LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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2009年11月の記事一覧

オイスター・カード、ロンドンの鉄道全線で利用可能に

2009.11.24
ロンドン市内のバスや地下鉄を利用する際、今では欠かせない手段になっているオイスター・カード。グレイター・ロンドン内であれば鉄道でも利用できると思っている人も多いかもしれないが、「pay as you go」でオイスターを使う人は利用できない。
 昨日の報道、またロンドン交通局の発表によると、2010年1月2日から、その「pay as you go」利用者も、グレイター・ロンドン域内の鉄道で利用できるようになるとのこと。

One ticket for London as Oysterisation of rail and river confirmed

http://www.tfl.gov.uk/corporate/media/newscentre/13688.aspx

Travel revolution: Oyster rail will cut fares by 30%

http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23773539-one-ticket-for-trains-tube-and-buses-in-oyster-card-rail-revolution.do

 「pay as you go」は、当方の理解が正しければ、パスモのようなシステム。クレディットが有る限りは乗り降りが自在。当然のことながら、残額に気を配る必要はあるが、最近では、たとえば地下鉄の駅では残額不足の利用者への配慮からか不足額の清算が簡単に出来るようになってきているように思う。
 さらにこの夏利用した通勤ボート(テムズ・クリッパーというらしい、http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1072.html)でもオイスターがそのまま使えるようになるようなのでロンドンの隅々まで知りたいと思っている人には、A to Zとオイスターがあれば、ロンドン踏破もずいぶんと簡単になるかもしれない。

 いたって簡単なことの何もかもが複雑怪奇、利用者を不幸にすることになってきているロンドン生活において、オイスター・カードだけは、ロンドンが胸を張って誇れるシステムだろう。

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ロイヤル・オペラ&バレエ:女帝の靴

2009.11.24
あと一月たらずで冬至。そうすればまた日が長くなる。それほど日光が恋しくてたまらない季節です。

 11月20日に、今シーズンのロイヤル・オペラの新しいプロダクションの一番手であり、この春に続いて(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1007.html)、ロイヤル・バレエとオペラが競演するチャイコフスキーの「女帝の靴:Tsarina’s Slippers」を観てきました。観終わって気づいたことは、チャイコフスキーのオペラを観るのはこれが初めてでした。すでにブログにアップされている方のところであらすじが紹介されているので、そちらをご参照ください。

http://dognorah.exblog.jp/13036869/


Cherevichki: Comic-fantastic opera in four acts
Composer: Pyotr Il'yich Tchaikovsky
Libretto: Yokov Polonsky amplified by Nikolai Chaev and the composer after Nikolay Gogol’s story “Christmas Eve”

Director: Francesca Zambello
Set Designer: Mikhail Mokrov
Costume Designs: Tatiana Noginova
Lighting Designer: Rick Fisher
Choreography: Alastair Marriott
Conductor: Alexander Polianichko
Royal Opera Chorus
Orchestra of the Royal Opera House

Oxana: Olga Guryakova
Vakula: Vsevolod Grivnov
Solokha: Larissa Diadkova
Chub: Vladimir Matorin
The Devil: Maxim Mikhailov
Schoolmaster: Viacheslav Voynarovskiy
Pan Golova: Alexander Vassiliev
Panas: John Upperton
His Highness: Sergei Leiferkus
Master of Ceremonies: Jeremy White
Wood Goblin: Changhan Lim
Principal Dancers: Mara Galeazzi, Gary Avis
Dancers: Dancers of The Royal Ballet


 ネガティヴなことからはじめると、まず、一番長いと思われる第一幕が音楽的には最も魅力に乏しく感じられ、退屈でした。このままでは寝てしまうかなと思っていたところ、第2幕から俄然面白くなり、後半の第三幕、第四幕はあっという間でした。ま、美しいバレエ・シーンがあったということもあります。


(第2幕第二場)

 二つ目は、これはロイヤル・オペラ・ハウス側の問題ではなく、各新聞のオペラ批評家。実は、舞台が終わって終盤の旋律をハミングしながらいい舞台だったなと思いつつ、「絶対に、批評家連中は難癖をつけるに違いない」と確信していました。その通りでした。プロの批評家から見れば、チャイコフスキーの音楽、舞台セット、果てはバレエの振り付けに一言言いたくはなるでしょう。
 でも、こんなチャイコフスキーのマイナーなオペラの上演を実現させ、豪華絢爛な舞台にもかかわらず値段設定を若干抑え、こんなオペラの楽しみ方もあるんだよということを示したロイヤル・オペア・ハウス側の取り組みを貶めてどうする、と。ロイヤル・オペラ・ハウス側が、クリスマス・シーズン到来ということで、家族向けのオペラと宣伝したことはおかしい、という点は納得です。子供には、音楽的にはちょっと難しいかもしれないです。
 でも、舞台で繰り広げられるときに悲しい、でも終わりはうきうきするような音楽とロシアの暗い冬を取っ払うような原色であふれた舞台をオペラになじみのない人々に伝えることも批評家の仕事だと思うんです。あまりにひどいレヴューがあったので、思わずコメントしました。

