LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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2009年03月の記事一覧

カプレティ家とモンテッキ家

2009.03.31
数年前に観た同じプロダクションでは、主役の二人を歌った歌手の見栄えに痛く落胆したので、観るつもりのなかった、ベッリーニの「カプレティ家とモンテッキ家」。が、こちら(http://dognorah.exblog.jp/11019393/)で、ロミオを演じたラトヴィア出身のメゾ・ソプラノ、エリナ・ガランチャの歌唱に興味がわき、3月5日に観てきました。観にいくことができて、本当に良かったです。



(ジュリエット役のアンナ・ネトレプコ

 シェイクスピアの原作には、なんら感じることはないので、目的は主役の二人のみ。ネトレプコは、僕はいつも彼女の声と外見に何らかの差異を感じてしまうのですが、この夜も声は絶好調。椿姫(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-694.html)のような感涙にまではいたりませんでしたが、人の声の美しさを存分に味わうことができました。


(ロミオを演じたガランチャ

 しかしこの夜のヒーローは、ガランチャでした。歌はいうに及ばず、演技、ステージ・マナー、立ち居振る舞いのすべてが完璧。厚化粧しなくても、凛々しい女性は、凛々しい男性になれることを証明していました。今回は、ネトレプコでなくて、ガランチャを聴きにもっと行きたいのですが、ほぼ完売状態のようです。



 ネトレプコガランチャの二人の女性に比べて、男性陣の存在感は無いに等しいものでした。居なくても良かったのではないかと感じたほど。それと、このオペラ自体、構成としては、第一幕のほうがより見応えがあるように感じられて、バランス感が偏ったオペラかな、という印象がぬぐいきれません。が、もともと、物語が破綻していることのほうが多いベル・カント・オペラに期待するのは、ひとえに歌手の力量とスター・オーラ。ネトレプコガランチャというドリーム・キャストを押えたロイヤル・オペラに拍手です。

 今回の上演は、売れっ子のネトレプコのスケジュールにあわせたと思われますが、とても変則で、3月上旬に3公演、昨日の30日から残り4公演というもの。ネトレプコは、今回の上演を前にして、「私はキャンセルなんてほとんどしたこと無いのよ。前回の降板(椿姫)は、本当に体調がひどかったの。今回は、平気よ」、と言い切っていましたが、ロンドンのオペラ・ファンは彼女がキャンセルするであろうことは織り込み済み。ええ、しました。
 で、その代役に抜擢されたのが、ロイヤル・オペラ・ハウスの若手育成プログラムに昨年秋から参加している中村恵理さん。大成功だったそうです。彼女は、5月の「愛の妙薬」で役がついているので、今からとても楽しみです。

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NINAGAWA十二夜、ロンドン公演(3月24日)

2009.03.31
最近、いろいろなことがありすぎてなかなかエンタメにいけないのが残念ですが、それでも3月はまったく趣の違う舞台を4作観ることができたので、それだけでも幸運なことだと思っています。

 先週、3月24日から28日まで、ロンドン中心部のバービカン劇場で、蜷川幸雄演出による新作歌舞伎、「十二夜」が上演されました。詳細はこちらを。
http://www.kabuki-bito.jp/juniya/
 これの英語版を読んで、僕は松竹の熱意に感動しました。というのも、幾つかの単語の綴りがきちんとブリティッシュ・イングリッシュになっているんです。よっぽどいい翻訳者に出会えたのか、松竹内部にイギリスのことを詳しく知っている人がいるのかもしれません。些細なことかもしれないですが、このような細部まで目が行き届いていることには感心しました。

 この「十二夜」、バービカンの年間プログラムの中では、「bite09」という演目カテゴリーのひとつであり、日英修交150周年のイヴェントのひとつでもありました。イギリス国内の日本人コミュニティにとってもこれほど大きなイヴェントは久しぶりでしたので、すでに何人かの方がブログに感想をアップされています。本筋は、そちらで感じてください。
http://dognorah.exblog.jp/11192077/
http://ameblo.jp/peraperaopera/entry-10233028181.html
(毎度事後承諾ですみません

 僕は蜷川さん演出の舞台を観たことがなかったので、今回が初めてでした。ただ、何度もイギリスで公演しているからでしょう、こちらの演劇批評家にとっては幾つかの場面でいかにも「蜷川」演出と感じられることがあったようです。たとえば、第一幕冒頭、織笛姫への恋情に身を裂かれる思いの左大臣の背後に広がる桜。鏡を使った効果によって、まるで左大臣が自身の心の迷路に迷い込んだのではと思わせるほどの桜迷宮という趣でした。ある批評家によると、この桜の使い方は,ある批評家によれば、「蜷川演出」の好例だとか。
 舞台は、鏡、回り舞台、そして歌舞伎の伝統的な舞台効果が合わさって見ごたえのあるものでした。ただ、大体どの批評家も指摘していましたが、長かった、と。つい最近、どこぞで「十二夜」が上演されたそうですが、それと比べると1時間以上も上演時間が長かったようです。
 台詞はすべて日本語でしたので、英語字幕が。原作からの台詞と歌舞伎固有の台詞をイタリックと普通の表記で書き分けるという努力は認めますが、日本人にはわかる細かなニュアンスの違いまでは伝えられていなかったのが残念でした。
 
 逆に、日本人からすると、何でこんなところで笑い(主に失笑)が起きるのか、という場面が幾つかありました。特に、織笛姫(中村時蔵)。時蔵さんの所作、振る舞い、身のこなしはたおやかなもの。歌舞伎の女形役者としては、素晴らしい方であることは瞭然。では、どうして失笑が起きたのか、それは男が「女」を演じる(その逆もあり)ことをどう捉えるかの文化の違いかな、と思いました。
 イギリスに限れば、男性が「女性」役を演じることは普通です。年末好例のパントマイムでは、脇役ながら存在感を出す女性を男性が演じます。また、バレエでも、ロイヤル・バレエのレパートリーのひとつ、フレデリック・アシュトンの「シンデレラ」でのアグリー・シスターズは男性ダンサーが踊ることが圧倒的に多いです。
 ただ、イギリスの場合、そのような「トランス・ジェンダー」役の大半は、「女性になりたい男性の、おかしくも悲しい物語」という、本流にはなれない悲しみ、見下ろされるという雰囲気があるように感じられます。
 現在、ロンドンでは、「プリシラ:砂漠の女王」というオーストラリアからのミュージカルが上演されています。

http://www.guardian.co.uk/stage/gallery/2009/mar/24/priscilla-queen-desert-west-end?picture=344974289

