LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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2010年05月の記事一覧

2010.05.31 インターネットは社会にとどまるかどうかの踏み絵
2010.05.31 ロンドンの貸し自転車制度、7月30に開始
2010.05.30 歌舞伎、ローマ公演
2010.05.29 ボストリッジ&パッパーノ@ウィグモア・ホール
2010.05.27 それでも、王室メンバーになりたいか:セーラ・ファーガソンは何処へ?
2010.05.27 「tw-」のカタカナ表記、正しくして欲しい
2010.05.25 チェルシー・フラワー・ショウ、開幕
2010.05.23 ロンドン半日徒歩ルート:ボンド・ストリートからウォリック・アヴェニューまで
2010.05.20 もはや、網膜から消去できない:ロンドン・オリンピック・マスコット
2010.05.19 ロンドン・オリンピックの、信じられないマスコット登場:イギリス・デザインの終焉
2010.05.18 鼻の長いカエルは好きですか?
2010.05.18 ロイヤル・オペラ:連隊の娘、またはオペラって楽しい!
2010.05.16 ロイヤル・アカデミー、秋の展覧会の詳細発表
2010.05.13 増幅した嘘は自分に戻る
2010.05.11 「ムサシ」ロンドン公演のレヴュー
2010.05.11 来る者、去る者:イギリス総選挙
2010.05.06 「ムサシ」、ロンドン公演初日
2010.05.05 デンマーク出身の画家の展覧会@ナショナル・ギャラリー
2010.05.05 科学報道とイギリスの名誉毀損法:サイモン・シンの勝利
2010.05.03 ロンドン地上鉄(Overground)の新ルート、営業開始に

インターネットは社会にとどまるかどうかの踏み絵

2010.05.31
日本やインターネットが普及している国ではどこも同じような状況だと思われますが、最近のイギリスでは、テレコミュニケイションといえばインターネット。たとえば、公共サーヴィスや地方自治体の情報を得ようとして電話するとします。人間が真っ先にこたえることはまったく期待できません。録音された音声情報がオプションを延々と繰り返すのですが、二言目には、「あなたの時間を節約するために、ウェブにアクセスするほうが簡単」と、人間の声を模したその無機質な音声でメッセイジを言い放ちます。ええ、へそ曲がりですからいつも頭の中で怒鳴ります。「すべての利用者がインターネットにアクセスできるとなぜ言える?インターネットへアクセスできないからかけているんだよ!」、と。

 5月中旬、日曜紙のオブザーヴァー紙に以下のコラムが掲載されていました。

If you're not online these days you're a second-class citizen
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/may/16/catherine-bennett-nhs-internet

 イギリスの健康保険機関のNHSが患者に送りつけた手紙を冒頭で紹介することで、如何にこの国がインターネットでのみのコミュニケイションを国民に押し付けているかということを、糾弾ではありませんが、提示しています。記事の後半で、その昔、あだ花のように咲いて一気に散ったイギリスで初めてのドット・コム・ビジネス・ブームを唯一生き抜いたマーサ・レイン・フォックスという女性の名前が出てきます。ご存知の方もいると思いますが、ラストミニット・コムの創設者の一人です。会社の株を売り巨額の利益を得たものの、アフリカの砂漠で生死を彷徨うほどの交通事故に遭遇し、今でも杖をついている姿を時折、マリルボーン・ファーマーズ・マーケットで見かけます。

 で、記事によると、フォックスはこう言ったそうです。

"I think that shutting down services would be the best way of carrying through the most amount of people, as long as it is carried through with training."
(インターネットを使わせるために、人々が必要とする)サーヴィスへの(電話による)アクセスを閉めてしまえばいいのよ。もちろん、インターネットの使い方は教えるべきだけど。

 記者はこう続けています。

And, minus the training, Madam's vision is already taking shape: the NHS is not alone in disenfranchising, tormenting or otherwise penalising citizens who, living offline, are already defined as excluded. Employers, too, demand that job applications be submitted online; banks and shops, travel, insurance and energy companies save competitive products for online customers; even councils demand applications for social housing be made, exclusively, online.

 その「トレイニング」がないまま、すでに多くの公共サーヴィスが、オンラインでのアクセスのみになっている、と。

 職を探している人が、簡単にインターネットにアクセスできると思っているのでしょうか。何らかの身体的な困難でマウスを思うように扱えない患者にどうしろと。このようなことを心配しているのは僕だけではないです。その人とは、エリザベス女王です。今年の3月上旬に催されたコモンウェルスの60周年の式典で、女王はインターネット利用の強制に関しての不安を述べました。

Internet Bypasses Too Many, Warns Queen
http://news.sky.com/skynews/Home/World-News/Queen-Elizabeth-Internet-Monarch-Says-The-Web-Is-Unaffordable-To-Many-In-The-Commonwealth/Article/201003115568993

"Advance in modern telecommunications are also having a marked economic effect on people from developing nations in the Commonwealth, helping to transform small to medium-sized businesses.
"The internet is playing an important part in helping to nurture these fledgling markets but, as yet, it still remains an unaffordable option for too many of our Commonwealth citizens.


 多くの人にとって、インターネットはいまだに高価なオプションです、と。もちろん、女王のスピーチの前後をみれば僕がこれをこじつけ気味に使っているのは承知しています。でも、事実としてインターネットへのアクセスは、ある意味贅沢、生活に経済的な余裕がなければと常に思っています。

 最初に挙げたオブザーヴァーの記事の半ばあたりで紹介されていますが、イギリスでは、65歳以上のグループの6割以上の人々が自宅でインターネットへの接続を持っていないそうです。もちろん、居住地域の地理的条件などもあるとは思いますが、年金だけで暮らしている人々にとって、新たにインターネットを自分の限りある予算から購入するのは、簡単なことではないでしょう。さらに、設置したらしたで、数年も経てば、「あなたのコンピューターは古いので新しいインターネット回線には接続できません」、と延々と出費が続く。
 他人事のように思われるかもしれません。でも、たとえば、会社を幸運にも定年退職できたとして、いざ自宅を眺めてみたらインターネットがなかった。自力で設置できますか?自力で維持できますか?会社では誰かが直してくれたPCも、会社を離れればすべて自分でやらなければならない。日本では、このような「インターネットを使わなければ人にあらず」のような状況で、「買い物難民」と呼ばれる人々が増えているそうですね。
 
 ブログをやったりしていても、僕はIT音痴。書いてみたかったんです。僕がこの世を去るころには、このような世迷言を言う人はいないことでしょう。

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ロンドンの貸し自転車制度、7月30に開始

2010.05.31
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(ロンドン交通局のウェブから。場所は、ヴォクソール方面へ向かうあたり。もちろん、合成写真だけど、どうして冬の写真を使うのかな)

 先週の金曜日、5月28日のイヴニング・スタンダード紙によると、イギリスの銀行、バークレイズが命名権を獲得したロンドン中心部での貸し自転車制度が、7月30日にスタートすることが報道されていた。どうしてそんな大事なイヴェントの初日が金曜日なのか、は誰にも判らない不思議のロンドン。

Boris Johnson's bike hire scheme gets a £25m bonus from Barclays

http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23839406-boris-bike-hire-scheme-gets-a-pound-25m-bonus-from-barclays.do

About Barclays Cycle Hire
http://www.tfl.gov.uk/roadusers/cycling/12444.aspx

 ロンドン交通局による説明を読むと、年間登録したほうが断然安い。リージェンツ・パークのあたりを、真っ青な空の下で自転車で走るのは気持ちいいだろう。
 でも、ロンドンのゾーン1と2を自転車で移動するのは、ある意味命がけ。2005年のテロや、度重なる地下鉄のストライキに翻弄されるのを嫌って、自転車で通勤・通学する人は格段に増えている。それに伴い、死亡事故も急増。この制度の成否の鍵は、自転車専用レインの整備だと思う。