http://artsandentertainment.independentminds.livejournal.com/861167.html


 主にロシア人キャストの中で、個人的に最も興味を惹かれた歌手は、ワクラを演じたVsevolod Grivnov(テノール)と第三幕第二場だけに登場するHis Highnessを演じたヴェテランのSergei Leiferkus
 グリヴノフの声は僕の耳にはとても無色透明でラジオから流れてきてもすぐには判別できないと思われる種類。でも、彼のステイジ・プレゼンスは明るいエネルギーにあふれていて見ていて気持ちよかったです。プログラムに掲載されている写真では口ひげを生やしていて歳相応に見えるのですが、役作りで口ひげを落とし、さらに頬をりんご色に染めた彼の顔からは、朴訥、という言葉が浮かんできました。
 Leiferkusはキャリア40年になろうとするヴェテラン(つまり高齢)ですが、よく通るコントロールされた声に聞きほれました。舞台が終わってカーテン・コールになると、出演者が次々に現れ、挨拶が終わると音楽に乗って踊り続けます。Leiferkusは踊るのかなと思っていたら、ロイヤル・バレエの女性ダンサーと手をつないで楽しそうにステップを踏んでいました。

 話題的にはコサック・ダンスのほうが大きく取り上げられていたようですが、僕としては、宮廷でのバレエの場面に大感動。アラステア・マリオットの振り付けは、批評家が言うように、第三幕はじめの湖のほとりでのシーンはアシュトンの「オンディーヌ」、宮廷の振り付けはプティパを丁寧に真似ただけかもしれません。でも、それこそ僕がずっと見たかったもの。


(たぶん、ガートサイド。いなかったから)

 湖のほとりのシーンでは、蔵健太さんの眉間の深い深いしわを除けば可もなく不可もなく。ギャリー・エイヴィスのファンには、彼のソロはたまらなかったことでしょう。
 宮廷の場面では、バレエ・ファンにはおなじみであろう、ジョン・クランコが「オネーギン」で使った音楽にあわせてロイヤル・オペラのコーラスが優雅に舞台を練り歩いた後にロイヤル・バレエのダンサーたちによって踊られる(正当な)古典バレエ。たとえ贔屓のダンサーは出ていなくても、コーラスのメンバーに囲まれた狭い範囲ということを感じさせない躍動感ある踊り。フェスティヴ・シーズンはこの煌きが必要と確信する、鮮やかな衣装をいっそうのこと輝かせるダンサーたちの微笑。さらに大団円では、ベネット・ガートサイドが熊のきぐるみを着て大奮闘。さすが、気ぐるみバレエを踊らせたら世界トップのバレエ・カンパニー。


(大団円。この原色の太陽がとてもロシア)

 プログラムの解説によると、クリスマス・シーズンにBBCで放映されるようですし、DVDでの発売も予定されているようです。

カバ母の愛は、ワニを粉砕する

2009.11.19
17日に、各新聞がこぞって掲載した写真。


まるで、因幡の白ウサギみたい。


カバの牙がこれほど鋭いとは。


怒っているカバの眼は、怖い。

Hippopotamuses attack a crocodile

http://www.guardian.co.uk/environment/gallery/2009/nov/17/hippopotamus-crocodile-wildlife-tanzania

Crocodile attacked and killed by angry hippos
http://www.telegraph.co.uk/earth/wildlife/6579856/Crocodile-attacked-and-killed-by-angry-hippos.html

 ガーディアンはそっけなくて何がどうしてこうなったという説明はない。が、テレグラフの記事を読むと、どうやらワニが子カバに近づきすぎてしまったようだ。

イギリス・メディアが取り上げるアメリカの内憂

2009.11.17
ガーディアンなんて読んでいると、回りから嫌われてしまうぞと保守的な友人たちに言われ、自分でも偏りすぎかなと思うときもありますが、やめられません。ガーディアンが積極的にアメリカのことを取り上げるのは、国際政治情勢を取材する上で無視できない国ということがあると思います。でも、個人的には、国内では労働党の衰退が著しく、生き残りの選択としてリベラルと思われているオバマ大統領を盛り上げたいのでは、とかんぐっています。

 10月から11月にかけてガーディアンとオブザーヴァーが特集記事を組んだのは、アメリカ国内のホームレス問題。

I'm one of America's new homeless
http://www.guardian.co.uk/society/2009/oct/30/americas-new-homeless

UN investigator accuses US of shameful neglect of homeless

http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/12/un-investigator-us-neglect-homeless

UN meets homeless victims of American property dream
http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/12/united-nations-us-property-fallout

From New York to LA: America's deepening housing crisis

http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2009/nov/12/usa-homelessness

