LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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2007年04月の記事一覧

地図から消されたスコットランドの島

2007.04.30
引越しの混乱の真っ只中、イースターの週末はスコットランド出身のCの家に泊めてもらいました。「次の部屋が見つかるまでは、気楽に過ごしてね」、なんて大家の女性には言われましたけど、裏切られた気分で居たくなかったんです。

 本題。土曜日だったか、彼女の家族と和やかに晩御飯を食べ、そのあと、一緒に「ダ・ヴィンチ・コード」を鑑賞。超、つまらなかった。あれと比べると、「薔薇の名前」はなんと素晴らしかったことか。
 で、ご覧になった方は覚えていると思いますが、最後のほうで、トム・ハンクスとヒロインがスコットランドの小さな教会に行きます。その場面が終わるやいなや、Cと彼女の旦那が、現在、スコットランドが抱える社会問題について議論を始めました。その中で、旦那、Dが徐に「何とかという島は、地図から消されたままだから」、といいました。
 そんな島の事を聞いたことがなかったので、身を乗り出して「そんな島が、スコットランドにあるの?」、と。どうやら、第二次大戦の負の遺産として、ある毒薬の実験が行われ、今でも立ち入り禁止どころか、地図からその存在が消されている、とのこと。俄然、興味が出て、「これは長いメールのねたにしなければ」、ということでこうなりました。以下の情報をご覧ください。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/scotland/1457035.stm

 数年前の記事で、現在の状況を知りたかったのですが、探しきれませんでした。でも、友人が言っていたように、アンスラサクス(炭租菌だったかな)の実験が行われ、少なくとも48年もの間、人の立ち入りが禁じられていたようです。

 友人がこの島のことを話してくれたとき、思わず「民主主義国家のイギリスでそんなことが許されたの?」、と。するとCは、「Koji、貴方はまだスコットランドがどういう風にイギリス国内で扱われてきたか理解していないわ。スコットランドは虐げられてきたのよ」。
 ここら辺の議論は、僕の理解は及びませんが、スコットランドとイングランドの確執って、けっこう根が深いのかな、と。来週、イギリスでは、地方選挙の投票があります。スコットランドでは、SNPというスコットランドのイギリスからの独立を掲げる政党が過半数を獲得する勢いです。ある新聞の分析によると、スコットランド人は、言われているほど独立を強く望んでいるわけではないそうです。が、とにかく、ブレアと労働党が我慢できないんだそうです。外国人の僕ですら、「労働」党とは名ばかり、ブレアがやっているのは、社会に格差を出現させ、その差を広げようとしているようにしか思えないです。
 スコットランドは、イギリス国内では天然資源が抱負で、独立しても問題ないという観測が主流のようです。更に、Dによると、国際企業、及びイギリスの公的機関が競ってインヴァネスに進出し、インヴァネスは空前の不動産ブームだそうです。エディンバラ、グラスゴー、アバディーン、インヴァネス等の都市の情報けっこう聞きますが、逆に、イングランドとの境界にあるローシアン地方、また離島に住んでいる皆さんはどう思っているのか、というのはあまり聞く機会がないです。

 最近の、イギリス国内のおかしな雰囲気については、近いうちに書きたいと思っています。来週の地方選挙で、SNPが過半数を獲得しても、即独立には結びつかないそうですが、興味津津です。
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政治難民と僕の引越しが遭遇する確率

2007.04.30
親愛なる皆さん

 こんにちは。ゴールデン・ウィーク、懐かしい響き。

 2006年の3月から住み始めた所を、丁度1年後に出なくてはならなくなりました。2月下旬からインターネットで調べたり、知人を通して動いてはいたのですが、書く仕事のインタヴューが重なったり、予算のこと、地域のことなど、色々な事が上手いこと機能しませんでした。ありがちですけど、この点は良いけどあればな、と言うことを繰り返してどんどん時間がなくなってきていました。

