LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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2008年04月の記事一覧

ロンドン市長選

2008.04.30
明日、5月1日に、ロンドン市長選を含む地方選挙がイギリスである。投票権がない上に、人種差別を掲げるBNPが勝っては困るけど、かと言って労働、保守、リベラル・デモクラットの3大メイジャー政党のどこが勝利してもイギリスが民主主義社会になるとも思えないから、全然報道を追っていない。

 ロンドン市長選の行方は、結局保守党ボリス・ジョンソンBoris Johnson)と労働党で3選を目指す現職のケン・リヴィングストンKen Livingston)の一騎打ちになりそう。犬猿の中のロンドンの夕刊紙、The Evening Standard紙の追求により(http://www.guardian.co.uk/media/2008/apr/30/pressandpublishing.london08)、公私に関わらずスキャンダルが明るみに出てしまったリヴィングストン市長だけど、まだ勝つ可能性があるそうだ。ということは、とりもなおさず、ジョンソン候補にはロンドンを任せられないとロンドナーに思わせる不安定な何かがあるのだろう(http://www.guardian.co.uk/politics/2008/may/01/boris.livingstone)。BNP以外だったら誰がなっても同じ、という感じ。



左がジョンソン候補、右がリヴィングストン候補。



ロンドン市長を選ぶ投票用紙の見本。

 月曜日、28日の夕方の空は、息を呑むほど美しかった(写真はテレグラフから拝借)。



 昨日、今日は雹が降ったり、吐く息がまた真っ白なロンドン。明日の夕方の空にはオレンジ色の燃え上がる夕陽が輝くのか。それとも、雨と雪と雹が一緒に降るのだろうか。

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デザイナーの不覚、または視覚の錯覚

2008.04.28
バレエ、オペラと続いて漸く洗練された雰囲気をブログに持ち込めたのに。ロイヤル・バレエの「Homage to The Queen」に出演した吉田都さんの麗しい写真が出番を待っているのに。

 今日、雑事を片付けてホッと一息ついたところで、The Daily Telegraph紙のウェブの写真セクションをのぞいたときにふと視覚の隅に引っかかったのは、「When logos go bad」というタイトル。クリックして真っ先きに出て来たのが下のロゴ。



イギリスのThe Office of Government Commerce(察するにQuangoの一つだろう、http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-534.html)が、国民の税金、£14,000-を浪費して作った新しいロゴとのこと。ひとかけらのクリエイティヴィティも感じさせない、という点は賞賛に値するかもしれない。それにしても、どうして役所というのはロゴと玄関に飾る彫刻に固執するのだろうか?世界共通だと思う。

 「つまらないロゴにまた金をかけて」で終わる所だったのだろうけど、この新しいロゴ、関係者が赤面する騒動を巻き起こしたそうだ。それは、次の画像。



90度回転させたら、なんとほにゃららな姿に。
http://www.telegraph.co.uk/news/1901656/OGC-unveils-new-logo-to-red-faces.html
OGC unveils new logo to red faces

 流石にこれには、イギリス人も恥と思うことだろう。他の例は以下のリンクに。
http://www.telegraph.co.uk/news/picturegalleries/1904865/Disastrous-logo-designs.html
 よく心理テストで見せられる、「老婆と若い女性」や向き合う顔にもにも見える図柄に共通する視覚の錯覚とも言えるかもしれない。しかしながら、錯覚を引き起こす図柄にまず最初に何を見いだすかは、観る人の性格、人格形成の過程を色濃く反映すると思う。例えば、画像リンクの3番目、ブラジルのThe Institute of Oriental Studies at Federal University of Santa Catarinaのものを、意図されたように、「夕陽を背にしたパゴタ」と見る人は少数だと思う。
 それにしても日本からのエントリ、誰がテレグラフに知らせたんだか。

 閑話休題。先週報道された写真の中でつぼにはまったのがこれ。



 ドイツのドルトムントで開催されたドッグ・ショーの一こま。ハンガリアン・プーリーHungarian Puli)という犬種とのこと。とても賢く、且つ人懐こいらしい。実物はまだ見たことないけど、この犬種を初めて見たのは、このジャケ写真。

Minotaur:ロイヤル・オペラの新作オペラは18禁?!

2008.04.26
ロイヤル・オペラのコミッションによって創作されたオペラ、「The Minotaur」が4月15日に初演を迎えました。



昨年11月に寄付金集めが趣旨のレクチャーに出席したあとに寄付をしなかった(出来なかった)のでその後のイヴェントには呼ばれませんでしたが、レクチャーに参加できたからこそ、現代オペラにしては拒否反応がでないまま観ることができました。
http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-581.html

 この新作オペラを支えた主要な人たちは以下の通り。

Composer
Harrison Birtwistle
Libretto
David Harsent
Director
Stephen Langridge
Designs
Alison Chitty

Conductor
Antonio Pappano(ロイヤル・オペラの音楽監督)
The Minotaur
John Tomlinson(イギリス人バス・バリトン)
Theseus
Johan Reuter(デンマーク人テノール)
Ariadne
Christine Rice(イギリス人メゾ・ソプラノ)
Snake Priestess
Andrew Watts(イギリス人カウンター・テノール)
Heirus
Philip Langridge(イギリス人テノール。演出家の父親)
Kere
Amanda Echalaz(南アフリカ出身のソプラノ)

 この他に、ミノタウロスに殺される生贄役の5人に歌手がいます。そのうち二人は、カウンター・テノールでした。

 カウンセリングの勉強で、嫌でもギリシア神話を読まなければならないこともあって、以前よりギリシア神話については知識が増えています。が、あの複雑な相関関係は一朝一夕には理解できない、というのが正直なところ。そういう状況で今回のオペラの粗筋を数行で説明しようとすると、こうなります。

 クレタ島の迷宮に閉じ込められている半獣半人のミノタウロスに殺される為に、アテネから送られて来た生贄たちの中に、実は海神ポセイドンの息子、テーセウスが紛れ込んでいる。テーセウスは、この無意味な犠牲を終らせる為にミノタウロスを殺すことを決意している。
 クレタ島には、ミノスMinos)王の娘、アリアドネがいる。彼女はすぐにテーセウスに気付き、彼と共にアテネに戻れるように、テーセウスをあの手この手で説得する。その間に、生贄たちは迷宮の奥深く、出口のない闘牛中のような場所で、ミノタウロスに陵辱され、次々に、最後の一人まで殺されていく。



まだ息のある生贄たちの身体は、Kereたちによって引き裂かれ、心臓をつかみ出され息絶えていく。
 ミノタウロスは、まどろみの中で、声を聞く。自分は誰なのか、どうして迷宮にいるのか、そしてどうして血を欲するのか。

 神託によってテーセウスミノタウロスに勝つこと、彼と共にアテネに戻れることを知ったアリアドネは、テーセウスが迷宮から戻れるよう赤い糸を渡す。迷宮の奥深く、ミノタウロスと対峙するテーセウスは、人間の言葉を喋るミノタウロスに驚き、最後の一刺しを躊躇ったのち、その場を去る。



死に行くミノタウロスは、自分は誰なのか、自分はどこから来たのかを問う。最後の瞬間、ミノタウロスは、自分がポセイドンの息子だと確信する。瀕死のミノタウロスの身体に血を求めてKereが飛び掛り、彼の身体は引き裂かれる。

 もう、全編、血、血、血、また血。生贄たちの心臓が引きずり出される場面なんて本当に生々しくて。驚きはしませんでしたが、「ここまでやっていいのか?」、と感じました。実際は「18禁」ではないですが、道徳観念がまだしっかりしていないような青少年の皆さんにはかなり衝撃的な舞台になるのではないかと思いました。

 オペラは、全編を通して口ずさみたくなるような、一度聞いたら絶対に忘れないようなキャッチ-な旋律は、一切なし。今、これを書いていても、昨夜聞いた旋律の何一つ、思い出せません。「この旋律は、思わず口をついてでてしまうキラー・メロディだ」とか、「このオペラのこのアリアは、21世紀のアンセムになる」と、ポップ・ロック音楽誌が読者の興味を煽るような惹句は、このThe Minotaurを語るには使われないことは確実。
 普通、このような状況だと、「このオペラの存在意義を確定するアリアや旋律がないオペラなんて、オペラじゃない」、といった拒否反応が出るはずなんですが、今回は出ませんでした。思うに、全体を通して、よく練り上げられた、ある意味、「オペラは総合芸術である」という表現を具現化したプロダクションだと思います。例えば、場面転換のときにスクリーンが下りてきて、重苦しい旋律にあわせて、大きくうねる海の映像が映し出されます。この映像、恐らくCGだと思うのですが、話が進むうちに、海かもしれないけど、でも傷を覆うかさぶたの下でうねる「血」の動きでもあるように思えてきました。言いかえると、重苦しい主題ながら、観る側の想像力を限定させるのではなく、飛躍させる舞台のように感じました。
 ギリシア神話って、面白いですね。こんな、amoralな神話が生み出された背景には、「人間は、そもそも野蛮な生き物だ」という共通の認識が無意識にあったのかも、なんて思います。野蛮だからこそ、このような神話を共有し理解することで、「人間」として生きていけるのかな、と言う考えは飛躍しすぎかもしれませんが。ギリシア神話が生み出された頃のギリシアには、いわゆる宗教という概念は有ったのかどうか、ということに最近興味があります。