 最初のリンクは、リセッションの影響で職を失い、ホームレスになった「中流」アメリカ人女性の体験談。残りは、ブッシュ政権時代には、入国を拒否されていた国連代表の女性による、アメリカ国内のホームレスの現状の報告に関するものです。
 世界中どこの国でも、差はあれどもホームレス問題は国を挙げて取り組む重要課題だろうし、困難が付きまとうことでしょう。また、ほかの国には知って欲しくないことでもあるとも考えます。昨年だったか、やはりガーディアンが尼崎のホームレスについて国際面のトップに特集記事を掲載したときは、なんと言うか、自分の国について知ることを避けてきた話題を目の前に突きつけられたように感じました。
 今でも世界を覆っているリセッションの始まりは、アメリカのサブプライム・ローン崩壊であることを思い出せば、ロス・アンジェルスがthe homeless capital of Americaというのは至極当然の現状なのかもしれません。しかしながら、自由の国アメリカ、言い換えれば誰にでも希望があったであろうアメリカというのは蜃気楼だったのかな、と。
 国連担当者の言葉を、記事から引用します。

"The US has exported an economic model with the idea that everyone can organise themselves under that model. It's very important for the rest of the world to know who fits in to this model and who is excluded," she tells her audience.


 日本国内では、来日で盛り上がったようですが、オバマ大統領の前途は、とりわけアメリカ国内では平坦ではないようです。懸案だった医療改革(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1077.html)は上院(だったかな)では何とか通りそうらしいですけど、実現するかどうかは誰にもわからず。共和党からの「Socialist」攻撃はさらにヒート・アップしているようですが、来年の中間選挙、さらに2012年の大統領選を視野に入れて、共和党内ではウルトラ保守の女性政治家たちの活動が目立ってきたそうです。

The new wave of female firebrands striking fear into liberal America
http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/15/michele-bachmann-president-sarah-palin


(記事中、メインで取り上げられているMichele Bachmann


(本紙で紹介されていた、Michelle Malkin。両親はフィリピンからの移民、本人はアメリカ生まれ)

 この記事を読んで二つ思ったことがあります。一つ目は、民主党はヒラリー・クリントンを選ぶべきだったのではと。オバマ大統領の行動力、演説の素晴らしさは評価に値すると思います。でも、彼には経験が少なすぎると今でも感じています。今となっては「れば」の物語ですが、クリントン女史が1期勤めてオバマへの道筋をつける、そのほうがよかったのではないか。それと、クリントン女史が指名を取れなかったときに思ったのは、「民主党は党内、そして国内にある潜在的な女性差別問題を先送りにしたな」、ということです。
 二つ目、共和党の超保守の女性たちの活動を読んで改めて不思議でならないのは、「どうしてアメリカ人は、これほど社会主義を恐れるのだろう?」、ということです。
 検索すれば専門家の分析がたくさん見つかると思います。素人からすれば、社会主義がこの世に生まれてたかだか100年とちょっと。にもかかわらず、すべてのアメリカ人が生まれついて社会主義への恐怖感にさいなまれている、そう思えてなりません。この集団ヒステリアはいつ、どのように生み出されたのか、創り出されたのか。

 最後に、あるカップルの道のりを。

When Barack met Michelle

http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/15/barack-michelle-obamas-marriage

 とても長いですが、オバマ・ファンには読み応えがあると思います。

Nikkei17Nov09

2009.11.17


*著作権は日本経済新聞社に帰属します。

精神分析的見地から考察する「移民」

2009.11.16
11月12日にブラウン首相が、イギリスにおける今後の移民政策に関する発言をしました。

Non-Europeans shut out from another 250,000 skilled jobs
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/nov/12/noneuropeans-shutout-from-skilled-jobs

これが僕の暮らしのどれほどの影響があるのか、それともまったくないのかは現段階ではよくわかりません。ひとつ、いつも思うのは移民政策は政治とは切っても切り離せない課題だけど、政治が絡めば絡むほどいっそう袋小路に嵌りこんでしまう。
 移民と一口に言っても、いろいろな理由があると思います。僕のように自分の意思で異国で暮らすことを決める。家族、政治的、社会的、そして時代の様相によって移民を余儀なくされる、ということもあると思います。ちょうど、イギリスとオーストラリアで大きく取り上げられているのは、1960年代まで続いた、イギリスからオーストラリアへ子供を移民させた「Child Migrant」政策によってオーストラリアへ移民させられたイギリス人の子供たちに、両国政府が謝罪するというニュース。

Australia to say sorry to abused British child migrants
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/australiaandthepacific/6569274/Australia-to-say-sorry-to-abused-British-child-migrants.html

Australian apology to British child migrants: speech in full

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/australiaandthepacific/australia/6578427/Australian-apology-to-British-child-migrants-speech-in-full.html

気がめいるだろうと思って、記事はざっと目を通しただけですが、下は6歳の子供が生まれた国を、親元を離れ、新しい国で明るい未来を約束されたのに、現実は重労働、虐待等々。こういうことがあるから、「移民」というのはどうしても暗いイメイジが付きまとうように思います。

 で、そんなくらいイメイジだけから、よりいっそう多面的に「移民」を考えられるきっかけになったのが、しばらく前にワークショップで紹介された、「Psychoanalytic Perspectives on Migration」という文献。


(この本の第8章。グーグル・ブックにすでに登録されているので、わざわざ購入する必要ないでしょう)