 偏見ですけど、僕はこの写真からはイギリス人がドラッグ・クィーンの皆さんに向けているであろう「悲哀」という雰囲気を強く感じます。翻って、歌舞伎の女形の場合、「なれないけどなりたい」ではなくて、「なれるし、なりきれる」という美学が根底にある。その違いを、今回の「十二夜」はイギリスの観客に伝えることはできていなかったのではないかと。
 
 個人的にもうひとつ気になったのは、歌舞伎は「踊り」なのか「演劇」なのか、ということ。僕は今回の舞台を観終わって、歌舞伎はオペラ同様「総合芸術」であると鮮明に感じました。
 で、確か菊五郎さんだったと思うんですが、今回バービカンという「劇場」で上演できることは、イギリスの観客の皆さんに歌舞伎を「演劇」としみてもらえる、というようなことをインタヴューで答えていたような(間違いであれば訂正します)。
 今月上旬、サドラーズ・ウェルズで、シルヴィ・ギエムの新作(これもトランス・ジェンダー、というかセクシャリティが主題)が上演され、当然初日、最前列ど真ん中で。
 それはさておき、会場でサドラーズの芸術監督である、スポルディング氏に「十二夜」を観にいくか尋ねたところ、「僕は、できれば伝統的な歌舞伎を見たいな。歌舞伎が作り出す演劇空間は素晴らしいからね。また、サドラーズでも上演できればと思っているよ」、とのことでした。
 確かに、最近のサドラーズは、「ロンドン・パワー・ダンス・ヴェニュー」と称されるほどのステイタスを確立していますが、上演されるものは踊りだけには限りません。まして、踊る側だって、「踊り」だけを見せるためにやっているのではないと思うんです。「踊り」から生み出される「物語」、それを観客は望んでいると思います。

 菊之助さんが演じた、「獅子丸」と「琵琶姫」は歌舞伎だけでなく演劇の歴史の中で語り継がれる素晴らしいものだったと思います。女形(琵琶姫)として舞台にいながら男役(獅子丸)になりきるという、二重、三重にも反転した役柄を見事に演じ分けていました。このような心理的な葛藤を抱える役は、イギリス人は大好きなはず。
 観客、批評家双方から大いに受けていたのが、市川亀治郎丈。彼の存在感は言葉の壁、そして文化の壁を取り払いました。
 もうひとつ、個人的にとても印象に残ったのは、左大臣を演じた中村錦之助さん。もちろん演技もですが、彼の姿勢の美しいこと。彼が舞台に出てくるたびに、「和」という言葉が浮かんできました。

Doctor Atomic:オペラが描く原子爆弾と科学者の懊悩

2009.03.30

(今回のロンドン公演のポスター)

穏やかな春の一日、イギリスは法務大臣の旦那が自宅で見たポルノ映画の料金を「必要経費」として計上した上に、しかも支払われたというスキャンダルにゆれ、ロンドンはG20サミットのために明日にも都市機能を停止するのではないかと。

 ジョン・アダムズ(John Adams)という、アメリカ人の作曲家をご存知でしょうか?付け焼刃ですが、アダムズはそのミニマリズムの作曲法でよく知れているそうで、クラシック音楽の部類でも、現代物を好む音楽ファンには絶大な人気を誇っているようです。
 現代ものが苦手な僕にとっては、名前は知っていても、音楽的には最も遠い場所にいるのがアダムズ。以前、アメリカ人ソプラノのドーン・アップショウの歌を聴きたくて、アダムズの「エル・ニーニョ」というのをバービカンで聞いたのですが、まったくだめでした。

 で、そんなアダムズが作曲したオペラ、「ドクター・アトミック」を観にいった理由は、二つあります。まず、世界で唯一、原子爆弾を落とされた国である日本で生まれ育ちながら、原爆の歴史について何も知らないことへの反省。二つ目は、アダムズの政治的たち位置です。
 このオペラは、2005年にサン・フランシスコ・オペラで世界初演になりました。その後、アメリカのどこかでは再演されたようですが、今回がイギリス初演。今回の演出は、2008年秋にニュー・ヨークのメトロポリタン歌劇場で新演出により上演されたもので、初演時より短縮されているそうです。
 そのメトでの上演の直前、BBCのインタヴューに答えたアダムズは、本国アメリカで当時のブッシュ政権から危険思想の人物と目され、常に国家監視されていた、と。

I'm blacklisted, says opera maestro
http://www.guardian.co.uk/music/2008/oct/19/classicalmusicandopera-usnationalsecurity

 こうなったのには伏線があります。記事にあるように、彼が20年前に作曲した「The Death of Klinghoffer」というユダヤ人殺害の事件を描いたオペラ、また、時の国務長官、ヘンリー・キッシンジャーを批判した内容を盛り込んであるらしい「Nixon in China(未見です)」により、共和党政権から、「左派」として常に監視されることになった、と。
 僕自身、アダムズの政治信条は知りませんが、思うに「左」というより「リベラル」とされるべきなんだろうな、と。ちょうどアダムズのインタヴューと同じ時期くらいに、ガーディアン紙がブッシュ政権の元、いかに政治的にリベラルな文化人が差別・冷遇されてきたかという特集記事があり、観てみようと思ったしだいです。
 ちなみに、「ニクソン」はすでに「ドクター・アトミック」同様、イングリッシュ・ナショナル・オペラのレパートリーになっています。すでに少なくとも2回は上演されていて、現代オペラとしては異例の人気演目です。
 「クリングホッファー」についてはこちらをご参照ください。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Death_of_Klinghoffer