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 バークレイズは「勝ち組」というよりは「負け組みにならなかっただけ」というのが僕の認識だけど、公共の制度に銀行が資金を注入するのはいいことだと思う。もちろん、メリットはあるのだろうし。

歌舞伎、ローマ公演

2010.05.30
在ヴェネツィアの友人から聞いた情報。サドラーズでのロンドン公演のあと、ローマで2回公演があるそうです。

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http://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/2010/06/post_50.html

 友人によると、劇場窓口ではすでに売り切れになっているらしいけど、松竹のウェブからはまだ購入できそうな感じ。なんだか、大使館や旅行代理店が日本人向けに買い占めているように思えてならない。ローマまで歌舞伎が行くなんてそうそうあるわけでもないだろうから、現地の人に観てもらうほうが結果としてはいいことだと思うのだけど。

ボストリッジ&パッパーノ@ウィグモア・ホール

2010.05.29
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(EMIからでている二人の共演CD)

今晩、ウィグモア・ホールで、イギリス人テノールのイアン・ボストリッジと、ロイヤル・オペラの音楽監督であるアントニオ・パッパーノ(ピアノ)によるシューベルトの歌曲のリサイタルを聴いてきました。戻ったばかりで咀嚼も何もしていませんが、感じたことを簡単に。

Ian Bostridge tenor
Antonio Pappano piano


Programme:Schubert
Widerschein
Der Winterabend
Die Sterne
Schwanengesang (Swan Song)

About this concert
Wigmore recital favourite, tenor Ian Bostridge, returns with one of his hallmark composers, Franz Schubert. He teams up with Antonio Pappano, music director of the Royal Opera House, Covent Garden, with whom he has established a highly successful recital partnership.

The bulk of their programme will be devoted to the collection of songs which were published after Schubert’s death in 1828 as his Schwanengesang, or ‘Swan Songs’. They are not a unified cycle like Die schöne Müllerin or Winterreise but rather a gathering of tragically final thoughts in the genre which Schubert effectively made his own.

This group will be preceded by three songs which also come from the last years of his life, including the haunting setting ‘Die Sterne’ (‘The star’). Lovers of Lieder should make sure of their tickets for this stand-out event.

 ボストリッジとパッパーノのコンビでは取れるわけもないだろうと諦めていたのですが、3週間くらい前にウィグモアのウェブを覗いていたら最前列のど真ん中の席がポツンと空いていたので、即クリック。目の前1メートル足らずのところでキャリアのピークにあるであろう歌手とピアニストの演奏を聴けたのは、贅沢なことでした。

 まず、今夜も聴衆の咳が本当にひどかったです。今晩のプログラムは休憩なしのものなので、咳は我慢してくださいと開演前にホール側からしっかりとした案内があったにもかかわらず、前半ではパッパーノが最後の一音を弾き終わるや否や、ごほごほ、げほげほ、挙句派手に鼻をかむやからまで。そのような聴衆の態度は織り込み済みだったのかどうか、それともそういう段取りだったのかどうか判りませんが、スワンソングになると、パッパーノが一曲終わると次の曲をすぐに弾き始めたので、さすがにというかやっと咳が減りました。ただ、ボストリッジもちょっと本調子ではなかったのか、ピアノの陰に飲み物を用意していました。

 パッパーノのピアニストとしての評判はすでに聞いていましたが、彼の演奏を聴くのは初めてでした。僕は、ピアノの演奏技術に関する知識はまったく持ち合わせていませんので評価のしようがないです。が、上手かったと思います。でしゃばりすぎることもなく、かといって歌の陰に隠れてしまうこともなく、初めて聞くにもかかわらず、まるで何年も前から聞く準備ができていたように、旋律が耳に自然に流れ込んでくるような演奏でした。それに、パッパーノが彼なりに楽しんで演奏している姿を見るのも嬉しかったです。

 Lugwig Rellstab(ルートヴィヒ・レルシュタープ、かな)の詩に曲をつけた、「Abschied(Farewell)」という曲。心地よいアップテンポの曲で、僕も伸ばしたつま先でリズムを取りながら、ピアノから流れてくる旋律とボストリッジの力強いにもかかわらず、軽やかな声に身を任せていました。で、曲の後半になったころになって、舞台から「ぶん、ふん、ぶん、ふん」といった感じのハミングらしき鼻息、もとい呼吸音が聞こえてきました。その主はパッパーノ。クライマックスになると、ペダルを踏んでいないほうの足で床にリズムを刻んでいるパッパーノ。いいことなのか悪いことなのか判りませんが、彼もこの音楽を楽しんでいる、という風に受け取りました。

 ボストリッジの声質は、僕にとって直球ど真ん中、ではないです。3月にウィグモアで聴いたプレガルディーンhttp://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1180.html)に比べると、鋭すぎるように感じる場面が何度かありました。ただ、その鋭さに迷いも濁りもなく、テノール歌手としては稀少な痩身の体を存分に使って生み出す歌声には、ドイツ語の意味はわからないながらも、そこに物語があると理解できる響きがありました。それに、舞台の真ん中に突っ立ったまま歌うのではなく、舞台の上をかなり動き回りながら歌うボストリッジの姿からは、好き嫌いは仕方ないですが、音楽のジャンルわけって、意味ないなと感じました。ボストリッジが歌うシューベルトの歌曲の旋律の美しさ、そして何より親しみやすさからは、シューベルトが曲を生み出した時代、彼の音楽は芸術であると同時に、人々の日々の暮らしに彩を与える何か素晴らしいものであったのであろう、と。

 今晩のリサイタルは、結果としてボストリッジ、パッパーノそれぞれの技量がシューベルトの残した素晴らしい歌曲と織り合わさることによって、一人では、または曲だけでは生み出せなかった美しい瞬間を何度も舞台上に生み出していたように思います。僕個人としては、軽やか(響きが軽いという意味ではありません)な曲に強く惹かれました。たとえば、Die Sterne, Fruhlings-Sehnsucht,Abschied, Das Fischermadchenなど。全体のプログラムでは、2曲を除いて初めて聴く曲ばかりでしたが、「リートって、冬の旅だけじゃないんだ」、と改めてドイツ歌曲の魅力を認識できたリサイタルでした。

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それでも、王室メンバーになりたいか:セーラ・ファーガソンは何処へ?

2010.05.27
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日本でも大きく報道された、エリザベス女王の次男、アンドリュー王子の元の奥さん、セーラ・ファーガソンさんが自ら引き寄せたのか、それとも巻き込まれたのかと判断がつきかねる大失態。

http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010052401000074.html

http://www.asahi.com/international/update/0525/TKY201005250447.html

 現実としては、すでに彼女は「イギリス王室」の一員ではありませんが、the Duchess of Yorkとしてはいまだに、「minor member of the Royal Family」と見られるファーガソンさん。日曜日と月曜日の報道では、彼女の無防備ぶり、さらに「本当に金に困っているんだな」と確信できるほどなりふりかまわない彼女の醜態にメディアは目を顰めた、という印象でした。
 それが、火曜日、水曜日ともちろん彼女の失態を許すわけではないですが、彼女へ少ないながらも同情を寄せる記事やコメントが掲載されました。いつものように、テレグラフ(王室贔屓)とガーディアン(リベラル・レフト)、それにデイリー・メイルから。

Shamed Duchess of York Sarah Ferguson puts on a brave face as she prepares for 'showdown' with Prince Andrew

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1281205/Duchess-York-Sarah-Ferguson-Im-very-sorry.html

Fergie: From sashes to ashes . . .

http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/theroyalfamily/7761326/Fergie-From-sashes-to-ashes-.-.-..html

Why I feel sorry for Sarah Ferguson
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/may/24/feel-sorry-for-sarah-ferguson

This is the way to fund the royals
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/may/26/way-to-fund-the-royals
(ゴルフに興じるアンドリュー王子の素っ頓狂な表情が笑えます)

Sarah Ferguson's lesson to the royal family
http://www.guardian.co.uk/uk/2010/may/27/sarah-ferguson-lesson-royal-family