 サイコダイナミック・カウセリングをやっていると、たとえ大嫌いでもどうしても離れることはできないメラニー・クラインの幾つかの理論を当てはめることによって、「移民」の心の揺れや苦悩を読み解いてみようというものです。本文では、カフカの「アメリカ」を引用したり、言葉、食べ物、そして個々人のバックグラウンドによって、どのように移民が新しい土地になじむのが難しいのか、また新しい土地に根付いていくのか、また受け入れる側の悩み等がわかりやすい英語で書かれています。
 サイコダイナミックをやっている割には、僕自身の「移民」として立ち居地をそんな風に考えたことがなかったので、とても新鮮でした。それに、本文の冒頭で触れられていますが、国と国と間の移動だけでなく、同じ国内での移動にも当てはめることができるので、転勤の多い家庭で育った人にも結構うなずける点があるのではないかと思います。
 参考になるとは思いませんが、自分のプレゼンテイション・ノートの抜粋を。


The authors of this interesting paper are both Argentinian psychoanalysts. Although I found that what they discuss on the paper is strongly influenced by the Western culture, or Christianity, I am absolutely fascinated by the issue. For, as the authors write at the beginning, I have not seen my status, as an immigrant, from the psychoanalytic point of view. Personally, this paper has provided me an interesting opportunity to refresh my memory. Since this paper has stirred up my feelings, I am simply speaking about what I thought with my own experiences.

The authors say:

Migration triggers different types of anxieties in the person who emigrates: separation anxiety, persecutory anxieties arising from confrontation with the new and unknown, depressive anxieties over loyalties and values which give rise to mourning for objects left behind and for the lost parts of the self, and confusional anxieties arising from failure to discriminate between the old and the new (p.154).

What can happen to an immigrant who, on reaching the new world, different from the world he knows, finds strong internal obstacles to his integration into the host culture fearing a collapse into confusion (p.155).


I feel that these two statements tell us about the basic point what people might feel when they leave their homeland. As the authors write, such emotional struggle would happen not only to the immigrants, but to those who move within a country.


The authors point out the importance of the food which people used to eat in their original country. They say that the food symbolises the earliest and most structuring link maintained with the mother or with her breast (p.160).
I do not go to the Japanese food restaurant in London. When I explain to my friends why, I always tell them that the Japanese food in the UK is not genuine and when I go back to Japan, I can eat real Japanese food everyday.
After reading this paper, I asked myself why I do not want to eat the Japanese food in London. I want to stress that it is a fact for me that the taste is completely different. However, there is a hidden and not-wanting- to-admit reason. If I enjoy eating the Japanese food in London, I am afraid that I will feel betraying my native country and that I will still not be accepted as a member of the society where I now live.
One of the discussions in the paper would clarify my emotional struggle between the two countries.

Sometimes a triangular oedipal situation is relived with respect to the two countries, symbolically representing the two parents, evoking ambivalence and conflict of loyalties. The experience can be lived as equivalent to having divorced parents, with fantasies of having established an alliance with one of them against the other (p.161).


 不味い不味いといいつつも、イギリスにいてこそ食べられるものもあるわけで。観光客時代から、海外に行っても自分から日本食を食べたくなることはめったにないです。

 過去の移民に関するエントリ。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-50.html


http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-70.html


http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-71.html


http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-72.html


日曜日の楽しみは、ロースト・ランチ

2009.11.15
金曜日、土曜日の二日間、南部イングランドと南部ウェイルズを中心にゲイル(強力な西風)が吹き荒れた。


(なんだかやらせに見えなくもないけど)


(2枚ともガーディアンから拝借)

 死者が出るほどの被害が出たようだけど、今日は朝からとても穏やかな天気。そんなつかの間の晴れ間をさらに嬉しくしてくれたのは、友人宅で振舞われたサンディ・ロースト・ランチ。

 春に大病をした友人(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-990.html)は、まだ何度かの検査入院が必要なものの、年内最後となる検査も無事に終わりホッと一息。ということで、僕ともうひとりの友人に感謝したいから、いいラムを買ったとのこと。

 友人宅についてそのラムの足の大きさに呆然(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-950.html、写真の5番くらいの大きさだった)。ジンジャー・ピッグhttp://www.thegingerpig.co.uk/Welcome/tabid/36/Default.aspx)で買ってきたとのことだけど、怖くていくらだか聞けなかった。
 オーヴンから漂ってくる、羊肉がゆっくりとローストされる芳しい匂いに、絶対に美味いことを確信。ローストも絶妙で、表面はこんがり、中は鮮やかなピンク。本当に美味かった。友人たちはグレイヴィーをかけていたけど、肉本来の美味さだけで十分。最初、4人で食べきれるのかと余計なことを考えたけど、余計だった。

 食後は、皿洗い。イギリス人の食器の洗い方は、初めて目にする人は唖然とすることだろう。友人ももれなくその一人。デッィシュ・ウォッシャーが嫌いといってはばからない友人には賛同するけど、あの皿の洗い方は絶対に受け入れられない。ということで、勝手知ったる他人の台所で皿洗い。友人たちも台所に移動してきて、わいわい、がやがや。一人で皿洗いするのは嫌いではないけど、しゃべりながらやるとさくさく進む。