 誰が作曲したオペラだか知らないまま、偶然ラジオで聞いたことがあります。神経をじわじわといたぶられるようなコーラスのパワーに圧倒されました。このオペラのCDは、いつもHMVで叩き売られているので、進んで買いたがる人はあまりいないようです。



Doctor Atomic by English National Opera

John Adams: Composer

Peter Sellars: Libretto

Penny Woolcock: Director


Gerald Finley: J. Robert Oppenheimer (Baritone)

Sasha Cooke: Kitty Oppenheimer (Soprano)

Lawrence Renes: Conductor



 オペラの舞台は、ニュー・メキシコにある、ロス・アラモス研究所。マンハッタン計画の大詰め、1945年の6月と、7月15日の様子が、オッペンハイマーを中心に描かれます。
 音楽的には、結果として拒否反応は出ませんでした。逆に、打楽器の多様な使い方や、「クリングホッファー」でも強く印象に残った独特のコーラス・ワークには感心しました。個人的に出色の出来だった旋律は、第一部最後の場面。
 2005年の初演時からオッペンハイマーを演じているフィンリーの歌唱は、精神的にとてつもなく難しい役にもかかわらず、緊張感を失うことがなく、彼のキャリアの代表作のひとつになることは間違いなしのすばらしいできでした。


ジェラルド・フィンリー

 物語の中に、「アメリカだって仕方なく原爆を作ったんだ」という自己肯定的な思想が入っていなかったのは、僕個人としては受け入れ易かったです。ただ、軍関係者が、科学者の懊悩とは別の場所で、原爆投下の候補地を挙げている場面では、なんとも形容しがたい感情がこみ上げてきました。
 オペラの最後は、水を求める日本人女性の声が流れます。英語の字幕が流れましたが、それが何を意味するのかを理解できたイギリス人の聴衆はいたのだろうか、と。
 でも、先週、このような記事がイギリスで報道されました。

A little deaf in one ear - meet the Japanese man who survived Hiroshima and Nagasaki
http://www.guardian.co.uk/world/2009/mar/25/hiroshima-nagasaki-survivor-japan

 広島と長崎、双方で被爆した男性についての記事です。

 初日を前に、ガーディアンに掲載されたフィンリーのインタヴューによると、この「ドクター・アトミック」は、日本での上演の話もあったそうです。が、残念ながら、その計画は立ち消えになってしまったそうです。計画が消えた経緯は判らなくもないです。が、このオペラを観て思ったのは、「日本で上演される意義のあるオペラではないか」、ということでした。

外国人から見たNHSという医療制度の一断面

2009.03.29
大荒れの天気だった土曜日の後は、寒いけど穏やかな日曜日を迎えたロンドンです。嵐(G20サミット)の前の静けさかもしれないですが。

 先日、友人を病院に送り込んだこと(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-990.html)までは書きました。その後、時間はかかっているものの、友人の回復の具合は上向きになってきたようで、ご家族ともどもようやくこちらの緊張もほぐれてきた感じです。

 で、友人の了解を得て、実際に見聞、体験したNHSについて。これはあくまで僕個人の経験なので、一般論としては捉えないでください。

 友人が運ばれた病院は、ロンドンだけでなく、おそらくイングランド・ウェイルズでも最新、最良であろうUCL Hospitalhttp://www.uclh.nhs.uk/)。





ロンドン大学のカレッジのひとつである、University College of London付属の大学病院で、イギリス国内でも有数のTeaching Hospitalとのことです。ロンドン大学付属だとほかに、St Mary’s(Imperial College、パディントン駅に隣接)や、King’s College Hospital(ロンドン南部)があります。
 友人の病状が重篤だったとはいえ、彼が幸運だったのは、すぐに専門家の手に委ねられたこと。NHSの評判を悪くしている要因のひとつは、実際に専門医に会えるまでの時間の長さ。GP(一般医)からの紹介があったとしても、時には半年も待たされることがあるらしく、この待ち時間の短縮が重要課題のひとつだそうです。 

 メディアでNHSが取り上げられるのは、ほぼ決まって悪いことがおきたときばかり。ですから、僕自身、NHSへのイメイジは良いものではありませんでした。それでも、得がたい体験になるであろうからブログのねたになるであろうと思いつつ、まず面食らったことがあります。
友人の付き添いで病院に到着し、部屋に通されて僕が最初に看護婦に求められたのは、ある書類への署名でした。その書類とは、「何かなくなっても、また仮に盗まれたとしても、病院側には一切の落ち度はないことを了解します」、との誓約書。
 「ちょっと待て。それは、病院内に、泥棒がいることを認めていることではないのか?」、と。イギリス人のほかの友人たちも異口同音に、「入院患者がお金を持っているのは薦められることではないよ」、とのこと。これは本当に不思議でなりませんでした。共通の友人であるアメリカ人のMにこのことを話すと、「やっぱり、クラス社会の影響じゃないのかな」、と。僕もこの意見に同意する一方で、このような状況になってきたのは過去10年くらいの間との意見も聞きました。

 UCLは数年前に建て替えられたこともあって最初に書いたように、設備は最新、病室内も本当にきれい。昨年、NHSの別の問題として大きく取り上げられた院内感染とは無縁に違いないと確信するほど。特に看護婦・看護師の皆さんの働きぶりをみると、これで文句を言うやつは罰当たりに違いないはず。で、その罰当たりは、友人でした。
 入院して最初の数日は、週末をはさんだこともあって、救急病棟でした。抗生物質の大量投与の影響で、判断能力がいつもより下がっていたことはあるのだと思いますが、何人かの看護士や、配膳係りの皆さんの英語が不明瞭で不安になると。看護婦の何人かはフィリピンや東欧からの移民のようでしたが、彼らの英語はもちろん流暢。でも、興味を惹かれたので、コースの同僚に、NHSの病院内で実際の医療の場で働く人への英語力テストはあるのかを尋ねました。同僚は、ロンドン南部にある、メンタルヘルス専門NHSで薬物依存症患者をサポートするソーシャル・ワーカーとして働く、北部イングランド出身の生粋のイギリス人。
 同僚は英語が母国語ですから、そのようなテストがあったとしても受ける必要があるわけもなく、聞いたことがないとのこと。ただ、患者の治療・看護に当たる職種では、英語が母国語でない場合、コミュニケイションができることが当然なのだから、語学テストはありうるだろうとのことでした。語弊があることは承知の上で、「生粋」のイギリス人人口は減少傾向にあるようですから、「外国人」医療従事者はすでに不可欠。「」英国人に頼り、それを社会が受け入れることはイギリスの日常なのだと思います。
 確か日本では、フィリピンやインドネシアから看護士等を受け入れることになったとの報道を読みました。彼らが職業を全うするために日本語を学ばねばならないことは必然だと思います。ひとつ納得できないのは、日本にやってきて、日本語という「外国語」を学びながら国家試験に受かったとしても、彼らが日本にいることが許されている時間は、たったの7年間。その7年になれば、日本を去らなければならない、とのこと。同じく外国で暮らし、母国語でない言葉と格闘しながら暮らしている僕の目には、なんて理不尽な制度としか映らないです。