 デイリー・メイル以外のコラムと記事にあえて共通しているといってもいいかなと思えるトーンには、「王室内のマイナー・メンバーとして生まれるのも、あとから加わるのもまるで道化のような悲しさがある」、といった気分が込められているような印象を持ちます。ただ、ファーガソンさんの常軌を逸した浪費行動やファンタジーとしての「王室メンバーとしてのライフ・スタイル」にこだわる精神面の不安定さが、彼女が12歳のときに両親が離婚したから、という点に僕が言いたいのは、「そろそろ、何でもかんでも親の所為にするのはやめようよ」。

 幾つか、面白いと思った文章を転載します。

the difficulty of being a minor Royal (テレグラフ:王室内で、マイナーな存在であることの難しさ)

In exchange for her £228,000 a year from the Queen, she performs more than 600 public appointments a year – work that she carries out with admirable humour and professionalism. (テレグラフ:アン王女は、エリザベス女王から援助を受ける代償として、年間600以上もの公式行事に参加している)

They are left with only the capital his grandfather, King George VI, left him, supplemented by a £141,000 salary from the Queen – in return for which he and his wife open school canteens. (テレグラフ:エドワード王子夫妻は、援助を受ける代わりに、学校の食堂のオープン行事に参加する)

for younger Royals it is hard to keep up appearances. They can be damned if they try, and damned if they don't. 中略 is sympathetic to the difficult business of being a minor Royal trying to earn a living. "It is quite cruel for British society to expect them to conduct themselves as Royals, We want them to be grand but not to get the wherewithal. Almost every job can be seen in the wrong light." (テレグラフ:王室内の若いメンバーが目立とうとすれば社会から批判され、逆に目立たなくても批判される。社会は、マイナーなメンバーにも「王室のメンバー」であることを期待しつつ、彼らが外から資金を得ることをいいこととはみない)

it is at least possible to see that it would be difficult for a woman of limited education to make the kind of money that life as mother of the fifth and sixth in line to the throne demands.(ガーディアン:セーラのような女性にとって、王位継承権5位と6位にある子供の母親であることは難しいだろう)

The royal family might realise that they cannot risk either marrying or breeding ever, ever again. (ガーディアン:(今回の醜聞で)イギリス王室は、メンバーの結婚、そして子供をもうけることはリスクが大きいことであると学んだかもしれない)

 表現の差こそあれ、「王室」という存在には、「悲哀」という表現が常に付きまとう、といったところでしょうか。

 ところで、今日のイヴニング・スタンダード紙によると、ファーガソンさん、アメリカの有名なチャット・ショウ、オプラ・ウィンフリィの番組で涙涙の懺悔を考えているらしいとか。イギリスで引き起こした失態をアメリカで謝罪するなんてことをしたら、彼女への憐憫の情も一気になくなるのではないかと思います。

 最後に、年上の友人にこの件を尋ねたときの返事。「もちろん、彼女(ファーガソン)の失態は褒められるものではないわ。でも同時に、私はニューズ・オブ・ザ・ワールドに怒りを禁じえない。地位の差に関係なく、お金に困っている人の心を弄び、辱め、貶めるなんて、最低だわ。あれを新聞と呼ぶのもいやだし、メディアの道徳はすでにこの国からはなくなったとしか思えなくて、悲しいわ」、とのことでした。

「tw-」のカタカナ表記、正しくして欲しい

2010.05.27
今朝、朝日新聞のウェブを開けて真っ先に飛び込んできたヘッドラインは。

マーク・トウェイン自伝、一世紀の封印解かれ今秋刊行


 記事の内容ももちろん興味深いのだけど、気になったのはカタカナ表記。トウェインの英語表記は「Twain」。朝日新聞だけを責めているわけでは決してない。でも、Twainがトウェインで、どうしてtwitterがツイッターになるのか?

 Twilightを「ツワイライト」と表記しているか?Twiningsを「ツワイニングズ」という人はいるのか?

 「tw-」の発音は、日本語にはもともとない音であろうから、発音も表記も難しいと思う。個人的にも、英語がコミュニケイションの筆頭手段の国で10年以上暮らしていても、Wが入っている単語の発音が難しく、とりわけWが最初に出てくる単語の発音にはいまだに自信をもてないことが多い。
 だからこそ、もともとの発音にできるだけ近い表記にして欲しい。教育に携わる皆さんが、日本人に英語を話せるようになって欲しいなら、非日本語を原語の音に近い形で表記できるという、世界でも稀な特色を持つカタカナをもっとうまく活用して欲しいもの。
 一人ぼやき漫談をしていると映るかもしれないけど、カタカナ表記の発音がその言葉の発祥の外国で通じない、という現実はしっておいたほうが良いと思う。

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(ジョークですから)

 日本ばかりを責めては公平ではないので、当然、イギリスも。

 これだけ携帯電話が生活の中の必需品として存在しているからには、電話番号のエリア・コードのことをとやかく言うのは時代遅れなのかもしれない。でも言いたい。ロンドンのエリア・コードは「020」。

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 認知心理学(Cognitive Psychology)を勉強したことがある方には説明不要のことだけど、人間は数字の羅列を覚えるとき、思い出すのが簡単になるように、「塊」として認知、それを何回も何回も繰り返すことで覚えていく。言い換えると、その「塊」の基準が壊されると、思い出せない、もしくは同じ数字が同じ順番で並んでいるにもかかわらず、自分が覚えている数字とは「同じ」とはすぐに認識できない。つまり、

020 7123 4567

0207 123 4567

0207 1234 567


 最近になって、ロンドンのイヴェント情報雑誌の「タイム・アウト」はレストランや劇場の所在情報欄の電話番号表記から「020」を削除している。これは、「ロンドンのエリア・コードは020だから載せる必要はない」との意思表示だろう。各大手新聞も、意識的に(020)と括弧ないに入れてはいるが、もはや焼け石に水。

 どうしてそんな些細なことを何度も、とここを読んでくださってる方も思われるかもしれないし、現に、ロンドナーと話していてもまったく理解する気がない。
 日常生活の中で強く感じるのは、イギリス人ほど電話番号の表記を無責任に、且つ身勝手に変更しまくっている国民はいないのではないかということ。たとえば、イギリス人がいつも馬鹿にするアメリカやフランスはどうか?アメリカ人は、

001 123 456 7890
 
という、「3」「3」「4」の組み合わせを崩すことはしていないように思える。フランス人だって、

0033 1 23 45 67 89

という順列を、携帯電話が普及しても変えてはいない。もしかしたら僕が知らないだけで、すでにアメリカやフランスでも同様のことが起きているのかもしれない。でも、少なくともロンドナーに言いたいのは、「生活の基盤をなす数字の配列のルールを勝手に変えるんじゃない!」。

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(画像を探していて見つけたロンドンの郵便番号の位置。知ってはいたけど、無秩序すぎる。)

チェルシー・フラワー・ショウ、開幕

2010.05.25
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Security guards protect designer David Domoney’s Ace of Diamonds exhibit at the Chelsea flower show. The garden includes £20m of diamonds
(ガーディアンより拝借)

 まったく興味がないのでいつが本当の初日だか知らないけど、今年もチェルシー・フラワー・ショウが始まった。ガーディアンから拝借した上の写真、王立園芸協会もとうとう狂ったかと思った。こんなのの出品を許すなんて。

写真
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/gallery/2010/may/24/chelsea-flower-show?picture=362992720

http://www.telegraph.co.uk/gardening/chelseaflowershow/7762924/Chelsea-Flower-Show-2010-The-Daily-Telegraphs-best-in-show-winning-garden-in-pictures.html

http://www.telegraph.co.uk/gardening/gardeningpicturegalleries/7762959/Chelsea-Flower-Show-2010-the-Queen-pays-a-Royal-visit.html