 たまには、こんな穏やかな日があってもいいだろう。

小さな、小さな動物(もちろん、カエルあり)

2009.11.12
久しぶりにガーディアンの写真セクションをうろうろして見つけたのは、小さな動物たちの写真。

Which miniature animals make good pets?

http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/gallery/2009/nov/06/miniature-animals-pets?picture=355223628


これが朝食に出されたら、やっぱり驚くと思う。


羊好きの友人に。


Pygmy leaf chameleons を見ると、生物の多様性のすばらしさを改めて思う。眼に見える形をしているこんな小さな物体が、人間と、そして鯨と同じように地球で生まれたことの不思議さ。


カエル好きとしては、自分の指先に乗せてみたい。でも、彼らにとって人間は害毒に過ぎないだろうから、写真だけで。

 そのほかに。

IUCN red list of threatened species 2009
http://www.guardian.co.uk/environment/gallery/2009/nov/02/iucn-red-list-endangered-species?picture=355058798
 つい先日発表された、絶滅危惧種の動植物の写真。

The noughties: a decade of lost species

http://www.guardian.co.uk/environment/gallery/2009/oct/21/decade-lost-species
すでに絶滅したであろう動植物。揚子江川イルカは、一度は泳いでいる姿を見てみたかった。


ブラウン首相の悪筆をイギリス人は非難できない

2009.11.10
アフガニスタン戦争で戦死した若いイギリス人男性兵士の母親に、ゴードン・ブラウン首相が送った手書きの手紙が、大きく報道されました。理由は、ひどい悪筆で読むことができず、そのことに腹を立てた母親が、タブイロイド紙のThe Sunに売ったからです。

http://image.guardian.co.uk/sys-files/Guardian/documents/2009/11/10/brownletter.pdf

(PDFで開きます)



Labour attacks Sun in row over Brown misspelling name of dead soldier
http://www.guardian.co.uk/politics/2009/nov/09/gordon-brown-misspelled-soldiers-name

Mother of dead soldier accepts apology from Brown over mistake-riddled letter of condolence

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1226278/Jacqui-Janes-Mother-dead-soldier-confronts-Brown-letter-errors-equipment-shortages-astonishing-13-minute-phone-call.html

 写真を見れば一目瞭然、ブラウン首相の手書きは本当に悪筆。受け取ったほうからすれば腹も立つことでしょう。それに、首相がこの手紙を投函する前に、どうして政策秘書等が確認しなかったのかなど、いろいろな意見が出されています。労働党を見限ったSUNからすれば、こんな美味しい話題はないでしょう。
 でも、この件に関して、僕はブラウン首相の側に立ちます。まず、常識からかんがみて、首相という役職にあるブラウン氏であれば、誰かがタイプした手紙にサインするだけでも通用するところ、今では本当に稀少な習慣となってしまった手書きで手紙を認める。アフガニスタン戦争の是非とは別に、悲しみにくれるすべての家族にこれまでずっと手紙を送っている。ブラウン首相は若いころに片目を失明し、もう片方の目の状態も決して良好でない。子供を失ったこの母親は、手紙をSUNに売っただけでなく、悪筆を謝るために電話してきたブラウン首相との会話を録音して、それをまたもやSUNが掲載する。
 この国の国民とタブロイドは、常識を失ってしまったのか、と思わずにはいられません。

 本題か副題かはともかく、声を大にして言いたいことは、「イギリス人、字の正しい書き方を学べ」、と一日に一度は叫びたくなるほど、イギリス人の手書きは読めません。「いや、僕の手書きは読みづらいでしょ」といいつつ「そんなことないですよ」といわれることを期待しているイギリス人には、「本当に読めないですよ。なんて書いたんですか?」、と切り返すことにしています。スパッと指摘されなければ判らないでしょうから。

 彼らの手書きの書体に接するたびに、「彼らは、書き言葉でコミュニケイションする気が有るのか?」、と本気で悩みます。悪筆だけではないです。デイリー・テレグラフ紙が今年の夏から不定期にキャンペインをしているのが、全国から報告される標識の綴りの間違い。イギリス人は怠け者ですから(断言します)、指摘されても直す気なんてまったくないようです。ちなみに、僕はコッパー・プレイト(いわゆる筆記体)ですが、若いイギリス人は読めないんです。特別流麗なコッパー・プレイトではないですが、「なにこれ?」といわれると悲しいです。

 イギリス人のこのようないい加減さは、言葉に限りません。皆さん、ロンドンの市外局番は、(020)です。ところが怠け者のイギリス人は、これを自分たちが覚えやすいからと、(0207)、または(0208)としています。これが本当にイラつくんです、サイコロジカルに。
 たとえば、020 8749 4909という番号があるとします。僕は、これを、「オー・トゥー・オー エイト・セヴン・フォー・ナイン フォー・ナイン・オー・ナイン」と覚えます。ところがこれを怠け者のイギリス人が、「オー・トゥー・オー・エイト セヴン・フォー・ナイン・フォー ナイン・オー・ナイン」とすると、混乱するわけです。
 これに限らず、電話番号は本当にむちゃくちゃです。イギリス人がいつも馬鹿にするアメリカ、フランス、ドイツはしっかり電話番号の表示を守っていることを判っているのでよけに腹が立ちます。
 さいきんは、2012年のオリンピックのこともあって、ようやくBBC等は言い方や表記を元に戻し始めました。が、つい最近、噴飯ものの事実を発見しました。