 ひとつ、まさにイギリスと思ったことがあります。それは、ほぼ1時間ごとに、「Tea or coffee?」と係りの人が来ること。運よくその場に居合わせると、たまにご相伴に与っています。ま、大しておいしくはないですけどね。

 最近の報道からは、過去10年くらいの間に溜まった膿がようやくできったような印象を持つこともあり、イギリス社会のNHSへの印象も良くなりつつあるように感じます。その一方で、先週、イングランド中部のあるNHSの救急医療部門で、過去数年の間の患者の死亡率が異様に高いことが報告され、改めてNHSの意義を問う声が高まっているのも事実。

Patients dying “unnecessarily” at Stafford Hospital
http://www.telegraph.co.uk/health/heal-our-hospitals/5066571/Patients-dying-unnecessarily-at-Stafford-Hospital.html

 今回、働く医師や看護婦、ケア・テイカーの皆さんの姿を目の当たりにすると、こんな大変な職業に就いている人たちがどうして槍玉に挙げられるのだろうと思うことしきりです。以下のリンクにありますが、問題は、現場の人間より、マネジメントにばかり予算を取りすぎている、いわばイギリスの悪しき「役所主義」が深くはびこっているからなのではと。

'Cure the NHS with far fewer managers'

http://www.telegraph.co.uk/comment/personal-view/5062266/Cure-the-NHS-with-far-fewer-managers.html

 友人や知人にNHSへの印象を尋ねると、実際の体験に基づいて、罵る人もいれば賞賛する人も。一人の外国人としては、NHSの行く末は良くわからない、というのが正直な印象です。
 友人が入院してすでに2週間超。おそらく、もうしばらく入院が必要なようですが、24時間完全介護のすべてが無料というNHSという制度は、素晴らしいものだと今は感じます。今回の体験を通して強く感じるのは、NHSという医療制度が瓦解したら、イギリス社会も崩壊するのではないかということです。
 それと、個人的には、「人を助けるとは、自分にとってどういうことなのか?」、というごくごく初歩の質問を改めて自分に問う機会にもなりました。

 最後に。看護や介護に手を出さない人間は、口を出すな、これは鉄則ですね。入院している友人の別の友人から、「僕だったらこうしてあげられるのに」、と。はっ倒したくなりました。

歌舞伎「十二夜」のロンドン公演

2009.03.24
*著作権は社団法人共同通信社に帰属します。引用・転載はしないでください。

歌舞伎「十二夜」のロンドン公演の初日は熱狂につつまれる
蜷川幸雄演出による歌舞伎がロンドンで大成功


歌舞伎「NINAGAWA十二夜」が、24日ロンドン中心部にあるバービカン劇場で初日を迎え、同劇場を満杯にした英国の演劇ファンを大いに沸かせた。カーテン・コールではスタンディング・オベイションになり、大成功に終わった。
 「十二夜」は歌舞伎俳優の尾上菊之助が演出家の蜷川幸雄に依頼した歌舞伎の新しい舞台。物語はシェイクスピアの作品のひとつ「十二夜」を基にしているが、原作の雰囲気が歌舞伎の伝統や様式美と融合し、ひとつの文化にとらわれない普遍的な魅力に満ちた舞台だ。
 日本では2005年に初演され、再演されてきたが、海外での公演は今回が初めて、それもシェイクスピアが生まれた英国での上演ということで、「このような冒険は久しぶり(蜷川)」、「蜷川さんに依頼したとき、ロンドンで演じることは考えられなかった(菊之助)」と緊張を感じていたようだ。だが、「日本を感じてもらいたい」という菊之助の力強い言葉のとおり、今回の公演への彼らの熱意は歌舞伎を総合芸術としてロンドンでも結実させた。
 俳優たちは、移動の疲れなどまったく感じさせず、すばらしい演技だった。尾上菊五郎の存在感は、舞台を引き締めていたことは疑いがない。また、腰元を演じた市川亀治郎が、シリアスな面、コミカルな面を巧みに演じ分け、観客は大いに受けていた。しかしながら、一番の注目を集めたのは、3役をこなした菊之助だ。早がわり等の歌舞伎の伝統芸で観客をうならせる一方で、女形として『琵琶姫』を演じるとき、舞台にいるのは男である「獅子丸」という心理的にはとても複雑な役を自然に演じていた姿は、英国の演劇ファンに歌舞伎という舞台芸術が持つ深みを見せたことだろう。
 ロンドンでは28日まで同劇場で公演。6月に東京の新橋演舞場、7月に大阪松竹座で公演される。

ジョン・エヴェレット・ミレイの風景画

2009.03.22
ラファエル前派に属する画家、ジョン・エヴェレット・ミレイJohn Everett Millais)の風景画の傑作が、画家の曾孫によって、英国のテイト・ギャラリーに寄贈された。

Dew-Drenched_Furze _1890

Millais landscape donated to Tate
http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/arts_and_culture/7935240.stm

Major late landscape by Millais, Dew-Drenched Furze, donated to Tate
http://www.tate.org.uk/about/pressoffice/pressreleases/2009/18091.htm

Great-grandson of artist Millais donates one of his major landscapes to Tate
http://www.telegraph.co.uk/culture/art/4967342/Great-grandson-of-artist-Millais-donates-one-of-his-major-landscapes-to-Tate.html