最近、テレグラフは写真をダウンロードできなくした。

記事
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2010/may/25/andy-sturgeon-daily-telegraph-garden-chelsea

http://www.telegraph.co.uk/gardening/chelseaflowershow/7762690/Chelsea-Flower-Show-2010-winner-The-Daily-Telegraph-garden-wins-Best-in-Show.html


 来月、久しぶりにシシングハーストに行こうと計画中。イギリスの庭園は、極端な言い方をすれば全部作られたもの。でも、少なくともシシングハーストでは、花と植物が主役。

ロンドン半日徒歩ルート:ボンド・ストリートからウォリック・アヴェニューまで

2010.05.23
昨年の夏、僕自身が興味を惹かれるところしか案内しないというロンドン観光案内をしました。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1072.html

 このときは、前半に僕がすっ飛ばしてしまったので、後半に予定していたリージェンツ・パークからプリムローズ・ヒル。余力があれば、リージェンツ運河沿いを歩いてリトル・ヴェニスまで、というのは実行に移せませんでした。

 昨日、5月22日、ロンドンの天気は、「ロンドンでこんな素晴らしい天気があるはずがない」、と誰もが思ったに違いないほどの、雲ひとつない青空がどこまでも広がる素っ晴らしい天気。ロンドンに来て間もない方をちょっと案内するつもりが、その望外の好天を逃す手はないということで、ロンドン南北縦断のいちルートを完結させようと。突然勝手に決めたにもかかわらず、お会いした方には快くご了解いただき、且つ写真も提供していただきました。今回は、すでにフリッカーにアップした写真のリンクを貼り付けます。面倒かもしれませんが、クリックしてください。

 先ずは、ボンド・ストリートから北上し、マリルボーン・ハイ・ストリートにあるThe Natural Kitchenhttp://www.thenaturalkitchen.com/)でランチ。いつもは気分のいい接客を誇るここのレストランですが、どうも何かがうまく進んでいなかったようで、かなり待たされました。料理はおいしかったですが。
 ちなみに、ロンドン、およびイギリスで外食をする際、会計の内訳にサーヴィス料が課金されていたら、よほど素晴らしい接客でなければ、チップを払う必要はないです。逆に、あまりにひどい接客にもかかわらずサーヴィスを自動的に課金してきたら、それをはずすように交渉することは可能です。もちろん、それなりの交渉力は要求されます。

 レストランを出て、毎週土曜日に開かれているマーケットを抜け、リージェンツ・パークへ。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4632888026/

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4632901080/

 バラが咲くのは6月ですが、ここ数日の好天の所為もあるのでしょう、今年のバラは絶対に美しい、そう確信しました。その後、広大なサッカー、またはクリケット練習エリアを横目に、プリムローズ・ヒルへ。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4632412473/

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4633027456/

 写真で観ると、勾配があるようには見えないかもしれないですが、頂上までの数十メートルは、心臓破りです。が、その価値はあります。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4632444995/

 どうです、この景色。僕のものではありませんが。

 けっこうたっぷりの量のランチでしたが、よく歩き、太陽光をたっぷり浴びたので、丘を降りてすぐにあるLankahttp://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1176.html)。生クリームをたっぷり使ったロール・ケイキがとてもおいしかったです。お店の方針があるようですが、願わくば、ラプサン・スーチョンをメニューに加えて欲しいです。

 冷たい紅茶、おいしいケイキの後は、再び歩いて。ガイドブックにどのように紹介されているのかはまったく知りませんが、リトル・ヴェニスからカムデンへ(またはその逆)のリージェンツ運河沿いは、天気がよければとてもいい散歩コースです。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4633056644/

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4632485085/

 Lisson Groveで一般道に戻り、歩いてアビー・ロードまで。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4633117370/

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4632541815/

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/4632566609/

 「アビー・ロードへはどう行けばいいんですか?」、という質問は受け付けません。

 その後、46番バスでベイカールー線のウォリック・アヴェニューまで移動し、この徒歩旅行は終了。ランチとティーを含めて、僕の足で約5時間半でした。ご参考になれば幸いです。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157624120867952/

もはや、網膜から消去できない:ロンドン・オリンピック・マスコット

2010.05.20
なんだか、衝撃、そして笑撃がすぎたら、ロンドン・オリンピック委員会の目論見にまんまとはまってしまった気がする。この2体、もう寝ても覚めても浮かんでくる。

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 これはもはや、恋?!

 なんて戯言はさておき、すでにいじられキャラとしての本領を発揮している模様。今夕のイヴニング・スタンダード紙に載っていた写真を拝借。

Mandeville and Wenlock as they WON'T be appearing at 2012 Games
http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23836271-mandeville-and-wenlock-as-they-wont-be-appearing-at-2012-games.do

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 連立政権にちなんで。

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 似てる。

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 イギリスに棲息する、CHAVというみなさん。

 悔しいけど、インパクトという点では、これまでのオリンピックのマスコットを跡形もなく吹き飛ばして更にお釣りがくるほど。

ロンドン・オリンピックの、信じられないマスコット登場:イギリス・デザインの終焉

2010.05.19
シリアスな話題を書こうと思っていたのに、思考が完全に弛緩状態。

 今日、2012年に開催されるとまだ信じられているロンドン・オリンピックのマスコットが発表された。Wenlock(橙。オリンピック本体)とMandeville(青。パラリンピック)。

 酷いんじゃないだろうか?

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London 2012: Olympic mascots Wenlock and Mandeville unveiled
http://www.telegraph.co.uk/sport/othersports/olympics/london2012/7741352/London-2012-Olympic-mascots-Wenlock-and-Mandeville-unveiled.html

http://www.guardian.co.uk/uk/2010/may/19/london-olympics-2012-mascot

http://www.guardian.co.uk/uk/gallery/2010/may/19/olympics-london-2012-mascots?picture=362828696


http://www.dailymail.co.uk/sport/othersports/article-1279748/Londons-Olympic-2012-mascots-revealed-Wenlock-Mandeville-unveiled-faces-Games.html?ito=feeds-newsxml

 イギリスって、ミニスカート、コンコルド等の歴史に燦然と輝く服飾・工業デザインを多く生み出してきた国のはず。ヴィヴィアン・ウェストウッド、ジョン・ガリアーノ、故スティーヴ・マックウィーン、マーガレット・ハウェルという綺羅星のデザイナーを生み出してきた国、だよね?

 酷すぎないか、これ?

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 世界が一瞬、ギリシア発の世界金融危機を、タイの騒乱を、地球温暖化対策の実りのない議論を忘れてしまうほどの衝撃はあるだろう。でもその衝撃のあとは、イギリス、世界の笑いものになるんじゃないか?

 心の底から、力いっぱい望む、たった一つのこと。それは、「2012年のオリンピック、どうかパリ開催になってください」。ただ、それだけ。それ以上は何も望まないから、このマスコットを含めてどうかロンドン・オリンピック、なかったことにして欲しい。

[追記]
BBCから。

http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/olympic_games/london_2012/8690467.stm


 開き直り。それとも、本気?!

鼻の長いカエルは好きですか?

2010.05.18
写真で見る分には、とても可愛い。実物を見たい。

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Spike-nosed tree frog and tame woolly rat found in Indonesian New Guinea
http://www.guardian.co.uk/environment/2010/may/17/foja-mountains-indonesia

New species discovered in Foja mountains on Indonesian island of New Guinea
http://www.guardian.co.uk/environment/gallery/2010/may/14/foja-mountains-indonesia-new-species?picture=362661034

ロイヤル・オペラ:連隊の娘、またはオペラって楽しい!