To any London 2012 Olympic enthusiasts, the address for the London 2012 Olympic headquarters is:

London 2012
One Churchill Place
Canary Wharf
London E14 5LN

Tel: 0203 2012 000

http://www.the2012londonolympics.com/forum/showthread.php?t=9888


 そのオリンピックの組織委員会が、このていたらく。携帯電話の時代に市外局番なんて意味がない、と思われる人のほうが多いかもしれません。でも、社会構造の基盤をなしているであろうコミュニケイションの基礎情報をおろそかにするイギリス人には、これからもはむかっていくつもりです。

マリルボーンを食べる

2009.11.08
ハワード・ド・ウォルデン・エステイトがマリルボーン・ハイ・ストリート(Marylebone High Street)をブランド化してステイタスを確立しているマリルボーン地域は、日本で発行されている観光ガイドでもかなり情報が豊富だと聞いたことがあります。が、中心情報はハイ・ストリートでの雑貨や服飾関係で、飲食・食品販売情報はそれほど充実していないような。
 マリルボーン・ハイは地図で見てもどうやって到達できるのかよく判らない通りでも有名です。が、ロンドンに来てすぐ暮らしたのが、マリルボーン・ハイ・ストリートから一本入ったところだったので、僕にとっては「自分の庭」と勝手に思い込んでいます。で、たまには観光にも貢献しようということで、食べ物関連の情報を少し。

 厳密に言って、マリルボーンになるのか、隣のポートマンになるのか判りませんが、シンガポール人の友達に連れて行かれたのは、セルフリッジズの隣にあるタイ料理レストランのButsaba Eathai(http://www.busaba.com/)。
 僕が紹介するまでもなく、すでにかなり有名なようでして、食べ終わってレストランを出るときには、入り口には長蛇の列。レストランのコンセプト自体は、なんちゃって日本食レストランのWAGAMAMAに似た感じですが、供される料理は結構まとも、かつ本格的。各テイブルの真ん中にどーんと置かれているチリ・ソースの特大サイズには驚きますが、それがどんどん消費されていく情景からは、ロンドンの食事情がこの10年でいかに変化・向上してきたかを改めて感じました。
 ロンドンの繁華街にあるレストランはどこも同じですが、客層はとても国際的。僕らの料理が運ばれてきてすぐに、同じテイブルにオリエンタル系の女性三人が座りました。一人は確実に日本人に見えるけど、互いに話しているのは英語。で、僕の隣に座った方に尋ねたところ、韓国人、日本人そして中国人とのことでした。感慨にふけりました。
 ところで、割り勘を英語で言うと、do the dutch。どうしてオランダ人なのか、ということは脇において、日本でも英語でも「割り勘」というのは頼んだ飲み物や食べ物の料金を人数で均等に割って払う、というのが鉄板の常識だと思っていました。
 ところが、隣のテイブルにいた12人くらいの若いイギリス人の男女のグループは、オーダーはグループ単位でしたにもかかわらず、いざ払う段になったら、マネイジャーを呼んで、「僕(私)はこれとこれを頼んだから、その分だけ払う」ということをしていました。マネイジャーの男性は表面上は微笑んでいましたけど、全員分の計算・支払いにかかった20分以上、はらわた煮えくりまくりだったのではないかと想像します。暇だったからずっとテイブルに居座ってその一部始終を見ていた僕たちも責められるかもしれませんが、この常識のなさっぷりには唖然としました。

 マリルボーン・ハイ・ストリートへの入り方が難しい理由のひとつは、ボンド・ストリート側からだと、連なっている同じ通りにもかかわらず、マリルボーン・ハイに到達するまでに通りの名前が2回も変わるから。イギリスではよくあることですが、不慣れな土地で通りの名前が変わるのはやはり不安にかられると思います。
 ボンド・ストリート側から北上してマリルボーン・ハイになる前の部分の名前は、Thayer Street。ここの18番地に8月にオープンしたのが、イタリアン・デリカテッセンのcocorino(http://www.cocorino.co.uk/html/cocorino.html)。
 ウェブはまだきちんと機能していないし、店舗自体、その広さは猫の額ほどの狭さ。しかしながら、いまだプロモーション期間中なのかもしれませんが、ジェラートやテイク・アウェイのパスタの盛りはとても気前がよくて重宝しています。