Millais, Tate Britain
http://www.guardian.co.uk/arts/gallery/2007/sep/24/art.artnews?picture=330804794
(このリンクは、テイト・ブリテンにあるミレイの幾つかの作品の写真)

 1890年に創作されたこの「Dew-Drenched Furze」は、これまでもテイトに貸し出されたり、特別展のときに展示されていたようだが、これを機にテイトが所有することになる。既に、3月11日からテムズ河沿い、ピムリコにあるテイト・ブリテンで展示されているようだ。

 バーン・ジョーンズの傑作、「アヴァロンに眠るアーサー王」がプエルト・リコに戻ってしまった(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-760.html)替りではないだろうけど、ファンにとっては嬉しいニュースかな。

生物の多様性の驚異:魚

2009.03.22
ダーウィン生誕200年の今年に合わせたわけではないだろうけど、奇妙な魚の話題が二つ、続けざまに報道された。

 一つ目は、ビルマ(ミャンマー)で発見された、本物の「歯」の代わりに、骨が「歯」になっている魚。



'Dracula' fish shows baby teeth
http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/7935482.stm

 魚の大きさは、2センチに満たないくらいだからピラニアに襲われるようなものではないだろうけど、なんて禍禍しい面構え。

 二つ目は、確か日本でも報道された、特異な構造の目をもつ深海魚。

Barreleye Fish

Fish has transparent head

http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/howaboutthat/4797025/Fish-has-transparent-head.html
Barreleye Fishの泳ぐ姿を見ることが出来ます)

 こういう魚を見ると、海の怖さ、そして豊かさを強く感じる。

 新潮社のPR雑誌、「」に連載されている「生物38億年 進化の旅(池田清彦)」を読んだあとにこれらの写真を見ると、進化の過程の複雑さを、そして人知の及ばないシステムであることを改めて思う。

NHSについての考えが改まった経験

2009.03.14


この2週間、なりを潜めていたのには理由があります。自分の交友関係をねたに書くにしても節度を保つように書くつもりです。

 ロンドン暮らしの中で、とても大切な友人が数人います。その中の一人が、3月6日から体調の不良を訴え、容態は急速に悪化しました。友人のたった一人の家族に頼まれて、また頼まれなくても何か助けになることができればとのおもいで、ある夜は泊まったり、ある日は家族が休息を取っている間、そばに付き添ったりしていました。
 一つ大きな問題がありました。友人が、頑なに救急車を呼ぶこと、そして病院にいくことを拒否したことです。普段健康な人なので、病気になったことへのショック、医者にかかることへの不安が有ったとは思うのですが、高熱がひかないまま、「明日になればよくなるから、絶対に救急車を呼ぶな」、と。
 で、仕方なく、ある夜プライヴェイトの医療機関の往診を頼み(有料、且つとても高額)、抗生物質の投与を受けました。その薬が効いたのかあくる日は容態が快方に向ったように見えたので、家族の方は急遽仕事を片付けるべく地方へ。念のため泊まって欲しいけど、快方に向っているから心配ないはず、とのことでした。
 で、水曜日の夜午後8時くらいに友人宅に到着して友人の部屋に行ってみると、快方に向うどころか、友人は高熱にうなされていました。更に、前日までは見られなかった症状が出ていて、家族に連絡することすら思いつけないほど僕はパニック寸前。

 救急車を呼ぶなとまだ抵抗を示す友人には知らせずに、他の友人に電話してどうすればいいかを尋ねたところ、NHS Direct(http://www.nhsdirect.nhs.uk/)に電話してみたらと。時間はかかるかもしれないけど、患者の症状によってはNHSの医者が往診してくれることも有るからとの助言。
 わらにもすがるとはこのことで、すぐに電話しました。予想に反してすぐにつながりました。サーヴィスの性質を考慮すれば当然なんでしょうけど、最初に応対しくてくれたオペレイターの女性のてきぱきした話し方に、焦っていた気分も落ち着きました。一通り友人の症状を説明したところで、「この電話を貴方のお友達の住まいから遠くない救急診療センターの看護婦に転送します。すぐにつながらない時は、一度電話を切るけど、心配しないように。すぐに折り返し電話しますから」。で、一度きれてしまったんですが、5分後にはセンターの看護婦の方から電話がはいりました。
 再び、より詳細な説明を求められ、彼女の質問に答え終わってすぐに、「医師が行ったほうがいい状況だから、すぐに手配するけど、1時間半くらいかかります」。その1時間半のなんと長いこと。
 11時を回ってすぐに、医師が到着しました。30代半ばくらいのきりっとした女性でした。友人の部屋に通す前に、容態とそれまでの経過を再び説明しました。若く見えても、救急の深夜の往診を任されるくらいですから、診察が迅速、且つ丁寧。一通り終わった所で友人に、今すぐに病院での治療が必要です、との判断。友人が、明日の朝になったらプライヴェイトの病院に行くからと最後の抵抗を示しましたが、「駄目です。今すぐにいかなければ、貴方の命の保証ができません。救急車を手配します」、と。
 まず、友人宅から遠くない大学病院の救急センターに連絡して、医師とベッドを確保。ついで、「999」に電話して救急車。2時間くらいかかると言われたようですが、「冗談言わないで。そんなに待てないわ。30分以内に来させて」。
 「全部手配したから、心配は要らないわ。もし30分経っても救急車がこなかったらこの番号に電話して、この照会番号を伝えてください。でも、30分でくるはずだから」、と。医師が別の患者宅に向けて辞した後きっかり30分できました。もうこの時点で、「NHSの悪口は、金輪際、絶対に口にしない」、と誓いました。

 救急車の担当者二人(男女のペア)は、てきぱきと働く一方で、話し方はこちらを緊張させない為かとてもフレンドリー。病院に向う間も、救急車に乗ってがっちがちに緊張している僕を安心させる為だったようで、「今日は何をしたんだい?」とか、「天気悪いよね」とか。