 あと7日のうちに、というところで、「こうなったら、日系の不動産会社に尋ねてみよう」、と思い立ち、イギリスの日系企業一覧のトップに出ていた会社に電話した所、フラット・シェア、ハウス・シェアも紹介している、と。助かったと思って、こちらの状況を伝えると、今、空いている物件があるから、明日の日曜日でもよければ見ることが出来ますよ、とのことでした。「大家さんは、British Blackの女性ですが、いいですか?」、と。担当者の女性は更に、「イースターの週末までには、大家さんの家族はフラットから出て行きますので、当分お一人になります」。ロンドンに住んで7年、いちいち国籍を気にしていたら生きていけませんし、かなり切迫して状況だったので、とりあえず部屋を見ることにしました。
 会ってみると、大家の女性の方(以下、T)は、気さくで、部屋の広さも充分。入居して1週間すれば一人か、と思っていたら、Tが「大きな家が買えるはずだったんだけど、思っていた以上に時間がかかっていて、恐らく6月まではここにいるから」、と。大したことではないと思ったものの、とりあえず不動産屋にそのことを伝えると、かなり驚いて、「そんなこと、聞いていませんでした」、とちょっと焦った感じでした。僕としては、どうにか場所を押さえておきたかったので、それでも良い、と。
 3月30日に荷物を出し、翌2日間は友人宅を泊まり歩き、部屋に入居したのは4月1日。そうそう、引越しも日系の業者に依頼しました。4月は、日本人コミュニティは移動の季節。ということで荷物の配送は4月4日。ですから、部屋には、大家に頼んでおいたマットレスと毛布だけ。それでも後2日すれば荷物が届き、すぐにあれをしなければ、あそこに連絡しなければ、などと考えていました。
 日曜、月曜は何事もなく。料理する気もなく台所すら使いませんでした。火曜日、4月3日の朝、いつもとおりに早起きして、さあ、出かけようとしていたときTと彼女の旦那が部屋に来て、「Can I have a quick word with you?」、と。「あれ、何か失敗したかな。でも、殆ど何も使っていないしな」、と思いつつ彼らが話し始めるのを待っていました。

 「昨日の午後遅くに連絡があって、私の主人の親戚の女の子二人、一人は12歳、もう一人は14歳の子達が、Political Refugees(政治難民)としてエリトリアから3週間後にはロンドンに来ることが決まったの」。ほほーと思いつつ、「どうして僕に言う必要が有るのかな」、と。
 「彼女達がエリトリアにいれば、いつ殺されるか判らない。彼女達を救うためにはロンドンに来るしかないし、難民として認められるために、大人の付き添いなしで来なければならないの。彼女達は英語もままならないし、ロンドンで二人を世話できるのは私達だけなのよ。貴方にもいったように、私と母は、昨年の12月にロンドン南部にある一軒家を購入する手続きを始めたけど、結局、買えない事になってしまったの。彼女達が来るのは判っていたけど、来るまでには家を買えると思っていたのよ。でも、知っているようだけど、ロンドンの不動産市場は今、売り物件が少ないの。だから、今は私達はここにすまわざろうえないし、彼女達もここに住むことになるの。だから、申し訳ないんだけど、貴方の部屋が必要なの」。

 「へっ?」

 30秒間、何も考えられませんでした。彼女達も何も言わず、今思うと、僕のほうから部屋を出るように仕向けていた感じでした。「僕は、ここに住めないということ?」。「ありがとう、そのとおりなのよ。ごめんなさい、でも、貴方なら判ってくれると思っていたわ」。

 ここで、どうして僕がこんな状況にはまり込んでしまったのか、条件を列挙します。
 1)Tとその母親は、2006年12月に、家族で住めるような大きな家を購入する手続きを始めた。 
 2)イギリス全土で、不動産マーケットに出ている物件が少なく、特にロンドンは異常で、不動産会社も必至に物件を探し回っている状態。そんな中、Tが購入するつもりだった家の前の住人が、彼らの次の家を購入することが出来ず、結局、僕が入居する直前に売るのを諦めた。Tも初めからやり直すことに。が、そのことをTは不動産会社には伝えていなかった。
 3)更に、Tは親戚の子供が政治難民で来るであろうことも話していなかった。
 4)日系の不動産会社も、思うに物件が少なくて焦っていたと状況が考えられ、Tの状況を厳しく精査していなかったの可能性もあるのではないか。
 5)そしてTの予定が全てご破算になったとき、すべてが僕に降りかかってきた、と。