 歌手の皆さんも、体力だけでなく、精神を疲労困憊させるであろうこのオペラに真正面からぶつかっていました。主役のジョン・トムリンソン、60歳を超えたオペラ歌手とは思えない強靭な体力、精神力。牛の動きもよく観察したようで、ミノタウロスそのもの。歌唱面では一番長いこと歌う役のアリアドネを演じたクリスティーン・ライスも最後までパワーが落ちませんでした。
 僕が観にいった25日には、オペラ・ハウス内にカメラが入っていました。恐らく、BBCで放送するためでしょう。歌手の皆さんには失敗が許されない状況だったのかもしれません。第1幕(85分!)、テーセウスを演じたヨハン・ロイターの右耳の後ろから、なんだかプラスティックの紐のようなものがとびでていました。結局、何かはわからなかったのですが、新しいプロンプターなのかな、と。歌手の皆さんにとってはタイミングをとるのが難しいオペラだと思うので、それはいいんですが、ロイター、というか舞台マネイジャーが失敗を犯しました。
 第2幕、ミノタウロスと対峙するテーセウスは、上半身の服を剥ぎ取られます。そしてロイターの背中には、そのプラスティックの紐を止めていたであろう、白い小さなテープが2枚、張り付いたままでした。あれを、衣装とは言わせません。絶対に映っていたと思うけど、映像処理、どうするのかな。そうそう、もう一つ気になったことが。背景として使われていた布に、破れたので繕いました、といった感じの小さな四角が二つありました。

 面白かったですし、もう一回くらい観るのもいいかなと思います。あまりの血腥ささに眠れないかと思いましたが、熟睡しましたし。が、人には強く勧めないでしょう。

待つ女:ロイヤル・バレエのトリプル・ビル

2008.04.24
4月23日から始まったロイヤル・バレエトリプル・ビルの目玉は、今シーズン最後の新作、「Rushes: Fragments of a Lost Story」。デンマーク出身の振付家、Kim Brandstrupロイヤル・オペラ・ハウスのメイン・ステイジように振付けたもので、彼にとってはコヴェント・ガーデンのメイン・ステイジでのデビューになります。

 Kim Brandstrupの名前を初めて耳にしたのは、2003年9月のこの公演でした。
http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-210.html
 現在、産休中のセナイダ・ヤナウスキーに振付けられた踊りは、彼のバックグラウンドを全く知らないながら、かなり長く心に残るとても濃密な舞台でした。その後、2005年の初夏に、オペラ・ハウスの地下にあるリンベリー劇場で上演されたフレデリック・アシュトンへのオマージュ公演で、2つの短い踊りをカンパニーに振付けました、一つ目は、アリーナ・コジョカルヨハン・コボーの為のパ・ド・ドゥ、二つ目はヤナウスキーへのソロでした。この二つも素晴らしく、彼の振り付けをメイン・ステイジで観られることをずっと待っていました。ちなみに、コジョカルコボーのPDDは、2006年6月に催された、エリザベス女王の80歳の誕生日とカンパニー設立75周年を祝う特別ガラ公演で上演されました。あの大きな舞台でも何ら遜色ないできだったので、今回の新作には期待していました。

Rushes: Fragments of a Lost Story

Music: Sergey Prokofiev
Arranged and elaborated by Michael berkeley
Choreography: Kim Brandstrup
Designs: Richard Hudson
Lighting Design: Jan Kalman
Video Design: Dick Straker
Ballet Mistress: Diedre Chapman
(何故?)
Notator: Mayumi Hotta

 舞台セットはシンプルといえばシンプル。ビーズで出来た特製のカーテンで舞台が3分割されていたようです。Brandstrupは映画にも深い興味を持っているそうですが、そのためでしょう、数回、ビーズのカーテンに⑤、④、③、②、①とカウントが投射されました。これは特に気にならなかったのですが、気に触った、というか目障りだったのが、ビーズのカーテン。これ、恐らく主役3人が、精神的にどこ(階級・社会)に属するのかという心理的隔絶を表していたと思うのですが、カーテンに挟まれた空間での群舞による踊りを観るにはとても邪魔でした。そんな気分もあってか、群舞には好きなダンサーが何人か踊っていたのですが、振付が意図する物語からは断絶している印象が残りました。
 前日の22日にあった最終ドレス・リハーサルに友人が誘ってくれた時は、双眼鏡を使わずに全体の流れを観ていました。そのときから群舞が弱いなと感じつつ、最後の5分間でのPDDが大変素晴らしく、これははまるかもしれないと思っていました。で、初日の23日、双眼鏡でじっくり観て、はまりました。ファースト・キャストの主役3人は、カルロス・アコスタアリーナ・コジョカル、そしてラウラ・モレイラという3人のプリンシパル・ダンサー(リハーサルも同じメンバー)。群舞がどのタイミングで挿入されたかはしっかり覚えていませんが、物語はこんな感じです。多分に僕の思い込みですので、Brandstrupの意図とは全く関係ないでしょう。

 カーテンが上がると、カーテンの向うにぼんやりとした、まるで光を発する意思がないような寂しげな電球が灯っている。舞台右手、男(アコスタ)が椅子に腰掛けている。表情に明るさはない。着ているのはどこにでも売られているような特徴の無い、個性の無いセーターにズボン。男の背後に、何の飾りも無い灰色のドレスを着た女(コジョカル)が歩み寄る。立ち上がった男に手をかけようとするが、男は女に気付かずにカーテンの向うに歩み去る。立ち尽くすことから先に進めない灰色の女。
 カーテンの向こう側で、色のない、だが男や灰色の女に比べると、ずっとスマートな洋服を着た男女が集い、笑い、踊っている。場違いな所にいる戸惑いを隠しながら、そこに現れた男は、目の覚めるような赤いドレスを着た女(モレイラ)に近づいていく。
 赤の女は、男を見て何を思ったのだろう。が、女は男の想いに気付き、男をじらし、そして身を翻す。踊りつづけるうちに、赤の女の顔に焦りの表情が浮かんでくる。同じくして、男が女を求める表情から、感情が無くなり女を求める手は執拗になってくる。男のパッションが、オブセッションに変わった。



 女は、主導権を再び手にしようと男の手の中でもがくが、次第に恐怖に打ちのめされてくる。男は、既に女に何を求めていたのかを忘れてしまったかのように、ただ女を振り回す。カーテンの向うに放り投げられた女は暫く身動きできないまま横たわっていた。やがて立ち上がると、男に「これ以上私に近寄らないで」と恐怖に凍りついた表情のまま、カーテンの奥の闇に消えていく。
 カーテンが上がり、舞台には、電球と、投げ飛ばされた椅子があるだけ。背を向けて立ち尽くす男。望むことは間違いだったのか。男に歩み寄る灰色の女。男は振り向く。しかし、その目はまだ灰色の女には向けられていない。男に手をかける女。
 おもむろに、男は腕を差し上げる。灰色の女は、その腕が自分のために差し出されたのではないことを知っている。だが、その腕にゆっくりと身体をあずける女(ここから狂おしいほど静かで、窒息するほど濃密なPDD)。



(写真追加。The Guardianの写真リンクから。
http://www.guardian.co.uk/arts/gallery/2008/apr/22/dance?picture=333676334






やがて男は蹲り、女は静かに寄り添う。女の勝利ではない。世界は何も変わらない。ただ、待っていた男が戻ってきただけ。

 これのタイトル「待つ女」は、記憶違いでなければ、10年位前に青山劇場で、戸川純が主演した劇のタイトル。ネットで粗筋を探したんですが、ありませんでした。なのでうろ覚えですが。女(戸川純)が想い寄せる男は、彼女の好意に気付いていたが、富(もしくは権力だったかな)を得る為に他の女性の元に去る。その後、地位も金も、権力も女も(確か視覚も失ったかな)、全てを失う。何者でもなくなった男に残されたものは何もない。男の元に歩み寄る女。女は欲しかったものを、気が遠くなるほどの間ずっと待ちつづけて、手に入れた。
 当然ながら、物語が生み出す雰囲気は全く別ものですが、このタイトルが浮かんできました。23日にThe Daily Telegraph紙に掲載された関連記事です。あえてここまで読みませんでしたが、当らずとも遠からずかな、と。
http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2008/04/23/btrushes123.xml