2010.05.18
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(ロイヤル・オペラ・ハウスのウェブから)

昨晩、ロイヤル・オペラ・ハウスで「連隊の娘」の初日を観てきました。とーーーーっても面白かったです。2007年にこのプロダクションが初演されたときは2回も観ることができたにもかかわらず、本編の感想は書かずに、上演前の関連イヴェントのことだけを書きました。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-461.html

 今回の再演の出演者は、指揮者も含めて初演のときと一人違うだけ。ナタリー・デッセィホヮン・ディエゴ・フローレスが出演するということで、チケットの争奪戦は凄まじく、自分でもよく初日が取れたものだと。ちなみに、会場で、ロイヤル・バレエのヌニェスソアレスのプリンシパル・カップルを見かけました。

La Fille du regiment
Music: Gaetano Dinizetti
Libretto: Jules-Henri Vernoy de Saint-Georges and Jean-François-Alfred Bayard

Conductor: Bruno Campanella
Marie: Natalie Dessay
Tonio: Juan Diego Flórez
La Marquise de Berkenfeld: Ann Murray
Sulpice Pingot: Alessandro Corbelli
Hortensius: Donald Maxwell
La Duchesse de Crackentorp: Dawn French


 イギリスのオペラ界ではヴェテラン中のヴェテラン、アン・マリーは今年の初めに同じくオペラ歌手だったご主人が亡くなったばかり。なので、精神的に出演できるのだろうかと思っていたのですが、華やかで、それでいて影のある役をエレガントに演じていました。カメオ役(歌わない、もしくはしゃべりもしない役)で出演したドーン・フレンチは今回もまたどすの利いた声で巧みにフランス語(だったのだろうか)と英語のせりふを繰り出し会場を爆笑の渦に。


(ドーン・フレンチの登場は2幕のみ)

 連隊のトップで、マリーの父親代わりでもある役を演じた、コルベッリ。脇役という自分の立場を十分に理解し、出過ぎない演技にもかかわらず、結果としていなかったら初日の大成功は違ったものになっていたかもしれないであろういぶし「金」のような存在。本当に巧かった。

 今回も素晴らしいアリアでオペラ・ハウスを爆発させた(英語では、bring house downという表現がよく使われます)フローレス。実は、5月7日にバービカンで彼のソロ・リサイタルを観てきました。レヴューも、在ロンドンの音楽ファンの皆さんのブログでも大絶賛、巣晴らしリサイタルでした。チケットを買って1年半、待った甲斐がありました。
 が、心のそこから楽しんだかといえば、実はもやもやとした物足りなさが残りました。本編が短すぎたとか、サルスエラが多すぎたのでは、という瑣末なことではなく、スリルが感じられなかったんです。言い換えると、フローレス、巧すぎ。他の歌手がどんな手段を用いても得ることのできない天賦の才能を持つフローレスにかかると、どんなに難しい歌唱も、「普通」に聞こえてしまうんです。コミックの「アーシアン」で描かれていたウリエルに匹敵するのではというくらいのこの世のものではないような技術を普通と思ってしまうことが怖いとでもいおうか。
 フローレスの本領はオペラと思ってはいたのですが、オペラ・ファンが薀蓄を語り始めたら、だれそれの「ハイC」を聞いたことがあるの自慢合戦を常に引き起こす「Ah! mes amis, quel jour de fete」も、僕の耳には、「へっ、もう終わっちゃったの?!」というくらいの極めて自然な響き。当然、オペラ・ハウスの拍手、足踏みは2分以上も続きましたが、もっと驚かせて欲しいという想いは残りました。個人的には、第2幕の熱唱系のアリアのほうが胸にジーンときました。


(第1幕から。オペラの舞台はティロル地方)

  デッセィ。3月、ニュー・ヨークのメトで、「ハムレット」のオフィーリア役を病気降板したので、歌えるのかどうかやきもきしていましたが、「連隊の娘」、彼女とフローレス以外ではしばらく観られません。歳の影響かショート・ターム・メモリー機能の劣化が著しい最近にあっても、彼女の鮮烈、コケティッシュ、躍動感に溢れ、「連隊の娘」だけでなくオペラの素晴らしさを小さな体を何倍にも使って伝えようとする姿は、今でも鮮明によみがえってきます。


(第1幕から)

 先週テレグラフ紙に掲載されたインタヴュー(最近、テレグラフはカルチャー関係の記事をウェブに掲載するのが遅いように思えます)によると、「ハムレット」の公演の前は疲れきっていたそうです。現在45歳、おそらくオペラを歌のはあと5年くらい。その5年の間に、ロイヤルに戻ってくるのはおそらくないかもしれない。ロイヤル・オペラで歌うのはとても楽しいけど、彼らはデッセィに出演を依頼してくるのが遅すぎたといっています。
 アイロンをかけながら、洗濯物をたたみながら、ジャガイモを切り刻みながら、真横に抱きかかえられても、兵士たちの頭上に斜めに掲げられても、惨めなときも、幸せなときも歌い演じ続けるデッセィには脱帽です。こんな心がうきうきするオペラですが、彼女の歌や演技に涙を流している人がたくさんいました。


(第2幕から)

 カーテン・コールはすごかったです。最後から2番目のフローレスが出てきた途端、会場をぎっしり埋めた聴衆の半分くらいがスタンディング・オベイション。彼のためだけに、3分以上もの拍手、足踏み、そしてブラヴォー。もちろんデッセィにも同じくらいの熱い感動の嵐が降り注がれていました。

 もちろん、デッセィフローレス、そしてすべての出演者のおかげで楽しい夜をすごすことができましたが、昨晩は、それだけではなかったように思います。オーケストラが序曲を奏でているとき、楽しくて楽しくて。オペラって、結局作られた時代のポップスみたいなものだったんだろうな、と。小賢しいことを考えないで、ありのままにオペラに身を任せ、耳を傾け、歌手が歌ったアリアをはハミングしながら家路につく、そんな夜でした。


(オペラのほぼ終わりの場面から)

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-175.html
デッセィが出演した「ハムレット」。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1049.html
フローレスが出た「床屋」

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-553.html
2007年のフローレスのリサイタル。

ロイヤル・アカデミー、秋の展覧会の詳細発表

2010.05.16
4月1日に発行された英国ニュースダイジェストに、ロンドン中心部、フォートナム・アンド・メイソンの向かいにあるロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで予定されていた大規模な展覧会が中止になったことを書きました。

http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/6170/265/


 書いているときには詳細が発表になっていなかった代わりの展覧会の内容が、やっと発表になりました。

Treasures from Budapest: European Masterpieces from Leonardo to Schiele
http://www.royalacademy.org.uk/exhibitions/treasures-from-budapest-european-masterpieces-from-leonardo-to-schiele/

Royal Academy to exhibit Hungary's art treasures

http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2010/may/15/royal-academy-exhibit-hungary-art

 この、ハンガリーから運ばれてくる美術品がどこかに巡回中なのを何とかスケジュール調整してロンドンに持ってこれることになったのか、それともまさにアカデミーのためだけなのかはガーディアンの記事を読んでもよくわからない。が、ひとつ確かだと思えるのは、中止に追い込まれたリヒテンシュタインからの美術品と遜色ないコレクションだろうということ。まさに、国の威信と威信が火花を散らしている感じがする。
 ガーディアンの記事から検索して、おそらくロンドンに来るであろう美術品は、レオナルドのこれとか、

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ゴヤのこれが含まれることになりそう。

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 ガーディアンの記事の後半に面白いことが書いてある。

The Budapest exhibition is not entirely without purpose from Hungary's perspective. The country takes up the EU presidency in 2011 and this show forms part of that drum-banging.