 10年前のマリルボーン・ハイ・ストリートにあった多くの店舗は地域に根ざした文房具屋とか魚屋等々。日本でも名が知れていたブランドはコンランアニエスBくらい。いたって普通の通りでした。それが、ウォルデン側がマリルボーン地域の知名度上げるために昔ながらの店舗を法外な賃貸料で追い出す一方で、ポッシュなブランドを積極的に呼び込むことが功を奏し、いつの間にかロンドンで最も評判のいい通りのひとつに選ばれたことも。最近ではとうとうポール・スミスが進出してしまいました。
 服飾や生活雑貨関連の店舗が増えているのは事実ですが、一方で通りの知名度が上がるにつれて質の高いカフェやオーガニック食品店が増えているのもまた事実。たとえば、今ではロンドンの名の知れた通りや、ユーロスターの発着駅のセント・パンクラス駅に進出しているベルギー発のベイカリー・カフェがイギリスで最初の店舗を出したのはマリルボーン・ハイ。ロンドンでもトップ・クラスのチーズ・ショップ(http://www.lafromagerie.co.uk/marylebone-shop/)が営業を始めたのは、ハイ・ストリートを曲がったところ。
 そんな中、「食」を求めてマリルボーン・ハイ・ストリートに来る人にとって一番の魅力は、毎週日曜日に開かれるファーマーズ・マーケットhttp://www.lfm.org.uk/mary.asp)。
 ウェブを観ていただければわかるとおり、ロンドンで開かれているファーマーズ・マーケットはマリルボーンだけではありませんが、どうやら規模としては一番大きいようです。10月の最後の日曜日に写真を撮ってきました。かぼちゃがたくさん売られているのは、ハロウィーンの前だったからです。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157622566527989/

 正直、売られているものすべてが安いわけではないです。質のいい肉などはやっぱり高いと感じます。言い換えれば、その質の良さに惹かれて多くの人が集まるようになり、その相乗効果で良質の飲食関係の店が増えている、そんな感じです。日曜日の朝のマリルボーン・ハイ・ストリートは買い物籠を持った人が忙しそうに、そして楽しそうに歩いています。マリルボーン界隈でセルフ・ケイタリングの宿泊施設に泊まられる方は、ここで新鮮な食材を買って調理する機会があれば、それはそれで面白い経験になるのではないかと思います。

 マリルボーン・ハイ・ストリートのクリスマス・イルミネイションの点灯イヴェントが、11月18日にあります。

ロイヤル・バレエ:ミックス・ビル

2009.11.06
昨年末くらいから、エンタメに行く時間的余裕がなくなってきて、でも特にロイヤル・バレエに限れば、何度も観たくなるような演目・ダンサーが少なくなってしまったという気分的なこともあります。そのような印象はまだまだ引きずっていまして、今週、やっと今シーズン初めてロイヤル・バレエを観てきました。
 世界初演を含むトリプル・ビルの初日。久しぶりに見るロイヤルのダンサーたちは、勢いのある若いダンサーの化けっぷりに眼を見張る一方で、もともと余り好きでなかったダンサーをますます否定的な目で見てしまう、そんな個人的にはとても面白いプログラムでした。

 プログラムの最初は、ジョージ・バランシーンの「AGON」。当初出演予定だったプリンシパルのセナイダ・ヤノウスキーが産休で降板。その代わりを、したから2番目のランクにもかかわらず、どんどん大きな役に抜擢されているメリッサ・ハミルトンが見事に果たしました。

AGON
Melissa Hamilton
Carlos Acosta
Mara Galeazzi
Johan Kobborg


 このプロットレスの演目の主要キャストは4人。初日は、ハミルトンを除く三人がプリンシパルということで、いい意味でも悪い意味でも、プリンシパルといえども「松竹梅」があることを改めて感じました。
 悪いほうから書くと、ガレアッツィ。プリンシパルになったころから比べれば、技術は安定してきたことはわかります。が、彼女の踊るバランシーンの切れなさといったら。ガレアッツィが率いるセカンド・パ・ド・トロワ(他に男性二人)は、三人とも「バランシーンを踊ってはいけない人が踊ってしまっている」という感じで、あれほどかったるいバランシーンを観たのは本当に久しぶりでした。
 そのセカンドとは対照的にいい踊りと感じたのは、ファースト・パ・ド・トロワをヨハン・コボーと踊った日本出身の二人の女性ダンサー。一人は、崔由姫さん、もう一人は今シーズンからファースト・ソロイストに昇格した小林ひかるさん。ヴェテランのコボーの確実なサポートがあったからこそだとは思いますが、切れがあり、かつ優美な動きでした。
 彼女たちの踊りを観ていて、気になったら頭から離れなくなってしまったことがひとつあります。AGONを踊る女性ダンサー衣装は黒一色で飾りのないとてもシンプルなもの。背中はぱっくり開いています。崔さんの背中を見てふと、「あれ、背中が幼い」。小林さんの背中も、ガレアッツィの背中も多少の差はあれ、「小林ひかるの背中」、「マーラ・ガレアッツィの背中」であることを主張しているのに、崔さんの背中だけはなんだか無色透明でした。決して批判しているのではなく、背中にもいろいろあるんだな、と。
 ハミルトンは、その驚異的な体の柔軟性を、ロイヤル・バレエの常任振付家、ウェイン・マックグレガーが見出したことで、昨年突如表舞台に舞い降りて以来スター街道まっしぐらです。今回も、アコスタと堂々と張り合う踊りからは、カンパニーが育て方を間違わなければ、将来のロイヤル・バレエを代表するダンサーになるのではないかと感じました。
 で、初日のAGONをバランシーンの振り付けとして踊れていたのは、ヴェテランのカルロス・アコスタとコボーだと思います。幕が上がって二人の顔を見たときには、「アコスタ、なんてふけっぷり」、と驚きましたが、踊りのセンスという点では若いダンサーたちを寄せ付けるものではありませんでした。それとアコスタの場合、ロイヤルで踊るときは世代がまったく違うダンサーと踊ることはほぼないので、今回、15歳以上したのハミルトンと踊っているときの彼の表情は、なんだかとても慈愛に満ちていました。
 カーテン・コールでは、バランシーンが上演されるたびに指導しに来るパトリシア・ニァリィ女史が、今回もまた一番華やかでした。