 今シーズンからプリンシパル・ダンサーに昇進したモレイラは、迫真の踊り。昨シーズンまでは、人畜無害の役にキャストされることが多かった印象のモレイラ。が、ステイタスが彼女の潜在力を引き出したかと思うほどのドラマティックな踊り、演技。シルヴィ・ギエムタマラ・ロホのような演技も良くて、さらに超人的に美しい技術をも売りにするダンサーではないですが、プリンシパルとしてどう伸びていくのか、楽しみです。
 個別に行く前に。まず、ロイヤル・バレエに移籍して来て以来、「ロイヤル・バレエへの新作」がアコスタに振付けられたのは、恐らく初めてではないかと思います。また、コジョカルアコスタの組み合わせ、これも初めてではないかと思います。ありそうで、全く無かったですから。
 コジョカル。愛らしい役もさることながら、「これ以上不幸な女性は、世界中どこを探してもいない」という役において、コジョカルほど極限まで幸薄い女性を表現できるダンサーはいないでしょう。はまり役。最後のPDDではモレイラへの印象が一瞬、消え去るくらいでした。舞台が終って、最初のカーテン・コールのときは表情がかなり硬かったですが、Brandstrupに何か言われると、やっと嬉しそうに微笑んでいたのが印象に残っています。
 これまで、ケネス・マクミランの1幕ものや、グレン・テトレイの「月に憑かれたピエロ」で素晴らしい踊りを披露してきたアコスタですが、精神的に追い詰められた、救いようの無い惨めな男という役は、彼にとって新境地ではないかと。あの、ハバナの空に輝く太陽のようなアコスタは、微塵もありませんでした。舞台の最後、蹲ったアコスタの表情は、人生に倦みつかれた初老の男のよう。アコスタに関しては、その技術の評価ばかりが先行しますが、役者としても素晴らしいダンサーだと改めて感じました。

 テレグラフの記事にありますが、この演目、セカンド・キャストも、セカンドと侮れないほど興味深い人選です(トーマス・ホワイトヘッド、タマラ・ホロ、リアン・ベンジャミン)。絶対にファースト・キャストとは印象が違うことは確実なので、観にいきたいのですが、日程があわなくて観れそうも無いのが残念でなりません。

 バランシーンの「セレナーデ」と、「オマージュ・トゥ・ザ・クィーン」はのちほど。

*写真は、ballet.co.ukから拝借したものです。

ロイヤル・バレエ:ミックス・ビル

2008.04.22
2月から3月にかけて、たった5回だけの上演となったロイヤル・バレエの「ミックス・ビル」。



世界初演作の上演があったので、本当は複数回観たかったのですが、前半はことごとく日程があわず、また個人的にどうしても観る勇気をもてなかったキャストがあったので(後述)、結局最終日の3月19日にしか観ることが叶いませんでした。上演作品は、1)クリストファー・ウィールドンChristopher Wheeldon)がロイヤル・バレエに振付けた「Electric Counterpoint(世界初演)」、2)ジェローム・ロビンスJerome Robbins)による「Afternoon of a Faun」、3)「Tzigane(振り付け:ジョージ・バランシーンGeorge Balanchine)」、そして4)フレデリック・アシュトンFrederick Ashton)が振付けた「A Month in the Country」。今シーズン、ロイヤル・バレエミックス・プログラムは上演される振り付けの間に関連性を見いだせないと感じていましたが、このミックス・ビルにもテーマはなかったようです。

 ウィールドンが前回カンパニーに新作を振付けたのは、2006年11月。作品は、マイケル・ナイマンの音楽を使った「DGV」。個人的にとても気に入った作品で、今回の新作もかなり期待していたのですが、駄目でした。
 ウィールドンが今回の「Electric Counterpoint」に使った音楽は、前半がバッハ、後半が現代音楽家のスティーヴ・ライヒSteve Reich)によるもの。音楽自体は、可もなく不可もなくでしたが、今回ウィールドンが取り入れた二つの要素が、僕には全く感じるものがありませんでした。一つ目は、映像の利用、二つ目はダンサーのモノローグを流すというもの。
 「Electric Counterpoint」で流された映像は、ロイヤル・バレエの元ダンサー、ウィリアム・トレヴィットマイケル・ナンの二人によって制作されました。彼ら二人は、自分たちの活動をヴィデオで残し放送しているので、映像をどうやって「バレエ」の舞台に活かすか、ということは明確に理解しているように感じました。ダンサー、振り付け、音楽の邪魔をせず、また邪魔されない存在だったと思います。しかしながら、「映像を舞台セットの一部とは見られない」僕には、この頑なな思い込みを溶かす有機的な働きは今回の映像に見いだすことはありませんでした。
 ダンサーの生の声を聞くのは興味深いことです。バレエについて、人生について、バレエ・ダンサーのキャリアのそのあとのことをどう考えているのかを知ることは、舞台上のダンサーが演じる役やダンサーの存在に彩りを加えると思います。が、振り付けの中でその「」の部分、言い換えればダンサーの「」を観客に晒すのは、内容が面白いとはいえ、振り付けとダンサーの融合を観たかった僕には邪魔に思えました。また、ダンサーの「」の部分を取り入れることは、振り付けの「普遍性」が損なわれる、言いかえると再演されないリスクが増すのではないかと思います。前半の振り付けがウィールドンらしくて気に入ったので、残念です。
 この新作のファースト・キャストは、サラ・ラムセナイダ・ヤナウスキーエドワード・ワトソンエリック・アンダーウッド。セカンドは、ラウラ・モレイラディードレ・チャップマンリカルド・セルヴェラ、そしてマーティン・ハーヴェイ。僕が観たのはセカンドでした。ファースト・キャストの4人への評価は高かったです。



セナイダ・ヤナウスキーエリック・アンダーウッド

 ロビンス版の「牧神の午後」。4方を鏡に囲まれたバレエのリハーサル室に男性ダンサーが横たわっている。ゆっくりと起き上がった彼は、鏡を見つめながら身体を動かす。そこにはナルシシスティックな雰囲気。暫くすると、女性が入ってくる。鏡に映る自分の姿を見つめている彼女の視野に男性が入り込んでくる。二人の動きはとても静かなもの。やがて、女性の頬に口づけする男性。女性が部屋を出て行くと、男性は横たわりまどろみ始める。
 華やかなジュテも、跳躍も、回転技など一切出てこないこの振付では、ダンサーの振り付けの解釈と二人の資質で好き嫌い、面白いか退屈かが分かれると思います。今回、サラ・ラムカルロス・アコスタで観ました。前回同じ二人で観たとき、アコスタは良かったのですが、ラムのクール・ビューティさが二人の間に壁を作っているように感じたのを覚えています。今回、ラムが舞台にもたらした雰囲気は暖かな落ち着きといえるもので、彼女の成長ぶりを強く感じることができました。暫くラムを全幕の主演で観ていないのですが、楽しみです。



 バランシーンの「ツィガーヌ」がカンパニーのレパートリーになったのは、今回が初めてです。2007年4月、今シーズンのプログラムが発表になった時には入っていなかったように記憶しています。何故上演されることになったのか、全くわかりません。
 プログラムに掲載された情報によると、ツィガーヌとはハンガリアン・ジプシーの事をさすようです。音楽は、モーリス・ラヴェル作曲のもの。ファースト・キャストは、マリアネラ・ヌニェスティアゴ・ソアレス、セカンドは、タマラ・ロホカルロス・アコスタで、現在のロイヤル・バレエのトップをラテン系のバレエ・ダンサーが占めてるのが良く判るもの。
 僕が観た最終日は、ファーストの二人。初日のレヴューではあまりよい評価を得ていなかったヌニェスでしたが、良かったと思います。以前は、彼女の踊りを観るときは失敗を覚悟するか、表情の乏しさを嘆いてばかりでした。ところが、今シーズンが始まってから、ヌニェスから感じるダンサーとしてのコアな部分に磨きがかかったようです。推測ですが、ソアレスとの婚約という人生の大きな出来事が、彼女の内面に何か大きなものを与えたのだろうと思っています。ラム同様、ヌニェスの全幕主演の舞台をかなり長いこと観ていないので、機会があれば是非観てみたいものです。
 どうやら今年の7月の公演のチケットの売上のてこ入れの為か、ヌニェスソアレスが今月下旬に日本に行くようです。
http://www.nbs.or.jp/blog/0807_royal/contents/2008/04/post-6.html