 ハンガリーは、2011年のEU大統領選に向けて行動を開始しているよう。今年の秋、中欧の各都市で美術鑑賞を考えておられる方は、ブダペストははずしたほうが良いかも。

 ちなみに、他の興味深い特別展示を二つ。

Gauguin
http://www.tate.org.uk/modern/exhibitions/gauguin/default.shtm

Venice: Canaletto and his Rivals

http://nationalgallery.org.uk/whats-on/exhibitions/canaletto-venice-and-his-rivals

増幅した嘘は自分に戻る

2010.05.13
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自分の話。自戒と反省。

 昨日、一日の始まりに、他者がしでかした失敗を挽回させようとして、その失敗がどのような状況で起きたのかを本人や周囲に確認することなく、小さな(そのときは)うそをついた。感謝してもらいたいという気分ではなく、他者の失敗で自分の時間が邪魔されることがいやだった、というほうが適切かもしれない。
 気がついたときには、その取り繕いが事実ではないと言うにはかなりまずい状況に陥っていた。

 嘘は膨らむ。膨らみすぎたら、元を断ち切れない。失ったものを回復するのにどれだけの時間がかかるのか。

 悪意のない、他愛のない嘘(white lie)は時に人間関係を円滑にすることもあるが、昨日のように自分があずかり知らないことをさも自分が解決できるかのようにつく嘘は、自分の首を絞めるだけでなく、被害も予想外に大きくなる。そんな基本的なことを、忘れていた。

「ムサシ」ロンドン公演のレヴュー

2010.05.11
自分で驚くほど、舞台の余韻が心地いいので、「ムサシ」のレヴューを簡単に紹介。ファイナンシャル・タイムズを含めて大手5紙(ガーディアン、テレグラフ、タイムズ、インディペンデント)はどれも4つ星以上の評価。

http://www.guardian.co.uk/stage/2010/may/06/musashi-review

This is an extraordinary theatrical event: a production by the dazzling Yukio Ninagawa of a Zen comedy-drama by Hisashi Inoue, who died only a month ago, that questions the samurai ethos and the cult of violent retribution. Although the production, played in Japanese with surtitles, runs for three hours, it is remarkable for its lightness, speed and benevolent pacifist instinct.

中略

The action is also impressive. As a warrior, Musashi prides himself on "the strategy of no strategy"; the actor Tatsuya Fujiwara embodies that by conveying an immense sense of power through his own watchful stillness. Ryo Katsuji as his younger rival is more impetuous, and seems to swell with pride when kidded into believing that he is 18th in line to the throne. Among the temple denizens, I was struck by Kohtaloh Yoshida, who, as a tutor to the Shogun, argues that "the age of the sword is over". It is precisely this belief in the sanctity of life that makes the story so moving.


Big screen beckons for Musashi
http://www.thisislondon.co.uk/theatre/review-23831320-big-screen-beckons-for-musashi.do

 僕の印象では、イギリスの批評家は自分の専門外のほかの芸術フォーマットに言及することは稀なので、この評価の仕方からは、ムサシが高く評価されたことが伺えると思う。

Alive with wit and beautiful to behold, this production of Hisashi Inoue’s play is a sensory and intellectual pleasure
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/stage/theatre/article7118426.ece
(タイムズは来月からウェブアクセスが課金による閲覧制限が始まるらしいので、印刷は早めに)

http://www.ft.com/cms/s/2/fb6fd632-5c44-11df-93f6-00144feab49a.html

 著作権無視ですが、切り貼りするなということなので全文を。

Director Yukio Ninagawa is now such a frequent visitor to the British stage (most regularly of late as part of the Barbican’s Bite programmes, as here) that audiences have largely passed through the initial, easy stage of responding to his work as exotica. We can now admire it on its own terms. Ninagawa does not have a trademark style as such, but rather a continuing interest in blending classicism with modernity, whether the classicism in question is western or Japanese.

Musashi is newly written by Hisashi Inoue (who died last month), but its subject is the near-legendary 17th-century samurai Musashi Miyamoto. Inoue begins with Musashi’s famous 1612 duel with the swordsman Kojiro Sasaki, then imagines the rivals’ paths crossing again six years later, on a three-day retreat at an isolated Buddhist temple. Kojiro challenges Musashi to a rematch when the retreat is over, but in the meantime they must co-exist more or less peacefully. However, the priests and others seem intent on dissuading them from fighting by means of appeals, parables and stratagems.

Inoue keeps a strong vein of comedy pulsing throughout the piece, often deploying bathos to great effect when some grand dramatic utterance subsides with a plonk into personal foible. One of the retreat-goers (played with suitably preposterous dignity by Kohtaloh Yoshida) suffers from a compulsion to burst into traditional Noh verse, which is nicely absurd in the context of the text and staging.

Ninagawa uses little of the high Japanese dramatic idiom, except for one or two brief and deliberately obtrusive set-pieces. There are nods towards tradition, though, both in the temple’s configuration, which is reminiscent of a Noh stage, and in that the play broadly follows the structures of Mugen Noh plays, in which a traveller-protagonist encounters spirits who tell him a story. For the temple turns out, apart from the duellists, to be peopled by unquiet ghosts seeking redemption. Tatsuya Fujiwara as Musashi and Ryo Katsuji as Kojiro combine an upright adherence to the samurai code of bushido with a certain vulnerability. Ninagawa directs with his characteristic painterly eye, creating visual compositions at once sumptuous and economical.


 テレグラフも、7日の本紙に演劇クリティクのチャールズ・スペンサーのレヴューが掲載されていたけど、ウェブにはいまだに転載されていない。ということで、本文の最初の段落と、〆の部分を紹介。

It was with extreme reluctance that I dragged myself to the Barbican for Musashi, the latest piece from the celebrated Japanese director Yukio Ninagawa.
Despite the acclaim he receives from many, his work often strikes me as patchy and perverse.


中略

At the end the production springs a brilliant, Pirandello-like surprise. I was not bored once during this rich, hypnotic show and left the theatre feeling spiritually refreshed, as if waking from a deep Zen mediation.

 察するに、スペンサーは蜷川の演出については好意的でなく、行く前は気乗りしなかった。ところが終わってみれば、禅の瞑想から覚めたような爽快な気分で劇場をあとにすることができたと。ピランデッロというのは、ぐぐってみたところ、ノーベル文学賞を受賞したイタリア人、ルイージ・ピランデッロのことかな。

 今回のロンドン公演に携わったすべての人は、成し遂げたことを誇りに思えることでしょう。

 すべてのレヴューに共通しているのは、まず井上ひさしさんの脚本の素晴らしさ。日本人の僕からも言葉が多いなと感じた場面はあったけど、スペンサーいわく、「with the help of surtitles the language barrier is easily vaulted」。一緒に行った年嵩の友人いわく、「あの変な女性が小次郎の母親と名乗り出る展開までは予想できたけど、そのあとの結末への展開は驚いたわ。字幕で『When I was alive』って出たとき、間違いだとばかり思っていたから、本当に良くできた話だと思うわ」。
 結果論だけど、完璧な翻訳があっても理解できない外国の文化はあるのは当然なのだから、イギリス人はイギリス人なりに楽しめたという事実を僕たち日本人も受け入れるべきではないかと思う。それにしても井上さんのほかの戯曲も観たくて堪らない。「組曲虐殺」も来て欲しいな。2点目は、藤原竜也と勝地涼の演技。白石加代子の存在感はかなり受けていたと思うけど、あの怪演ぶりは、イギリスの演劇批評家をして言葉で表現できないほどだったのではないかと思う。

 些細な点だろうとは思うけど、自分が生まれ育った日本の暮らし、文化、風土を懐かしく、そして鮮明に感じた所作が一つ。和尚をはじめ禅に参加している人たちが庭から禅を組む廊下(といっていいのか?)に戻るときに、廊下に腰掛けて廊下に立ち上がらずに元の位置・姿勢に腰から戻る動作。これはさすがに外国人には理解できないのではないかと思った。それと、沢庵和尚(六平直政)が、自分のだけでなくほかの人たちの脱ぎ散らかされた草履の向きを次に履き易いように常に向きを直している姿が、見ていてとてもすがすがしかった。

[追記:4月12日]
 テレグラフのレヴュー、昨日付けでウェブにアップされていました。

http://www.telegraph.co.uk/culture/theatre/theatre-reviews/7711416/Musashi-at-the-Barbican-review.html


来る者、去る者:イギリス総選挙

2010.05.11
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(テレグラフから)

 選挙戦も大変面白かったけど、選挙後も毎日、目が離せないイギリスの下院選挙。ゴードン・ブラウン氏が辞任を発表し、連立政権になるかどうかの結果は一両日中にも決まるような、決まらないような。