 病院に到着すると、友人の高熱の原因がその時点では当然判らないこともあって、念のために「隔離」病室へ(僕自身は元気に過ごしているので、感染症だったとしても空気感染しないものでしょう)。僕はその部屋の前で待っていたんですが、隣りの診療スペイスの前には、ごっつい警察官が4人。どうやら、泥酔して怪我して収容された方が覚醒するのを待っている様子。さらにその先では、痛みでうめく声が。
 友人の初期治療が終って病室に移動されたのが午前4時半。丁度、家族の方が到着したので僕はそこでお役ごめんになりました。友人は未だに入院加療中ですが、全部、無料。

 先のNHSダイレクトを教示してくれた友人に電話して感謝を伝えたところ、それが本来、NHSがあるべき姿であるけど、なんにしても運がよかったねと。何故なら、地域によっては、そのような迅速な対応が出来ないことのほうが多いから、とのことでした。
 NHSは、いろいろな問題を未だに抱えているようです。一方で、幸運だったとはいえ僕の友人が受けることが出来た高度な医療を無料で受けられるシステムは、素晴らしいとしか言いようがないです。

http://www.bbc.co.uk/radio4/today/print/politics/nhs_cake_20070118.shtml




 僕なりのショックが過ぎて考えたのは、「助けを拒絶する人を助けることはどういうことなのか?」、ということ。Counsellor-to-beという立場ではなく、友人として助かって欲しいと願っていることが伝わらないことへの怒り、もどかしさ、そして無力感。「良い」経験なんて言いませんが、得がたい経験になりました。

 こんなことがあったので、戴いたメッセイジへの返信が出来なくて申し訳ないです。

アラステア・スポルディング氏へのインタヴュー(2009)

2009.03.02
*このインタヴューの著作権は社団法人共同通信社にあります。無断での転載・引用はしないでください。


Mr A Spalding(サドラーズ・ウェルズ・シアター、芸術監督)インタヴュー原文

現在、サドラーズ・ウェルズ・シアター(SWT)が独自に企画したいくつかの演目が、世界各地で公演されているんだ。シルヴィ(・ギエム)のPushはすでに日本でも上演されたし、Eonnagata(2009年3月に世界初演)も日本での公演はあるはずだよ。
 最近、SWTは質の高い独自のダンス演目を企画・上演し、それを世界に送り出している、という評価が高まってきているところなんだ。世界のいろいろな劇場やダンス・カンパニーからコラボレイションの話がよく来るようになったよ。

SWTは「インターナショナル・ダンス・ハウス」という評価が定着してきたように思う。僕たちがずっと拠点にしてきたロンドンのイズリントン区を離れるわけではないけど、ダンス・ヴェニューとしての新しいモデルを築いていければと考えている。SWTというブランドを強固なものにしたい。
 ニュー・ヨークのシティ・センターとのコネクションはずっと続いている。一方で、パリ、ベルリン、ローマでダンス・フェスティヴァルに参加することにもなっている。

芸術監督になって5年経つけど、まだ何かを成し遂げたという実感はない。忙しくて、飽きている時間はない。
 これからはやりたいと考えていることは、まず、もっと多くの独自のダンスを生み出していきたい。そしてSWTの個性をより強いものに。

2008年から始めた「スプリング・ダンス」は、今年はちょっと苦戦している。というのも、今の経済状況で企業の協賛がかなり減ってしまったから。この「スプリング・ダンス」には政府からの資金援助は一切ないんだ。
 もともと、SWTの収入に占める政府からの予算は12%にすぎない。これは、かなり少ないほうなんだ。残り88%をSWTが調達しなければならない。チケットの売り上げと年間の会員費が70%、そして残りが寄付や劇場内の飲食費などだ。
 寄付を募るためにガラ公演をすることは必要だと思っている。われわれは資金が必要だし、そのためには特定の人たちの関心を惹かなければならない。だからといって、いつもSWTに来てくれるダンス・ファンを失望させるつもりはない。

純粋な教育プログラムではないけど、今年はじめた「グローバル・ダンス・コンテスト」は、インターネットを通して、世界に散らばる未来のダンサーたちにSWTでパフォーマンスできる機会を与える目的ではじめたもの。
 ほかに、「ゆりかごから墓場までダンス」ということで、乳児のためのダンス・クラスや、60歳以上の人を対象にしたワークショップを教育プログラムの一環として続けている。

金融危機は、SWTにとっては始まったばかりという印象がある。まだ、多くの観客が劇場に来てくれている。この難しいときだからこそ、人々は単なるものではないものを求めていると思う。ダンスは常に求められている。
 もちろん、楽観はしていないよ。まだ、何が起きるか見極めきれないという状況だね。少なくとも、SWTは政府からの予算をキープしなければならない。減らされるとは思っていないけど、増やすのはかなり難しい。

意外に思われるかもしれないけど、このような難しい状況だからこそ、僕はリスクをとっていくつもりだ。当たり障りのない、同じ演目を延々と続けていたら、人々の関心を失ってしまう。常に観客の関心を集めるためには、リスクをとるのは重要なことだ。

アメリカは、英国と違って企業と個人による高額な寄付、それによる利子に頼っているので、大変だと思う。すでに、給与の引き下げをした団体もあるそうだ。英国では、そのようなことは起きないと思う。
 ただ、「ニュー・ヨークがくしゃみをすると、ロンドンのカルチャー・シーンが風邪を引く」とよく言われているように、影響は出ているよ。
 実は、ニュー・ヨークのシティ・センターでSWTの独自企画を上演する予定だったのが、キャンセルになってしまったんだ。この場合、資金が理由ではないんだ。ドルのほうが高いから、彼らにとって資金面のリスクは低かった。シティ・センターが心配したのは、観客が来ないのではないか、ということ。マインドの問題だよ。

SWTは、海外のダンス・カンパニーやグループを招聘するから、ポンドの下落がもたらす影響は小さくはない。独自企画の輸出でバランスを保っている。
 でも、ポンドの下落にはいい面もある。ユーロ圏からの観客がかなり増えている。スペインやフランスから訪れた観客に刺激されて、イギリス在住のフランス人やスペイン人がSWTに頻繁に来るようになってきている。

正直なところ、シルヴィが出る演目以外を日本に持っていくのは難しい。逆に、僕はまた、歌舞伎、それも伝統的な歌舞伎を再びSWTで上演したいんだ。前回の上演は素晴らしかったからね。観客の反応もすごかった。

母になれない「男性」カウンセラーはどうするのか?