 今回の「ミックス・ビル」、僕個人が最も観たかったのは、そして観るのがとても怖かったのが、アシュトンの「田園のひと月」。
http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-554.html
 実は初日のチケットも購入してあったんですが、直前でキャンセル。アンサネッリで見る勇気を、どうしても持てませんでした。そこまで自分をいじめたくないですし。結果として、僕が読んだ中で唯一つの媒体を除いて、アンサネッリに寄せられた評価はネガティヴなものばかり。中には「経験を積めば」と彼女を擁護するレヴューもありましたが、二度と踊って欲しくないです。
 僕が観たのは、観たかったのはセカンド・キャスト。主役のナタリアZenaida Yanowsky、彼女の旦那をWilliam Tuckettナタリアを崇拝するラティキンGary Avisナタリアが後見するヴェラBethany Keating、そしてナタリアに静かな、でも熱い想いを寄せるベリヤエフRupert Pennefatherでした。ところで、僕はヤナウスキーの名前の表記をスペイン風に「セナイダ」としてきました。前日にヤナウスキー本人に会う機会があったので尋ねてみたところ、「全然気にしていないわ。ゼナイダでもセナイダでもどちらでも。ロンドンでは、もちろん、ゼナイダって呼ばれることの方が多いけど」、とのこと。ということで、僕は「セナイダ」で通します。
 2日前の3月17日に、タブロイド紙に妊娠三ヶ月をすっぱ抜かれた事実から察せられるように、ヤナウスキーの人気はロンドンではとても高いです。本人からも妊娠のこと、そしてこの夜が産休前の最後の舞台になることを言われました。「田園」、派手な振付ではないですが、それでも妊娠三ヶ月で踊ってもいいのかどうか、観る前はあまり心穏やかではありませんでした。
 結局、僕はロイヤル・バレエによる(他のバレエ・カンパニーで観たことは無いですけど)「田園」は長身のダンサーでしか観ていません。シルヴィ・ギエムダーシー・バッセル、そしてヤナウスキー。僕にとっての「田園」はギエムジョナサン・コープの二人によるもの。好きなヤナウスキーと言えども、それを超えることはありませんでした。
 背が高い為に、「生まれついて」のアシュトン・ダンサーとは言われないヤナウスキー。この舞台でも、記憶の中で特別に美化されているギエムと比べると、上体がやや硬いようにおもいました。しかしながら、「Dancing Actor」と自他共に認めるヤナウスキー、演技の細やかなこと。ヤナウスキーが表情で、指先で、うなじでそして背中で表す喜怒哀楽の全てから、ナタリアが舞台で生きているよう。「アシュトン・ダンサー」とは言われないヤナウスキーですが、これまで「ドリーム」、「エニグマ・ヴァリエイションズ」、「ウェディング・ブーケ」、そして「シルヴィア」を踊っています。「田園」はその中でも、とりわけ素晴らしい舞台でした。
 相手役のペネファーザー、著しい成長ぶりに吃驚。以前は、「演技がなっていない」と批評家からずっと叩かれていましたが、そのようなことをいわれることは、今後なくなると思えるほどいい踊り、そして演技でした。ヴェラを踊ったキーティングの固い演技を除けば、エイヴィスタケットも素晴らしく、至福の45分でした。
 時代遅れといわれようとも、ロイヤル・バレエにはアシュトンの「物語バレエ」をずっと上演しつづけてもらわなければ。そして、アシュトンを、さらに古典バレエもきちんと踊れるダンサーをリクルートすることを、願って止みません。

自分がいた場所がまた一つ:旭屋書店銀座店の閉店によせて

2008.04.21
今日、ネットでニュースを読んでいた時に、思わず目が止まったニュースは、旭屋書店銀座店が今月25日に閉店する、というもの。

http://www.47news.jp/CN/200804/CN2008041601000601.html

旭屋銀座店42年の歴史に幕 水道橋も閉店へ

 全国に40店舗近くを展開している書店大手の旭屋書店(本社大阪市)が、銀座店(東京都中央区、約460平方メートル)と水道橋店(同千代田区、約460平方メートル)を閉店することが16日までに分かった。銀座店は25日夕方で営業を終える。水道橋店は6月下旬に閉店する予定。

 銀座店は、戦後間もなく創業した旭屋書店の東京第1号店として1965年11月にオープン。約42年の歴史に幕を下ろすことになる。水道橋店は75年に開店した。両店舗とも都心の好立地で客を集めたが、同書店によると、人の流れの変化による売り上げ低下などが閉店の原因だという。

 関東では2005年に川越店(埼玉県)と渋谷店(東京都)が閉店。関西でも同年以降、千里中央店(大阪府)と京都店、さらに今年2月には桃山店(京都市)が店を閉じた。またネット上のオンライン書店も昨年12月、営業を中止した。

2008/04/16 17:52 【共同通信】



(この画像は、旭屋書店のウェブhttp://www.asahiya.com/から拝借)

 旭屋書店銀座店は、初めて自分でお金を稼いだ所。大学1年生の時(1985年)、11月から日曜・祭日のみのアルバイトをした。最近はどうなっているのかしらないけど、当時はアルバイトは1年間だけの契約だった。
 本が好き、本屋が好き、銀座が好きな自分にはまたとないアルバイトだった。確か担当したのは、文庫と新書。「担当」と言ってもやることは棚に穴があいたら倉庫から補充する、そんな単純なことだった。それでも、楽しかった。
 地元の小さな本屋とはけた違いの在庫、それまで存在すら知らなかった文庫・新書との遭遇(硬いところでは東洋文庫知的教養文庫から、フランス書院文庫ハーレクィン・ロマンス文庫とか)。ぶあつい海外翻訳小説の重さに、本の中で語られている今だ知らない世界のことを考えつつ、少ないアルバイト給料でその厚い小説を購入できるかどうか悩んだり。銀座店で働くのは、本当に楽しかった。
 当時の社員の皆さんも本が大好きな、気さくな方ばかりだった。「出版取次ぎ」という形態の会社のことを教わり、岩波書店の取次ぎは他の出版社と違うとか、大学では獲得できない情報を沢山教わった。
 1年間のアルバイト期間が終った後も、その後紀伊國屋書店新宿本店でアルバイトしていたときも、大学を卒業し、就職し、日本を離れた後も、銀座に行けば必ず立ち寄っては一緒に働いた書店員の皆さんと世間話をしたり、彼らお勧めの本を買って近くの喫茶店で午後ずっとその本を読み耽ったりした。今度の一時帰国のときも、必ず立ち寄るつもりだったし、それを楽しみにしていた。

 始まりがあれば、いずれ終わりもまたあるとは判っていても、悲しい。また一つ、自分の歴史に思い出が増える。




スペインの赤い貴婦人:The Duchess of Medina Sidonia

2008.04.20
2008年3月7日、スペインの貴族の中でも、最も歴史の長い家系出身のThe Duchess of Medina Sidonia、本名 Luisa Isabel Álvarez de Toledo という女性が71歳で亡くなりました。そして、彼女につけられたニックネイムは、「Red Duchess」。



http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/03/11/db1101.xml
http://www.guardian.co.uk/world/2008/mar/15/spain
The Duchess of Medina-Sidonia

 「ある」理由で彼女のことが気になり訃報記事を読むまで、この方のことは全く知りませんでした。記事によると、彼女の家系は1445年まで遡れるほどスペインでも最も歴史のある貴族の家系とのこと。その一方で、The Duchess of Medina-Sidoniaは貴族でありながら、スペインのカルロス国王を「His Royal Highness」ではなく「Mr」と呼ぶなど、自らはRepublicanであったようです。

 彼女の家系は、貴族としては「変わり者」が多かったらしく、彼女自身、「貴族」という立場に安穏としている他の皆さんからは疎まれることを若い頃からいろいろとしていたそうです。中でも彼女の名を轟かせ、貧しい人々から厚い信頼を得たのは当時のフランコ独裁に立ち上がったこと。
 1966年、アメリカ軍の爆撃機、Bー52がスペインの漁村に4発の核が積み込まれた爆弾を誤って落下させました。爆発はしなかったものの、放射能が漏れ、貧しい漁民達の生活に大きな被害をもたらしました。当時のフランコ独裁政権と米軍はこの事故を隠そうとしたようですが、The Duchess of Medina-Sidoniaは彼女自身の「位」を利用して巻き込まれた漁村に入り込み、のちこの事件を世界に知らしめたそうです。補償を勝ち取る行動を起こしたThe Duchess of Medina-Sidoniaは逮捕されました。独裁政権は、「沈黙」と引き換えに彼女の罪を帳消しにしようとしましたがThe Duchess of Medina-Sidoniaはそれを拒否し、8ヶ月間投獄されました。その結果、彼女は貧しい民衆から大きな支持を得、同時に体制側、そして他の貴族からは、「Red Duchess」と呼ばれるようになったようです。
 一時フランスに逃れていたRed Duchessは、フランコなき後の1970年代後半にスペインに戻りました。帰国後から亡くなるまでは、彼女の一族が長い間守ってきたスペインでも類稀な歴史的な蔵書・古書を管理することに没頭してきたそうです。が、亡くなる直前に彼女がしたことは、残された彼女の子供達への最後の衝撃でした。同性結婚が認められているスペイン、The Duchess of Medina-Sidoniaは20年間彼女の秘書として彼女を支えてきたパートナーの女性と結婚したそうです。
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/03/16/wduchess116.xml
Red Duchess wed lesbian lover to snub children