 そのようなことは専門家と当事者の方に任せておいて、来る人、去る人の写真を少しばかり。

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 保守党の新人、ザック・ゴールドスミス氏がロンドン南西部のリッチモンド選挙区で当選。名前から判るように、「あの」ゴールドスミス家出身です。この人も、税金逃れで灰色のままなのに当選してしまうのだから。

 去る人たち。

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 保守党の論客、Ann Widdecombe女史。容姿も声も一度目にしたら、耳にしたら絶対に忘れられない存在。いじられやすいキャラクターなので、カトゥーニストたちが悲しむのは必至。

 そんな彼女をしのぐほど話題満載だった労働党のジョン・プレスコットも引退。

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 いつの選挙戦だったか、卵をぶつけられて反撃。 

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 ポーリーン夫人と。ポーリーン夫人は、数年前、確かブライトンで労働党大会が開かれたときに、強風で自慢の髪が崩れるのいやだからと、ホテルから大会の会場への移動に公用車を使ったなんて話題もあるほど、一寸のすきもないドレス、ヘア、化粧が有名。また、ポーリーン夫人の別の側面についてはこちら(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-194.html)とこちらを。

Heartbreak behind the Prescott love child

http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article856105.ece 

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 ここまで来ると、カトゥーンでいじりようがないほどのインパクト。新しいいじられキャラクターとしてどんな政治家が出てくるのか、とても楽しみ。

「ムサシ」、ロンドン公演初日

2010.05.06
昨日、5月5日に初日を迎えた「ムサシ」をバービカン劇場で観てきました。

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(ガーディアンから拝借。今回の再演、ロンドンが最初だからこのキャストの写真が出るのは初めてでしょう)

http://www.barbican.org.uk/theatre/event-detail.asp?ID=10532

http://blog.livedoor.jp/musashi_2010/

 最後に演劇を見たのが、昨年、同じくバービカンで上演された「NINAGAWA十二夜http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-995.html)」というほど演劇には縁が薄いですが、観終わって直後の感想は「面白かった」、の一言につきました。チケット購入に関しては、少しだけバービカン側と行き違いがあったものの、会員先行の情報をフルに使って最前列ほぼど真ん中、£10-の席を確保。すべての舞台が最前列で観るのがいいというわけでもないですし、まして罰当たりなのかもしれませんが、出演した俳優の皆さん誰一人にもまったく思い入れがない僕よりも、どなたかのファンの皆さんが座ったほうがよかったのかもしれないですが、結果として素晴らしい席でした。役者の皆さんの細やかな表情、演じ分けるときの体の動かし方の違い等々、これまで経験することのなかったことを目の当たりにすることができたと思います。

 井上ひさしさんが多くの人に伝わることを願ったであろう、「恨みの連鎖を断ち切る」ということと「生きてこそ」という主題が、字幕でイギリスの演劇ファンがどこまで理解できたのかは判断の材料が少なすぎるのでなんともいえません。が、会場であった知人や、一緒に行った友人たちの意見は、「たくさんの刺激に満ちた舞台。俳優、舞台セット、演出、物語のすべてが驚きに満ちていて見ごたえがあった」、ということに統一できそうです。
 一緒に行った友人の中で、一番若い子は物語の進行の中で示された幾つかのサインやセットが、「私が日本のことを知らないから理解できないのかも」、とのこと。「たとえば?」と尋ねたところ、「最後に武蔵が大きな石を放り投げたでしょ。それによって、物語が一気に変化したけど、私にはそれがどうしてそれが石でなければならないのかがわからなかったわ」、と。
 これ、物語の大詰めで、武蔵が舞台になった寺の境内の端に置かれていた文字を刻んだ石を放り投げ、それによって結界が破れてしまった場面のこと。もちろん、結界の意味を英語で説明できないことは自分でもすぐにわかったので、視点を変えてこう説明しました。
 「たとえば、イギリスにはストーン・ヘンジがある。意味合いはまったく違うけど、この国でも大昔、人間は石が何か大切な力を秘めていると考えたらしい。日本人も、特定の石にそんな力があると信じてきた。そう考えると、異文化だから理解できないと思っていることも、共通点が見えてくることもあるかもよ」、と。なんて説得力のない説明と今は思いますが、なるほどねとの返答。

 僕が一番感心したのは、役者の皆さんが舞台上に生み出す統一感。それと勘違いかもしれないですが、物語の最後で感じた輪廻転生。いまさらですが、これまで井上ひさしさん原作の舞台を観る機会がまったくなかったことを残念に感じました。
 まだレヴューが出ていないので、イギリスの舞台批評家たちがどう感じたかはわかりませんが、会場の反応はとてもよかったです。観客の割合も日本人と非日本人がちょうど半々くらいだったようなので、あの熱い拍手は身内褒めではなかったと思います。あれほど完成度が高く、異文化圏でも強くメッセイジを発することのできる舞台がたった4回しか上演されないのは残念です。

 閑話休題。来月、バービカンからそう離れていないサドラーズ・ウェルズ劇場で、「松竹大歌舞伎 ロンドン公演」があります。昨年の「十二夜」上演の際にも思ったことですが、松竹の仕切りは立派。見てください、この頁。

http://www.sadlerswells.com/translations/kabuki-2010.asp

 これ、今回の歌舞伎公演のチケット購入だけでなく、サドラーズで催されるほかの公演のチケット購入にも十分役に立つと思います。

デンマーク出身の画家の展覧会@ナショナル・ギャラリー

2010.05.05
5月の最初の連休の最後の日、5月3日にナショナル・ギャラリーで開かれているデンマークの画家、Christen Købkeの展覧会を観てきました。

http://www.nationalgallery.org.uk/whats-on/exhibitions/kobke

This is the first exhibition outside Denmark to focus on the paintings of Christen Købke (1810–1848). Emphasising his exquisite originality and experimental outlook, the exhibition focuses on the most innovative aspects of his work – including outdoor sketching, his fascination with painterly immediacy, and treatment of light and atmosphere.

The exhibition features around 40 of Købke’s most celebrated works, spanning a variety of genres. Works include landscapes, portraits of many of his family and closest friends, and depictions of Danish national monuments using his charming and unusual sense of perspective.

Købke was a pre-eminent painter in his country and arguably one of the greatest talents of Denmark’s Golden Age. With the exception of one journey to Italy, he spent almost his entire life in and around the Citadel in Copenhagen, where he found the principal themes of his art.

Købke’s work demonstrates his ability to endow ordinary people and places and simple motifs with a universal significance, creating a world in microcosm for the viewer.


 今まで存在すら知らなかった画家の凄い画業を見るたびに思うのは、世界は広く、自分の見識は狭い、ということ。全国紙でいつもはけなすことが批評と信じているのではないかと思っているクリティクたちがべた褒めだったので、逆にどれだけ無意味なものなのかを確かめに、そんな下心を持って行ったのですが、自分の無知・倣岸がはるかかなたに吹き飛ばされてしまうほど素晴らしい絵画群でした。

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(写真はすべてアート関連のサイトから拝借。すべて、会場で展示されていたもの。この絵は、会場でもとりわけ人気が高かったようです)

 目が悪い僕には、淡い色調、自然の光の具合をキャンバスに再現することを追い求めたらしいKøbkeの幾つかは、天窓から射すロンドンの弱い光の下では、集中するのが難しいものもありました。他方、その具象の裏から浮かび上がってくる記号の意味合いを考えながら絵を見ていると、特に風景画からは現実と非現実のあわいを見ている、そんな気分にもなりました。 
 というのも、画家のお気に入りの建物を描いたある絵。細部にいたるまでキャンバスに丁寧に、まるで写真のように再現されている。しかしながら、画家の意思によって本来あったものが意図的に省かれている。そのような絵は、具象といえるのか。現実にないものであるなら(現実にあるものを排除したという意味で)、それは画家の願望を描いた、ある意味シューレアリズムではないのか。

