。交流が生まれたら面白いだろうな。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1034.html

 沖縄に行く人への希望。美ら海を観に行くときは高速を使わなずに58号線経由で。そうすれば、嘉手納基地がどれほど大きいかがよく判るから。

Heaven's hell - Cocco with Bank Band LIVE


https://www.youtube.com/watch?v=Tg0p-xnbEMs

沖縄から来られた島袋克史さんの個展@ロンドン

2014.04.09
DSCN5078.jpg
(島袋克史さん、ギャラリィ・エクレクティックの展示の前で。2014年4月9日、ロンドン)

ロンドンのマリルボーン・ハイ・ストリートにあるエクレクティックhttp://eclectic66.co.uk/1/)で、沖縄で作品制作を続ける島袋克史さんが作成した陶器の展示・販売が、4月9日から。

 島袋さんの今回の渡英は、先週、ロンドンで開催されていたCeramic Art London 2014に参加されていたことと、エクレクティックでの作品展示。

http://www.ceramics.org.uk/home.php

https://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157643694676814/

 残念ながら、先週の催しを観に行くことはできなかったのだが、大成功だったとのこと。エクレクティックでご本人に伺った所、渡英前は準備で超多忙だったそうだ。成功だったということで、来年の参加は決まっているのかと思ったら、次回も参加できるかどうか再び審査を受けなければならないそうだ。厳しい世界。

 失礼にならないことを祈りつつ。2年ぶりに耳にする沖縄の響きは、耳にとても優しかった。沖縄に次に行けるのはいつだろう。

 エクレクティックでの展示・販売は5月上旬まで。島袋さんは、6月に東京の神楽坂で他のアーティストとのコラボレイションがあるので、沖縄に戻ってすぐにその準備に取りかかるとのこと。

2012年、壷屋での写真
https://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157629456134112/

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