 The Duchess of Medina-Sidoniaに興味を持ったのは、まず彼女につけられた「Red Duchess」というニックネイム。これで、彼女が「コミュニスト」だったと即座に思う人もいるでしょう。The Daily Telegraph紙の記事よると、The Duchess of Medina-Sidoniaはそう呼ばれることを快く思わなかったそうです。何故なら彼女自身はコミュニズムを受け入れていなかったから。

 if she lived in a Communist state, "I would have to accept a whole series of things I don't accept: the loss of freedom of expression, of press, of gathering - precisely the deprivations against which I'm fighting in my own country." 。そして、 "If I had been born in a free country, I would not have been interested in politics"

 これまで読んでくださっている皆さんはお判りかと思いますが、僕の政治信条は世間一般からすると「左」と括られることでしょう。言い換えると、「右」でないことは確実です。今、政治のことをだれかれと話すとき、ロンドンではLeftwingerと友人・知人達には言っています。でも、僕はコミュニストではないし、そうなるつもりもないです。僕が望むのは、民主主義システムが機能するなんてもはや信じてはいないけど、でもできるだけ民主主義的な社会であって欲しい、と(ちなみに、現在のイギリスは資本主義、且つ金融市場至上主義国家であって、民主主義国家ではないと思っています)。
 この想いはずっともっています。が、若い頃はうまく言葉にすることは出来ず、また自分の考えが何とどう違うのかが見えていなかったように思います。「アカ」となじられたことも、実は何度かあります。いい気分ではなかったですし、悲しかったです。
 今回、偶然知ることが出来たThe Duchess of Medina-Sidoniaの言葉から思うことは、社会が混乱しているときに、たとえ不本意なレッテルを貼られても、自分が暮らす社会のことを、そして共に暮らす人々のことを常に考えることは、必要なことなのだろう、と。

 先行きが見えない経済、政治の不安定、食糧不足、エネルギー不足、水不足、地球の環境システムを蝕む脅威、そして宗教対立等々が渦巻く世界で、右か左か、改革(progress)か保守(conservative)かで悩んでいる人はイギリスにも沢山いるようです。
http://books.guardian.co.uk/review/story/0,,2274729,00.html
 とてつもなく読みづらい(少なくとも僕にとっては)記事ですけど、興味がある方もいるかと。

 別に、「こんな時代なんだから政治のことだけを考えるべきだ」、と人に強要するつもりはないです。それに、僕だって毎日毎日政治のことばかり考えている訳ではないです。そんなことしていたら、疲れます。ただ、政治は特別なこと、一部の人だけしか関わることができない、日々の暮らしからかけ離れたもの、ではないはず。食事で何が大切かが話されるときによく言われている、「身体に必要な栄養を摂る為に、毎日少しずついろいろなものを食べましょう」、というのと同じだと思います。昨晩観てきたバレエの感動を思い出しながら過ごした日の終わりに、少し政治のことを考える。あれこれと政治のことを思い考えた翌日に、庭園のベンチに座り薔薇の香りに包まれ、忙しく飛び回る蜂の羽音を聞きながら、いち日を無為に過ごす。そういうものだと思うんです。

 政治を、社会を、そして日々の暮らしを熱くそして普通に語ることが、「いけてる」と思われる日がくると良いなと希望して、書いてみました。




外から見た外国、内から見た外国

2008.04.19
日本の天気もすぐれないようですが、ロンドンは、思わず「早春賦」が口をついてでるほど花冷えの春になっています。

 先月、ねたになってもらったアメリカ人の友人(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-746.html)が、顔見せということでしょう、早速、イギリスにきました。ヒースロー空港のターミナル5は友人を歓迎したようで何の問題もなく、素晴らしい建築物だったそうです。

 友人がイギリスに来る前に、5月に3年ぶりに一時帰国することを伝えてあったので、「君が知らない日本を知る必要もあるだろうから、これで勉強しておくといいかも」と言うことで雑誌を持ってきてくれました。その中の一冊が、これ。



http://www.kanshin.com/keyword/1321569
http://pen.hankyu-com.co.jp/

 まず表紙を見ての感想は、「日本人、本当にイギリスが好きなんだな」、と。で、読み始めてすぐに気付いたのが、「知らない情報ばかり。僕が住んでいるロンドンは、この特集で取り上げられているロンドンとは違う所なのか?」。
 特集のタイトルは「ロンドン新世紀」になっていますが、半分以上の情報が、最先端の建築、デザイン、ギャラリーに関するもの。これらについては僕は日ごろ追いかけていないので、知らなくて当然といえば当然。でも、これほどマニアックな情報、日本にいる読者は本当に知りたがっているのだろうか?、と思わざろうえませんでした。当然ロンドン在住の専門のコーディネイターの助けがあってこそだと思いますが、ロンドンに住んでいるイギリス人だってここまでの情報を押さえているのだろうかと感じるほど情報は詳しいものです。
 「そうか、日本の読者がロンドンについて知りたいことって、ロンドンに住んでいるものには関係ないことばかりなのかな」、と。更に、違和感というか、大袈裟に言うと「断絶」に感じてしまったことがあります。「在住外国人が語る、この町の魅力とは」、というセクションで18ヶ国の外国人の皆さんにインタヴューして、ロンドンの印象を取り上げています。国籍は、近くはアイルランドから、遠くはネパールまで。職業もばらばらの18人が、それぞれロンドンの魅力を熱く語っています。同じ外国人として共感することばかりでしたが、「う~ん」と思ってしまったのは、そこにロンドン在住の日本人がいなかったこと。
 「日本人だって、ロンドンでは外国人なんだよ。どうしてインタヴューしなかったのかな」、と。些細なことなのかもしれませんが、気になりました。外国を知るために取得できる情報量は飛躍的に伸びているにもかかわらず、なんだか視点が全く変わっていない、そう感じました。

 あるブログで最近読んだことです。イタリア人の演奏家を招いて日本で催されたコンサートの幕間に、イタリア人気質を「amore(愛する)、cantare(歌う)、mangiare(食べる)が彼らの性格をよく現しています! 」と紹介したことを知ってしまった演奏家の皆さんは、ちょっとむっとしていたそうです。
 外国文化への思い込み、限定的な見方、そうあって欲しいという願望を持つのは日本人だけではない、ということは判っています。僕だって、イギリス人から日本について尋ねられる時に、「侍、芸者、茶道」のことばかりではげんなりします。また、日本人の僕が説明しているのに信用しないイギリス人に遭遇しようものなら、あからさまに不機嫌な態度を取るように心がけています。彼らが僕から聞きたいと願っていることは絶対に言いません。だって、それは真実ではないですから(と思いたい)。「日本人はもっと礼儀正しい国民だと思っていたのに」という捨て台詞を何度聞いたことか。気にしませんけど。

 ただ、ここまで言い放ってきてなんですが、僕自身、「日本に住んでいる人には、イギリスやロンドンのこのことを知って欲しい」という自分勝手な願望を持っているのだと思います。僕が知っているロンドンが、ロンドンの「全て」ではないにもかかわらず。


 ロンドン近郊で会議漬けの一週間を過ごしてきた友人がロンドンに戻ってきたので、彼がどんなとんでもない「イギリス」を経験したかを知りたくて、うずうずしていました。残念なことに、僕の悪意に満ちた期待を裏切って、本社で働く皆さんは良い方ばかりだったそうです。
 それでも幾つか。

 1)日程の前半、ロンドン西部のMarlowhttp://www.marlowtown.co.uk/)にて宿泊したマナー・ハウスのようなホテルの部屋の床が、最近改装したばかりにもかかわらず歪んでいた。
 2)Marlowの後に移動したHemmel HampsteadではHoliday Innに宿泊。ロンドンに戻る直前まで会議に出るので、チェック・アウトのときにフロント・デスクにスーツケイスの保管を頼んだら、「We are very sorry, but we do not have storage space for any luggage」と言われたそう。冗談かと思って重ねて頼んでみたものの、「預かれない」の一点張りだった。
 3)Hemmel Hampsteadからロンドンに戻る列車は、ユーストンEuston)駅につく。後500メートルでユーストン駅のプラットフォームに着くというところで、30分間停車。ロンドンから遠く離れた所で起きた信号故障の影響で、後500メートルというところにもかかわらず、何番線にその列車を迎え入れるかが30分もの間、決められなかったようです。
 4)「イギリス英語って、ちょっと変だよね。例えば、bespoke。知っているけど、まさか普通に使われるなんて思っていなかったよ」。と友人はいいつつも、アメリカでは使われない「Posh」を多用していたのが面白かった。