 2番目は、グレン・テトレイが振付けた、SPHINX。カンパニー初演の演目です。

SPHINX:Marianela Nuñez
OEDIPUS:Rupert Pennefather
ANUBIS:Edward Watson


 今回のブログラムで唯一のナラティヴ・バレエだったようですが、筋書き自体はとても陳腐なものでした。アヌビスの忠告にもかかわらず、エディプスにほれてしまったスフィンクス、という話です。メイクはヤンキーを崩して古代エジプトテイストを混ぜてみましたという感じですし、唯一の舞台セットは日本のバブルのころのディスコのお立ち台という印象で、作品自体には何の感慨もありません。振り付けも、体力勝負という感じで見応えはあるものの、体力と技術が伴わないダンサーが踊ったら眼も当てられない舞台にもなりかねないように思いました。


(ヌニェスとペネファザー)

 で、そんな作品を引き締めたのは、プリンシパル三人の存在感。とりわけ、エディプスを踊ったペネファザーの成長振りに、彼が踊るアルブレヒトを観てみたいなと。

 最後の演目は、マックグレガーがカンパニーに振付けた新作の「LIMEN」。世界初演でした。

Music:Kaija Saariaho
Choreography:Wayne McGregor
Set design:Tatsuo Miyajima
Costume designs:Moritz Junge
Lighting design:Lucy Carter

Performers
Edward Watson
Leanne Benjamin
Yuhui Choe
Mara Galeazzi
Melissa Hamilton
Sarah Lamb
Marianela Nuñez
Paul Kay
Brian Maloney
Steven McRae
Eric Underwood
Leticia Stock
Akane Takada
Ludovic Ondiviela
Trystan Dyer


 常任振付家になってロイヤル・バレエに振付けた新作としては三作目になる「LIMEN」創作の発端は、作品に使われたKaija Saariaho作曲の「Notes on Light」だったようです。ちなみに初日は、この曲がイギリスで初めて演奏された日でもあったそうです。

 マックグレガーの作品を言葉で表すことは意味の無いことだと思いますが、印象に残ったことを幾つか。
 まず、カーテンが上がり、薄いスクリーンの向こう側で男女ペアのダンサーが静かに踊っている。スクリーンには、Tatsuo Miyajimaによるデジタル処理された数字がランダムに投影されている。
 で、このランダムに浮かんでは消え、消えては浮かんでくるデジタル数字が何の脈絡もなく、X染色体とY染色体にも見えるなと思いついた瞬間、それが頭から離れなくなってしまいました。で、スクリーンが上がると、舞台の床に最初に投影された照明効果は、真四角のラヴェンダー・パープルの床。これがまた、「シャーレで細菌を培養している」というイメイジに結びついてしまって、マックグレガーらしいなんて研究所っぽい作品というのが最初の印象でした。
 作品を通しての衝撃度という点では、マックグレガーを常任振付家にした「クローマ」ほどではないように感じます。しかしながら、音楽、振り付け、証明等がもたらす作品の統一感という点では、新作にもかかわらずとても円熟味を感じました。
 今シーズンから正式団員として踊っている高田茜さんが抜擢されているなど、キャスティングの点でも興味深い作品ですが、とりわけ印象深く感じたダンサーは三人。
 まず、キャラクター・ダンサーを除けば、現役ダンサーとして最高齢であろうリアン・ベンジャミンが自分の子供ほどの若いダンサーに混じって踊っている。彼女は、2003年の「クォリア」でもワトソンと踊っている(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-234.html)ので、本人にとっては別段、特別なことではないのかもしれません。が、ベンジャミンのとても小さな体から醸し出されるダンサーとしての誇りに感銘を受けました。
 LIMENのメイン・パ・ド・ドゥは、サラ・ラムエリック・アンダーウッドによって踊られました。ムーブメントの美しさは筆舌に尽くしがたいほど。そして、思い込みが過ぎるのかもしれませんが、同じくらい深く感銘を受けたのが、二人がアメリカ人であり、一人は白人女性、一人は黒人男性であること。


(ラムとアンダーウッド)

 僕はアメリカのバレエ・カンパニーの実情を知りませんが、これほど肌の色が違うバレエ・ダンサーが、振り付けのメインとなるパ・ド・ドゥを踊る機会は、アメリカでどれほどあるのか?とてもいい意味で、あまりにもロイヤル・バレエらしいと思わずにはいられなかった、美しい一瞬でした。

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