 どうやってその朝フラットを出たのか、今では思い出せません。9時になるやいなや、不動産会社の担当者に電話して事情を説明。すぐに彼女がTに電話しましたが、「出来ないの一点張りでした。それと、政治難民で来る子供達のことを出されては、こちらとしても何も出来なくて」。
 良い方に考えれば、不動産会社を通しておいて良かったです。担当者の方が、すぐに現在の部屋を押さえてくれました。でも、入居できるまで10日待たなければなりませんでしたけどね。BTはすぐにキャンセルできたものの、引越し業者のほうは4日の配送を逃すと割増されてしまうので、持ってきてもらいました。Tのフラットに居た10日間、開けずのダンボール箱に囲まれて寝ていました。侘しかったです。
 
 順序が逆になりました。4月3日は、不動産会社へも何度も電話しましたが、同時に、ロンドンの友人達の何人かにも、ヘルプ・コールをかけまくりました。そのうちの一人が、「シティズンズ・アドヴァイス・ビューロー(社会福祉事務所みたいなものでしょうか)にいってみてごらん。もしかしたら、何らかの措置を講じてくれるかもしれないよ」、と教えてくれました。行きましたとも。
 アルバイトが終わってからいって、2時間もうら寂しい感じの待合室で担当者の方と話せるのを待ちました。あんなに自分の人生を不安に思ったことは久しぶりでした。最後、待合室には僕一人になったとき、「こんなところで、ホームレスになるかもしれない不安を抱えながら一人椅子に座っているためにロンドンに来たわけじゃないのに」。誰に怒っても状況は変わらないことだけは、不思議と納得していたので、怒る気力があれば、次の日の為に取っておこう、と。ちなみに担当者からは、「貴方の状況では、イギリスのハウズィング・ロウはあなたを守ることは出来ません。力になれなくて、本当にごめんなさい」。期待はしていませんでしたが、目の前で入り口がいきなり閉められたようには、感じました。

 今の部屋で、これを書いている今、僕自身、まだまだ充分に恵まれている状況に居ることを、はっきりと理解しています。エリトリアから来る女の子達のこと、日本で増えて居るワーキング・プアと称される人々の状況からすれば、比べようもなく恵まれています。でも、3日の夜、シティズンズ・アドヴァイス・ビューローの待合室に座っていたとき、他の人のことなんて考えることもできず、ただただ、「何でこんなことが僕に!何か、イギリスを怒らせることをしてしまったのか」、としか考えられませんでした。

 でも、人間って強いですね。洗濯はきちんとしていましたが、着たきりすずめ状態、ネットにアクセスできず、自分のコンピューターを使うことさえままならない状況で、5月号の原稿を手書で書き終えていました。更に今は、この経験から、「滅多に出来ないことを経験できたんだから、それを何かに活かしていきたいな」、とすら思えるようになっています。それもこれも、ロンドンの友達の助け、海外で暮らす友人達の支えがあればこそだと思います。助け合うことの難しさ、そして助けられる嬉しさを改めて知りました。13日に出るまで、Tと彼女の家族には大人として接していましたが、イースターの週末は、ある友人家族の家の居間でずっと原稿を書いていました。居たくなかったんです。僕が原稿書きに没頭している間、ほっておいてくれ友人の懐の深さが、嬉しかったです。

 日本にいる限り、政治難民の存在が僕の生活に影響を及ぼすことなんて、ほぼ皆無でしょう。こっちの友人達は、助けてくれる一方で、「It could happen to anyone」。事が起きた時は、「なんて言い草だ」、と思いました。でも、そう毎度毎度起きたら困りますけど、一方で「ロンドンでは」起きることだと納得しています。これもまた、自国に居ては判らない文化の違い、社会の違い、生活基盤の違いなんだと思います。

 なんか辛気くさくなってしまいましたが、今は、元気です。でも、日本から、転居祝いの手書の葉書なんかが届くと、嬉しいだろうな、と。
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