 なんにしても、理解者を得られるのは嬉しいもの。それが、友人に降りかかったトラブルでも。


[追記:4月20日]
 日本がゴールデン・ウィークに入る来週前半、ロンドン地下鉄の労働組合は、また、ストライキを計画しているようです。実施予定は、4月28日午前10時半から48時間。観光・仕事でロンドンに来られる皆さん、情報収集をお忘れなく。ちなみに、ストライキの「理由」はロンドン市長選への揺さぶりとのこと。彼らは、「労働組合」ではないです。

銀行すら金に弄ばれる時代に

2008.04.18
朝からなんだか臭かったイギリス。
http://www.guardian.co.uk/world/2008/apr/18/weather

 今朝のイギリス・メディアのトップ・ニュースは、国内第2位の銀行、Royal Bank of Scotlandの資金繰り悪化の報道。
http://www.guardian.co.uk/business/2008/apr/18/royalbankofscotlandgroup.banking



 当初はアメリカの「国内」金融問題と考えている人が多かったであろうサブ・プライム・ローンの悪化から派生した、クレディット・クランチ。イギリスでは既に、不動産ローン銀行国内第5位だったノーザン・ロックNorthern Rock)が事実上破綻し、国営化された。
 そのあとは、多くの金融機関が、Bank of Englandが国内景気の安定、浮揚のために実施した数度にわたる利下げにもかかわらず、クレディット・カードの金利を上げ、不動産ローン(Mortgage)の金利や手数料を上げて、なりふり構わずに現金を集めてなんとかこの苦境を切り抜けようとしてきたように思う。






(二つとも、2008年4月4日付のThe Daily Telegraph紙に掲載されたもの)

 国内経済の先行き不安、Resessionの現実味が日ごとに増す中、新規のクレディット・カードの申請は、その6割以上が却下されている。一方で、既存の顧客には、「借り換えローン」や「買い物したら金利は1年間は無料」と支出を煽り、暴利な手数料で稼ごうとしている金融機関。
 最近、日本のウェブ広告で、「借り換えローン」が如何に便利かを謳うものが目立ってきているように感じる。あたかも、借金が帳消しなるような煽り方。しかしながら、、「借り換え」は借金が減ることでも、まして消えてなくなることではない。それどころか、イギリスでは、手数料の割合を年利で計算すると、負債が増えることもあるようだ。こんな時代に、銀行が手をさし伸ばしてきても、それは旨い話では、決してない。

 敗者がいれば、やり方はどうあれ、そこには必ず「勝者」がいる。ただ、クレディット・クランチで「西側」経済が崩壊の危機にあるとき、その勝ち方に「信念」が有るとは思えない。
http://www.telegraph.co.uk/money/main.jhtml?xml=/money/2008/04/17/cnhedges117.xml
 世界経済を揺るがすきっかけとなったサプ・プライム・ローンに反する投資をしたことによる成功報酬が$370億。この人なりに、幸せなんだろう。でも、この男性の幸せを共有できる人はどれくらい居るのか。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-567.html

ある、ラファエル前派の絵の帰郷

2008.04.17
昨日、ひっそりと報道されていたのは、ラファエル前派に属するEdward Burne-Jonesによる「The Sleep of King Arthur in Avalon」が40年ぶりにイギリスに戻り、4月15日から2009年3月22日まで、ロンドン中心部、ピムリコにあるテイト・ブリテンで展示されるというもの。



Edward Burne-Jones
The Sleep of King Arthur in Avalon 1881 - 1898
© Museo de Arte de Ponce. The Luis A Ferré Foundation Inc, Ponce, Puerto Rico.. Photo: John Betancourt
Oil on canvas
277.5x635cm

http://arts.guardian.co.uk/art/news/story/0,,2273790,00.html
http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2008/04/16/batate116.xml

 記事によると、この作品は40年前に売りに出され、そのときにテイト・ギャラリーは購入することが出来たらしい。ところが、これは記事を読んだ上での推測だけど、ラファエル前派は当時、「時代遅れ」と捉えられ、また絵画があまりも大きいという理由でその機会を逃した。代わりに、イギリスの「ナショナル・トレジャー」と言えるであろう「The Sleep of King Arthur in Avalon」は、今ではプエルト・リコのナショナル・トレジャーになった、と。今回の展示は、テイト側が買い戻したというのではなく、プエルト・リコの美術館が改修されている間の貸し出し。
 テイト側も、当時の責任者がこの絵を購入しなかったのは判断を間違えたことを認めている。記者もやっぱり悔しそう。テイト・ギャラリーだってひっそりしたもの。トップ・ペイジで「What's New」とかで知らせればいいものを、検索して見つけたのは、会員に送付する雑誌の記事。
http://www.tate.org.uk/tateetc/issue12/visionaryoddity.htm

 個人的には、ラファエル前派は好きでも嫌いでもないので、この作者のことも絵のことも全く知らなかった。ただ、今回の「帰郷」を逃すと、あまりにも「イギリス」な題材を描いたこの大作を再びイギリスで見ることは叶わないと思う。それに太陽がさんさんと輝くであろうプエルト・リコでこの絵をみるくらいなら、海辺で日光浴でもしていたい。



 
 閑話休題。同じく昨日の報道では、今年、イギリスの夏は「good old British weather」が戻ってくるとのこと。
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/04/16/nweather116.xml
 一言でいえば、「雨もよく降るけど、晴れ間もあるよ」、と。そんな、いつもと変わらないじゃん。といいつつも、昨年の大雨の冷夏に比べれば「イギリスらしい夏」のほうが嬉しい。


[追記:4月17日]
今日のThe Daily Telegraph紙に、解説記事が掲載された。
http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2008/04/17/bapreraph117.xml
記事によると、「The Sleep of King Arthurin Avalon」と一緒にプエルト・リコから貸し出されたのは、Frederic Leightonによる「Flaming June」。



1960年代に、この絵が当時としては高額だったのかもしれないけど、たった£50-で売り出されて、しかもそれを買おうしたイギリス人がロイド・ウェーバーひとりだったという事実に、ラファエル前派の絵画たちの不遇の時代がうかがえる。

ダリッチ・ピクチャー・ギャラリー:Dulwich Picture Gallery

2008.04.12
ある方から聞いたところでは、ラ・ニーニャ現象の影響が有るらしく、というかいつものことですが天気が安定しない4月のロンドンです。

 やらなければならないことが幾つもあるも、何もやりたくない週末。そんなときに朝から青空が広がっていれば、PCに向って何か書いているよりも外に行こう、と。ということで二つの特別展示が気になっていた、テムズを越えたロンドン南東部、Southwarkサザックと発音します)区のDulwich Villageに有るダリッチ・ピクチャー・ギャラリーDulwich Picture Gallery)に初めて行ってきました。
http://www.dulwichpicturegallery.org.uk/

 二つ同時にかかっていた特別展示のうち、期待が大きかったのが、「COMING OF AGE: AMERICAN ART, 1850s to 1950s」。以下のリンクはプレス・リリースです。PDFファイルで開きます。
http://www.dulwichpicturegallery.org.uk/uploads/American%20Art%20Coming%20of%20Age%20-%20press%20release.pdf

 「Over the course of the one hundred years from the 1850s to the 1950s, American art and culture came of age, evolving from the provincial to the international」ということで、19世紀から20世紀にかけての100年間に観るアメリカ絵画の変貌・変化という主題はいたって判りやすいもの。新聞のレヴューでは、各紙で高く評価されていました。
 僕の期待も高かったんですが、結果としてだめでした。知識として知っていた「Hudson River School」系の風景画はまだ馴染めたのですが、時代が進むつれ、絵の抽象化と色の単純化が加速し、結果として僕自身は、それらが描かれた時代背景や画家本人の心情を読み取ることが難しく感じました。そういう時に、「絵」自体が発する磁場が強烈であれば惹きこまれることも有るとは思いますが、今回の展示作品、特に20世紀にになって描かれた作品からはその磁場を感じることもありませんでした。唯一引き寄せられたのが、ジョージア・オキーフによる、夜の海岸を描いたもの。オキーフの筆致を覚えていたために親近感が湧いた、というのが一因かと思います。砂漠、動物の頭蓋骨、巨大な花以外を描いたオキーフの絵を見たのは初めてでした。が、結局の所、今、僕自身の心がどれほどアメリカ文化から離れた所にあるのかということを実感できた、ということが収穫でした。
http://www.telegraph.co.uk/core/Slideshow/slideshowContentFrameFragXL.jhtml;jsessionid2C2XDGBSRCKFTQFIQMGSFF4AVCBQWIV0;j?xml=/arts/slideshows/comingofage/pixcomingofage.xml&site=Arts
The Daily Telegraph紙のウェブからのリンクです。展示された絵画何点かを見ることが出来ます。