2009.03.01
ここ2週間ほど、戴いたメッセイジにはろくに返信せず、ブログの更新も滞っていたのは、ひとえにカウンセリング・コースの課題を仕上げるため。今でもなんとか機能している脳の9割強を、寝ても覚めてもフル稼働させていたので、2009年はまだ3月になったばかりですが、今は過去2ヶ月のことを思い出せないくらい、頭が思考することを拒否しています。書きあがったのでこれを書いているわけですが、つくづく、僕はアカデミックな人間でないことを思い知りました。

 興味ない方のほうが多いと思いますけど、もんどりうちながら格闘していたエッセイのタイトルです。

Consider the different psychodynamic theoretical emphases on the role and importance of the mother. What are the implications of these understandings for working with clients? You should illustrate your answer with examples from your clinical work or other relevant experience

 今回は、このタイトルからしてトリッキーで、何を書けばいいのかを確認する為に、英人の友人に「解読してください」、とお願いするところから。で、漸くなにを求めらているかが判ったのはいいものの、研修先の指導担当者からは、「このエッセイは、イギリス人にだって難しいわよ。大丈夫?」、って脅されるしまつ。
 参考資料を読み終わり、エッセイで使う臨床例から、誰と特定できてしまうかもしれない個人情報は全て削除し(これは必須中の必須)、初稿を書き上げて、まずは英語を見てもらう友人に送付。どうして英語だけかというと、サイコダイナミック・カウンセリングを知らない人が内容に言及すると、とんでもないことになることは過去の経験で判っているので。
 幸運にも、今回、「予想していたほど酷くなかったよ」、との誉め言葉と一緒に戻ってきた原稿を、今度はカウンセリングのことを知っている友人二人に送り、構成をチェックしてもらえたのが、2月28日。別々にあった友人二人から、全く同じ3箇所の展開が理論的に明確さが足りないと指摘され、友人から貰ったユンケルを飲み、友人が送ってくれた播磨屋の朝日揚げを頬張りながら、なんとか終らせました。というよりも、これ以上はもう無理なので終了。

 以下は、使用した文献です。ウィニコットに偏りすぎていることは、友人に言われるまでもなく自分でも承知しているし、今更メラニー・クラインを読んで眠れなくなるのも困るので。ちなみに、ウィニコットの「Playing and Reality」は面白いですよ。


Klein, M. (1940), `Mourning and Its Relation to Manic-Depressive States’ in Love, Guilt and Reparation and Other Works 1921-1945, 1984, New York: The Free Press

Shuttleworth, J. (1989), `Psychoanalytic Theory and Infant Development’ in Closely Observed Infants, 2002, London: Duckworth

Spurling, L. (2004), `Theory II (Chapter 4) in An Introduction to Psychodynamic Counselling, Palgrave Macmillan: New York

Winnicott, D.W. (1956), `Primal Maternal Preoccupation’ in Through Paediatrics to Psychoanalysis, 2003, Karnac: London

Winnicott, D.W. (1951/1971), `Transitional Objects and Transitional Phenomena’ in Playing and Reality, 2002, Hove: Brunner-Routldge

Winnicott, D.W. (1960a), `The Theory of the Parent-Infant Relationship’ in The Maturational Processes and the facilitating Environment, 2003, Karnac: London

Winnicott, D.W. (1960b), `Ego Distribution in Terms of True and False Self’ in The Maturational Processes and the facilitating Environment, 2003, Karnac: London

Winnicott, D.W. (1962), ` Ego Integration in Child Development’ in The Maturational Processes and the facilitating Environment, 2003, Karnac: London


 コースに、イギリスで生まれ育った有色人種のクラス・メイトが二人います。二人ともプロフェッショナルとして働き、英語だって僕のジャングリッシュとは違い、「イギリス人」なわけですから当然ブリティッシュ・イングリッシュです。そんな彼ら二人が常に経験している、クライアントから発せられる「人種差別」による拒絶オーラは、凄まじいらしいです。
 今回の格闘中、今までなかったのは幸運だったのだと思いますが、初めて、「日本人のカウンセラーでは、悩みを理解してもらえない」、と拒否されることを研修先で経験しました。文化の違い、言葉の違いへの不安は勿論理解しています。また非英国人としてイギリス社会で経験を積むことを選択した時点でこういうことはいつかは起こるだろうし、一回で済むものでもないことは常に考えています。「日本人カウンセラーでなければ、日本人の悩みはわからない」、という意見も当然だと思います。
 しかしながら、極論かも知れないですが、カウンセリングやサイコセラピーってクライアントとカウンセラーが全く同じでなければならないのか?、ということも考慮されるべきだと思います。例えば日本で、「私は○○県の出身で、45歳だから、同じ県出身の同い年のカウンセラーでなければ困る」なんてことをいい始めたら、何も出来ないのではないかと考えます。僕は男ですから、子を持つ母になることは出来ません。でも、女性カウンセラー全てが「母」を経験していることはありえないだろうし。

 イギリスでカウンセラーの資格を取ろうと思った当時、こんなに大変だとは思っていませんでした。でも、難しいですけど、取り組み甲斐のある勉強であることも事実です。

Tony Hall インタヴュー(2009)

2009.03.01
*このインタヴューの著作権は社団法人共同通信社にあります。無断での転載・引用はしないでください。

Mr Tony Hall(ロイヤル・オペラ・ハウス、チーフ・エグゼクティヴ)


今シーズン(2008/2009)は、今のところとても素晴らしい一年になっている。ロイヤル・バレエ、ロイヤル・オペラとの質の高い舞台を作り上げている。
 もうひとつ個人的にとてもうれしかったのは、(3月15日に)大きな教育プログラムの舞台をメイン・ステイジで催し、大成功に終わったんだ。ケント県の子供たち300人のために特別に組まれた企画で、これほど大きな教育プログラムは初めてだったんだよ。