 二つ目の展示は、逆に全く期待していませんでした。「COMING OF AGE」が面白かったら、観なくてもいいやとすら思っていました。その展示は、「THE AGONY AND THE ECSTASY: Guido Reni's Saint Sebastians」。17世紀、イタリアボローニャで活躍したGuido Reniが描いた「聖セバスチャン」7点のうち、6点を集めて一部屋で展示する、というものでした。
http://www.dulwichpicturegallery.org.uk/uploads/The%20Agony%20&%20the%20Ecstasy%20Press%20Release.pdf
プレス・リリース。

 ギャラリーの説明によると、このような企画自体が初めてだそうです。6点は、ダリッチ・ギャラリーが所蔵するもの、ジェノヴァ(イタリア)、ローマ(イタリア)、マドリッド(スペイン)、プエルト・リコオークランド(ニュー・ズィーランド)から。残る1点はルーヴル美術館が所蔵しているそうですが、絵の保存状況からロンドンに運ぶのは不可能だったようです。
 ヴェネツィア在住の友人のブログ(http://fumiemve.exblog.jp/)から学んだことですが、この時代のイタリアでは巨匠・著名な芸術家は工房を開き、同じ主題の絵を幾つか創作することがあったと理解しています。Reniという画家のことはまったく知りませんでしたが、恐らく何らかの理由でこの「聖セバスチャン」を7点描いたのだと思われます。
 同じ主題、さらにそれぞれの絵の印象にとても大きな差異は認められないとはいえ、プレス・リリースにある通り6作を見比べるのはとても興味深かったです。まず、添付の画像で明らかですが、セバスチャンの描かれ方が二通り。



両手を頭上で縛られているのは、ジェノヴァローマのもの。残る4作では両手は背後になっています。また、同じポーズのジェノバローマでも、刺さっている矢の数が違う、他のものも背景の陰翳の明度にかなり違いがある、また、セバスチャンの髪の毛の色も違っている等々。僕個人の印象ですが、最も鮮明な違いに思えたのが、セバスチャンの肌の色。ジェノバローマのものに描かれているセバスチャンの肌の色は、太陽光に照らされて暖かみを感じさせ、観る側に安心感を与える色。それに対し、他の4点では、月光の元、青白く暗い背景から浮かび上がり、捉えようのない不安感を煽られるような印象がありました。

 ダリッチに足を踏み入れたのは、今日が初めて。テムズ川の南、特に郵便番号がSESouthEast)で始まる地域には総じて後ろ向きな印象を拭えず、また地下鉄が走っていないこともあって交通の便が悪い印象があり、なかなか足が向きませんでした。
 で、行ってみて感じたことは、Dulwich Villageは砂漠の中にふと現れるオアシスのような一角。地域の中心の通りを歩いていて、極端な話、有色人種は僕を含めてほんの数人。しかも、聞こえてくる言葉は「英語」だけ。英語しか聞こえてこない通りなんて、今のロンドンでは殆ど無いに等しいのではないかと思います。ギャラリーの近所には、広大なダリッチ・パーク。犬を遊ばせたり、カフェで土曜日のランチを楽しんでいるのは、ほぼ「白人」。思わず、「ここはロンドン?」、と。

「凝って」いるイギリスの切手:海からのSOS

2008.04.12
4月11日金曜日、東京から友人が出張でロンドンにきた。ヒースロー空港のターミナル5での混乱に巻き込まれること無く、快適な空の旅だったそう。
 切手が好きな友人から、ロイヤル・メイルが3月13日に発行した「Mayday! Rescue at Sea」を購入しておいて欲しいと頼まれたのは、かなり前のこと。出張でロンドンに来ることが判ったので、プレゼンテイション・パッケージを購入。自分でも、既にファースト・デイ・カヴァーを受け取っていたけど、どうして友人がこの切手に興味があるのかは判らなかった。



 到着した夜に会ったとき、パッケージを友人に手渡した。

 友人:「ありがとう。これ欲しかったんだよ。僕がこれ欲しかった理由、言ったかな?」
 僕:「言ってないよ。昔、海で遭難したことがあるとか?」
 友人:「違うよ。切手、よく観てごらんよ」
 僕:「?????」
 友人:「切手の上辺と下辺の刻み、どう思う?」






 友人:「これ、モールス信号SOSになっているんだよ」。
http://www.norphil.co.uk/2008/03c-sea_rescue.htm

 イギリスらしいといえばあまりにもイギリスらしい、凝り様。この熱意を、業務改善にも向けて欲しいと思うのは、僕だけではないはず。

マダガスカルの自然(カエルの写真あり)

2008.04.12
先週、イギリスのメディアは、アフリカ大陸東海岸に浮かぶマダガスカル島に棲息する多様、且つ稀少な哺乳類、爬虫類、両生類等の写真を一斉に報じた。

http://www.telegraph.co.uk/core/Slideshow/slideshowContentFrameFragXL.jhtml;jsessionidB5SAHDSH2UEN1QFIQMGCFF4AVCBQUIV0?xml=/earth/news_galleries/madagascar1/madagascar1.xml&site=Earth
http://www.guardian.co.uk/environment/gallery/2008/apr/11/wildlife.conservation?picture=333496546
写真リンク
http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/7342411.stm
記事

 こういう生物の写真見ると、物珍しさを感じるよりも、地球が育む種の多様性に驚嘆するばかり。珍しい動植物を自分のものにしたいという欲望は理解できなくはない。だけど、人間の活動によってひき起こされる変化で、他の種が絶滅に瀕する状況が今以上の段階に行かなければいいと思う。




「まとも」なイギリスの切手:大聖堂

2008.04.09
先日は、変な切手を紹介したので(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-754.html)、今日はまとも、というかイギリスの切手はこうあるべきという感じの切手の情報を。

 変な切手の発売よりひと月早く、5月13日に、イギリスの有名な大聖堂をあしらった切手をロイヤル・メイルは発売する。これは、セント・ポール大寺院の完成300周年を記念しての企画とのこと。詳細は、以下のリンクに。
http://www.norphil.co.uk/2008/05a-cathedrals.htm






 こういう美しい切手が発売されるのはいい事だと思う。また、年間購買をしているので、手の込んだ封筒に切手が貼られ、その上に特別な消印が押されているのを手にするのは嬉しい。

 でも、今日はあまり喜んでもいられない。ぜんぜん気がつかなかったけど、4月7日からまた郵便料金が値上がりになった。これで4年連続の値上げ。その間、サーヴィスは坂を転がり落ちるようになんて可愛いものではなく、滝壷にまっ逆さまに落ちるかのごとく悪化。
 更に、開発から取り残された地方を中心に、2500もの郵便局の閉鎖が秒読みになっている状況では、気分はかなり複雑。
http://www.guardian.co.uk/uk/2008/apr/09/post.publicservices
4月9日付、The Guardian紙の特集記事。

 閑話休題。イギリスの切手に王、または女王の肖像があしらわれているのは、世界で唯一イギリスだけ自国の切手に国名を入れていないから、と友人に教えられた。

フランス人女性の誇り

2008.04.05
イギリスに住んでいると、隣国フランスへの、愛憎入り混じった報道を読む機会が頻繁にある。歴史、文化、意識等々、数年イギリスに住んだだけでは両国の違いを理解しているとはいえない。

 3月30日のThe Observer紙の付録雑誌の特集は、サルコジ政権の女性大臣の特集(写真はクリックで拡大します。雑誌からスキャンしたので、画像は荒いです)。
http://www.guardian.co.uk/world/2008/mar/30/nicolassarkozy.france



左が、Justice MinisterRachida Dati (42歳)、右はJunior Minister for Foreign AffairsRama Yada(31歳)。



左が、Minister for FinanceChristine Lagarde、右は Minister for Higher EducationValerie Pecresse(39歳)。

 別に皆さん、いつもこんな姿で仕事をしているわけではなく、これは、イスラエルのペレス首相を迎えての、公式晩餐会に出席する為のもの。雑誌には、普段着でサルコジ大統領と一緒に写真に収まり彼女達の姿も掲載されていて、そちらは至って普通。でもな。
 
 ドレスのセンスや着こなし、写真うつりのよさがイコール、素晴らしい大臣ではないけど、英仏を隔てるチャネル海峡は思っている以上に深いことを、改めて実感。

イギリスの切手:Carry On and Hammer Horror

2008.04.04
今日、The Daily Telegraph紙のウェブの写真セクションをうろうろしていて見つけたのが、以下の切手が6月10日にロイヤル・メイルから発売になるとのこと。
http://www.telegraph.co.uk/core/Slideshow/slideshowContentFrameFragXL.jhtml;jsessionidLMZBP3B0SVVA5QFIQMFCFGGAVCBQYIV0?xml=/news/2008/04/03/stamps/stampspix.xml&site=News


















 図柄を見て、いくら冗談がまかり通るイギリスでも、これは悪ふざけだろうと思ったら、本当に発売される。

 題材になっている映画(テレビ番組?)については全く知らないので、個人的には何の感慨もないけど、この番組に思い入れのある人、切手コレクターには受けそうな気がする。それにしても、エリザベス女王の横顔と一緒にドラキュラや、フランケンシュタイン、笑っているスフィンクスがあるデザインというのは、シュールだと思う。

http://www.royalmail.com/portal/stamps/jump1?catId=32200669&mediaId=32300674
ロイヤル・メイルの切手情報
http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-683.html
007の切手
http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-712.html
働く犬達の切手

賛否渦巻くイギリスの新しい硬貨

2008.04.03
「夏」時間になったのに、今週の日曜日、ロンドンの天気予報は「」です。しかも日曜日だけ。

 イギリスでは今年の夏から、2ポンド硬貨を除く6種類の硬貨の裏側のデザインが一新されます。その新しいデザインが、昨日、4月2日に発表されました。写真をご覧いただければ判るように、「英国章」を6分割してあります。



 1999年にイギリスに来て以来、確か紙幣に使われる肖像画が何度か変わったことがあるはず。でも、昨年だったか、デザインや素材が大幅に変更された20ポンド紙幣以外は、殆ど宣伝されず気がついたら変わっていた、というのがイギリスという国だったはず。ところが、今回はどういうわけか、数日前からラジオのニュースで、「50ペンス硬貨のブリタニアがああだこうだ」、というニュースを何度も耳にしました。
 デザインが発表されて、どうしてだかわかりました。1672年以来使われてきた「ブリタニア」の肖像が、新しいデザインでは使われないことが確定したからです。この決定に不服を持つ人はたくさんいるようです。というのも、「ブリタニア」は「統一国家(United Kingdom)」の象徴。大量に押し寄せる移民に揺れる国内の統合を目指しているにもかかわらず、その象徴である「ブリタニア」を外すのはおかしいじゃないか、というのが新しいデザインに不満を抱いている人たちの意見のようです。メディアの反応も様々。保守ばりばりのThe Daily Telegraph紙のトーンは不満に傾き、逆にリベラル傾向にあるThe Guardian紙は淡々と事実だけ、という感じです。

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/04/02/ncoin102.xml
http://arts.guardian.co.uk/art/design/story/0,,2270354,00.html?gusrc=rss&feed=uknews
http://news.bbc.co.uk/1/hi/magazine/7328107.stm
BBCのリンクには、新旧のデザインが掲載されているので、どう変わるのかが良く判ると思います)

http://www.telegraph.co.uk/core/Slideshow/slideshowContentFrameFragXL.jhtml;jsessionidHETZDMEHFEYCTQFIQMFSFGGAVCBQ0IV0?xml=/news/2008/04/02/coin/coinpix.xml&site=News
http://www.guardian.co.uk/uk/gallery/2008/apr/02/photography?picture=333362378
写真リンク

 「ブリタニア」が使われない新しいデザインは、エリザベス女王も承認したと書かれていますが、女王の立場としては反対したくてもできないのではないかと考えます。僕も、このデザインには居心地の悪さを感じます。
 写真のように、1ペンス、2ペンス、5ペンス、10ペンス、20ペンス、50ペンスの6枚を集めれば、壁に空いた6箇所の穴から隠されている「英国章」が見えてくる、という印象でこれはまだ受け入れられます。でも、単体で見ると、特に20ペンスと50ペンス硬貨で顕著ですが、すわりが悪いというか、中途半端、言い替えると整合性の欠落が非常に気に触ります。






ア・シンメトリーならまだ良かったと思います。が、なんというか、見たいものを出し惜しみされているように感じます。ま、いつものことで、こんな風に思うのは僕だけかもしれません。

 日曜日、ブリタニアのご加護で晴れますように。

1年

2008.04.01
The Royal Air Forceの何かの90周年だったらしい。









http://www.telegraph.co.uk/core/Slideshow/slideshowContentFrameFragXL.jhtml;jsessionidWOOI4M3CKH2IPQFIQMFSFFWAVCBQ0IV0?xml=/news/2008/04/01/arrows/arrowspix.xml&site=News

 ブログをリアルタイムでアップし始めたのは、2007年4月下旬(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-113.html)だから、丸1年ではないけど、まあ1年。誰かに頼まれて書いているわけではなく、好き勝手に書き散らかしているものだけど、読んでくださる皆さん、この1年、ありがとうございました。
 ちょっとペイスが落ちるかもしれないけど、これからも興味を持ったこと、憤りを感じたことや、もちろんバレエ等のエンタメの感想もずっと書きつづけていければと思っています。溜め込んであるトピックの中でトップに有るのは、「The Red Duchess in Spain」、「字を読めないイギリス人の苦しみ」、「持つと持たぬと」、「著名人は政治に圧力を掛けるべきか?」といったところですが、いつ書けるのか自分でも判りません。

やっぱりペンギンは空を飛べるんだ!

2008.04.01
夏時間が始まった途端、ロンドンはそこそこの天気が続いています。これ以上のことを望んだら、またろくでもないことをこの国はしでかすのではないかと、逆に心配になります。

 まず、下の記事を読んでください。

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/04/01/npenguin101.xml&CMP=ILC-mostviewedbox
Flying penguins found by BBC programme
By Neil Midgley, TV & Radio Editor
Last Updated: 1:11pm BST 01/04/2008

The BBC will today screen remarkable footage of penguins flying as part of its new natural history series, Miracles of Evolution.Camera crews discovered a colony of Adélie penguins while filming on King George Island, some 750 miles south of the Falkland Islands.



(ヴィデオにはリンクしていません)

The programme is being presented by ex-Monty Python star Terry Jones, who said: "We'd been watching the penguins and filming them for days, without a hint of what was to come.

"But then the weather took a turn for the worse. It was quite amazing. Rather than getting together in a huddle to protect themselves from the cold, they did something quite unexpected, that no other penguins can do."

BBC1 viewers will see the penguins not only take flight from the Antarctic wastes, but fly thousands of miles to the Amazonian rainforest to find winter sun."The film reveals nature's stunning glory in exciting and unexpected ways, so much so that it defies belief," said Mr Jones.




"Not only does it create a vivid and emotional experience for the viewer, it also illustrates just how bold and simple Darwin's idea of natural selection was."



Well done, Brits! 



 バスに揺られて、テレグラフ本紙の記事を読んだ時は、ウェブほど写真があからさまに胡散臭くなかったので、「ペンギンが空を飛べる事実が、どうしてトップ・ニュースじゃないんだ?」、と。ほんの数秒、思考が止まりました。で、「あ、エイプリル・フールか」。

 この「ペンギンが空を飛ぶ」ニュースは、一緒にやったのか便乗したのかはわかりませんが、BBCThe Daily TelegraphThe Daily Mirrorの3社が取り上げ、一番インパクトがあったようです。以下のテレグラフのリンクには、他にどんなねたがあったのかが書かれています。

http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2008/04/01/napril201.xml 

 フランス人並のファッション・センスをイギリス人に持たせるための指南として、ゴードン・ブラウン首相が、フランスのサルコジ大統領のカーラ夫人をリクルートした(The Guardian)、そのサルコジ大統領は極秘にスイスで背を伸ばす手術を受け、術後はジュネーヴにある「Poisson d'Avril(フランス語でエイプリル・フールの意)」医療センターで過ごす(The Sun)等々。自分たちのペンギンのニュースを「エイプリル・フール」としていないのは、自分たちのニュース「だけ」は本当なんだよ、といいたげです。 
 日本風にいえば、年度初めに気持ちよく笑えました。ただ、問題が一つ。今後暫くは、どの記事を読んでもすぐには信じられないだろうな、と。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/magazine/7324127.stm
 上記のリンクにあるニュースは、嘘のような本当の話だそうで。信じます?

 〆は、MATTから。これが「エイプリル・フール」のままだと困るんですけどね。




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