最近の、世界的な経済危機の状況から見て、今のところ、ロンドンやイングランド南東部の文化施設にはまだ大きな影響は出ていないように感じる。少なくとも、ROHはいい聴衆に恵まれているといえる。実際、チケットの売り上げも期待以上の数字を出している。
 個人的に思うことは、今のような難しい時代にこそ、人々は美しいものを求める。「芸術」は力強いメッセージになると考えている。

英国の文化施設は、現段階では、アメリカの文化施設・団体の多くが直面している資金難にすぐに見舞われるとは思わない。アメリカの場合、文化団体への政府からの資金はまったくなく、大口の寄付に頼っているのが現状。
 英国における文化への資金は、アメリカのモデルとは違うし、もっと強固なものだ。政府(Arts Council England)から、チケットの売り上げ、そして寄付を募るためのさまざまな企画。
 困難な経済状況は、まだ始まったばかりだと思っている。もちろん、これから何が起きるかは、見極めなくてはならない。

ロイヤル・オペラ・ハウスを運営する予算は、およそ、9,500万ポンドになる。内訳は、26%が政府から、40%がチケットの売り上げ、16.5%がファンドレイジング(寄付)で、残りはCDやDVDの売り上げ、ハウス内での飲食費等など。
 現状は、収支のバランスは取れている。これからも、このバランスを保っていけると自負しているけど、過信はしていない。
 実際、英国政府が文化に回す予算は巨額ではない。僕らがいつも心がけていることは、英国内の文化は予算をうまく使って成功している、ということを政府に気づかせること。

教育プログラムは、ロイヤル・オペラ・ハウスの重要な取り組みのひとつになってきている。
 オペラやバレエを子供たちに教えることは必要なことだと考えている。彼らの創造性を刺激し、文化が彼らの生活の一部であることを知ってもらうのは大切なことだ。
 「Chance Dance」というプログラムをROHは行っている。これは、ロンドン南部の比較的生活水準が低い地域の学校にロイヤル・バレエのダンサーが訪れて、子供たちにバレエを間近で経験してもらうというもの。
 もちろん、このプログラムに刺激されて、将来、誰かがロイヤル・バレエのダンサーになるのであれば、それは嬉しい。でも、もっとも大切な目的は、彼らにバレエやオペラという文化は、彼らのためにも存在しているということを知らせること。
 ROHの舞台で催された大規模な教育プログラムも同じだ。子供たちは、演技だけでなく、衣装などを、多くの人と一緒にチームを組んで、舞台を作り上げていくんだ。次の世代の聴衆を育てることでもあるし、また、彼らの学習プロセスからは、僕たちが学ぶこともたくさんある。
 政府からは、「教育プログラム」のためだけの特別な予算は来ない。でも、収入の中から毎年、一定の予算は組んでいる。

一般的に、経済危機が起きると、真っ先に隅に追いやられるのが「芸術」だ。でも、僕は「芸術」は最後であるべきだと思う。
 僕たちは、収入を無駄にはしていない。政府からの予算は税金だから、常にその税金を僕らがどのように使っているかを社会に知らせるように努力している。
 そのためにいつも考えていることが三つある。ひとつは、ROHの水準を常に世界で通用するところまであげる。二つ目は、できるだけ多くの人に、ROHのことを知ってもらう。そして、次の世代を育てていくということだ。

寄付集めのイヴェントは必要だ。額の多少に関係なく、フィランソロピスト(寄付をする人)がいなければ、ROHは立ち行かなくなるかもしれない。
 僕自身、フィランソロピストに会うのは非常に楽しみなことだ。なぜなら、彼らはROHを大切に思ってくれているからね。極端な話、僕の仕事は多くの人々に、ROHは楽しみに満ち溢れた場所ということを知ってもらうことなんだ。

ロイヤル・バレエとロイヤル・オペラは一見したところ、まったく別のカンパニーと思う人もいるだろう。
 バレエは、まるで家族みたいだよ。いつもオペラ・ハウスにいるからね。僕は、すべてのダンサーを心から尊敬している。あれほどのハード・ワーカーはいないからね。それに彼らはいつも超一流の「文化大使」でもある。
 オペラは、同じ歌手がずっといるわけではないから、雰囲気はちょっと違う。ひとつ自信を持っていえることは、誰もがこのオペラ・ハウスで働くことを楽しんでいること。
 今シーズンは、久しぶりにバレエとオペラが一緒の舞台を作り上げることができて、いっそう一体感が増したように感じている。ROHにいる多くの芸術家たちが一緒に舞台を作り上げることは、チーフ・エグゼクティヴとして本当に嬉しいことだ。

僕自身の立場から言えば、僕はリスク・テイカーであると同時に、ROHを守ることも忘れてはならないと考えている。
 将来のために、新しいことに取り組んでいくことは必須だ。でも、ROHが作り上げ、維持してきた伝統と歴史をないがしろにはできない。どちらかひとつのポジションに固執することのほうが危険なことだと思う。
 たとえば、ロイヤル・バレエの新作、「infra」を見た若い観客がバレエに興味を抱いて「白鳥の湖」を見に来てくれるかもしれない。新しいことを取り入れながら、伝統を守ることによって、常に聴衆に喜びを感じてもらえれば、それ以上に嬉しいことはないよ。

昨年、DVDの制作会社を買収したことで、ROHで上演された演目のDVDの質が向上し、よく売れている。これも、収入増の助けになっているよ。
 世界中のバレエ、オペラファンにROHを知ってもらうために、世界各国で、テレビ放映もされている。日本では、NHKが年に2作品を放映している。NHKはとても大切なパートナーだよ。
 これからの課題は、インターネットを使ってどれだけ多くの人に舞台を観てもらうかだ。興味を持ったら、ROHに来てほしい。

日本の観客の皆さんは、バレエとオペラのことを本当に良く知っている。日本との絆はこれからもっと強くしていきたいと思っている。2010年には、夏にはバレエが、秋には18年ぶりにオペラが日本に行く。両方が同じ年に日本にいけることを、今から楽しみにしている。
 そうそう、DVDを買ってほしいな、と伝えておいてほしいな。

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