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 描かれているものの解釈がまったく説明されていない、という意味で上記の絵は興味深いものだそうです。画家は愛国者であったにもかかわらず、なぜ、国旗がまっすぐに描かれていないのか。二人の女性は、船を見送りに来たのか、それとも到着を待っているのか、どこかに行くのか、戻ってきたところなのか。

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(これは実物より色がきつめに出ています)

 画風という点では、アンドリュー・ワイエスを、特に風景画をどの視点から描くかというところでは岡 鹿之助を想起させるような印象があります。さらに特筆すべきは、この展覧会は無料。

 ついでに、もうひとつロンドンの熱い展覧会をご紹介。

This major exhibition features 100 drawings by Italian Renaissance artists including Raphael, Leonardo and Michelangelo.
http://www.britishmuseum.org/whats_on/all_current_exhibitions/italian_renaissance_drawings.aspx

 どれほど素晴らしいかを日本語でという方には、こちらを。

http://fumiemve.exblog.jp/10512600/

 さらに、来週末には、開館10周年を記念してテイト・モダンで記念イヴェントが13日、14日、15日に開かれるそうです。

http://www.tate.org.uk/modern/exhibitions/nosoulforsale/default.shtm

科学報道とイギリスの名誉毀損法:サイモン・シンの勝利

2010.05.05
手前味噌ですが、4月29日に発行された英国ニュースダイジェストの「ウィークリィ・アイ」に書いた記事の本文部分を、アップします。写真つきの本誌へのリンクはこちら。記事、掲載されている写真の著作権は、英国ニュースダイジェストに帰属します。

http://www.news-digest.co.uk/news/content/blogcategory/18/263/


4月1日、英国における科学報道のあり方に光明をもたらす、画期的な事件があった。ノンフィクション作家のサイモン・シン氏を名誉毀損で訴えていた英国カイロプラクティック協会が訴えを取り下げた結果、言論の自由に関する議論が再燃している。この事件を振り返りながら、「科学的な事実報道を妨げる法律」であるとして国連からの批判を受けているという、英国の名誉毀損法についての議論を追う。

人気ノンフィクション作家の苦闘


「暗号解読」や「フェルマーの最終定理」などの科学ノンフィクション作家として広く知られるサイモン・シン氏が、英国の言論人たちに小さな希望を与えた。名誉毀損で訴えられた裁判において、2年の歳月と20万ポンド(約3000万円)という資金を費やし、事実上の勝利を勝ち取ったのである。

事の発端は、2008年4月に彼が「ガーディアン」紙のウェブサイトへ寄せた文章。そこで同氏は、英国カイロプラクティック協会が、科学的根拠がないまま、乳幼児期の喘息や疝痛(せんつう)、泣き癖の治療にカイロプラクティック治療が有効であるとの見解を示していることに疑問を呈した。この内容に猛反発した同協会に対して、「ガーディアン」紙側は反論を載せるための紙面を提供することを申し出たが、同協会はこれを拒否。筆者本人との協議にも応じないまま、シン氏を名誉毀損で訴えた。

「公正な論評」であると主張するシン氏の期待に反して、裁判所は2009年5月、協会側の訴えを認めた。しかしこの判断を不服としたシン氏が翌月に上級裁判所に控訴した結果、控訴審は最初の審理に間違いがあったとの判断を下す。当初、再控訴の可能性をちらつかせていた同協会が今月中旬に訴訟を取り下げたことで、シン氏の勝利が確定した。

名誉毀損法の実態


勝利の翌日、シン氏は、「ガーディアン」紙への寄稿記事を通じて、裁判の結果を報告した。そして、「英国の名誉毀損法は、社会の利益となるはずの事柄を科学者やジャーナリストが報道することを妨げている」との国連人権委員会の見解に言及しながら、同法のあり方について再考を促したのである。

実際、名誉毀損法で訴えられた場合、ジャーナリストに強いられる負担の大きさは、計り知れない。まず、そのジャーナリストは、判決が下されるまでにかかる費用の大半を払わなければならない。これは、シン氏のようにフリーランスで働く作家やジャーナリストにとっては、死活問題となる。

さらには最終的にどんな判決が下されようと、無実が確定されるまでは、訴えられた側に罪があると見なされる現行法下においては、裁判が実施されている期間中、法的に灰色となったジャーナリストや作家に進んで仕事を依頼する会社は少ないだろう。大企業は、以上のような状況を利用して、名誉毀損法をちらつかせることで不利な報道を封じ込めようとしているとされている。

名誉毀損法の改正は行われるのか


3月31日、下院は同法改正案を否決した。今後再び改正案が検討されるのか、あるとすればどの段階で協議されるのか、といった見通しは全く立っていない。しかしながら、シン氏の訴えが認められたことにより、名誉毀損法の問題点が広く認識されたことは、英国社会にとって大きな一歩となるかもしれない。

労働党と自由民主党は、それぞれのマニフェストで同法改正を実施することを確約している。現行の名誉毀損法がどのように改正されるかは、今後、英国社会がどこまでリベラルになるかの試金石となるのではないだろうか。


 僕自身は、科学的なことを書くことはほぼありませんが、この裁判の結果を知って真っ先に思ったことは、「極論で言えば、何が正しいことなんて結局誰にも判らないこともありえる。それが科学的に実証されていなくても、実証されていても」。

 今回の判決によって起こるであろうと期待する変化は、本文に書いたとおり、現状ではいつ、どのような形で現れるのかは判りません。でも、少なくとも、間違った情報で人々が傷つく、病に倒れる事件が起こらない方向に進んで欲しいです。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-911.html

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(ネットで見つけた、写真。今回の裁判に関係するキャンペイン中かな)

 サイモン・シンの著作できちんと読んだのは、最初の2作、「フェルマーの最終定理」と「暗号解読」。どちらもとても面白かった。物理は正式に学んだことがなく、数学も学生のころは天敵といってはばからなかった僕がどこまで理解できるかと読む前は不安でしたが、読み出したら止まりませんでした。今でも、頭をすっきりさせたいときに読んでいます。エジプト旅行を予定している人がいたら、「暗号解読」のヒエログリフの項を先に読んでおく事をお勧めします。いっそう深く理解できると思います。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-38.html



ロンドン地上鉄(Overground)の新ルート、営業開始に

2010.05.03
ロンドン地上鉄Overground)の新しいルートの開通が公式に発表された。

http://www.tfl.gov.uk/corporate/projectsandschemes/5011.aspx
(ロンドン交通局のサイトから)

London Overground runs on the Richmond to Stratford, Clapham Junction to Willesden Junction, Gospel Oak to Barking, and Watford Junction to Euston lines.

A new section of the London Overground network, from Dalston Junction to New Cross/Crystal Palace and West Croydon will open on 23 May 2010.

The line will be extended to Highbury & Islington by 2011.


 ロンドン北東部、ハックニーの隣あたりになるDalston(発音はドルストン)から南下してテムズを越え、直進ルートはグレイター・ロンドン最南部(といってもさしつかないであろう)ウェスト・クロイドンまで。途中、ニュー・クロス(確か、ゴールドスミス・カレッジがある辺り)とクリスタル・パレスに分岐している。
 すでにニュー・クロスまでの試運転は始まっているよう。正式開業は、5月23日の予定。ちなみに、日曜日の開業は、何か問題おきたとしても大きな混乱にはならないだろうとの読みがあるのではと勘ぐりたくなる。

1307_overground_main.jpg
オーヴァーグラウンドの新型車両。窓から身を乗り出しているのは、ロンドン市長のボリス・ジョンソン氏)

http://www.projectmapping.co.uk/Reviews/london_overground_maps.html
(このサイトの右側に、今回の新ルートと、2011年度の開業が予定されているルートの地図。クリックするとPDFで開きます)

 昨年のエントリ(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1057.html)で書いたように、地上鉄は観光向けではないだろうし、ゾーン1内はほとんど走っていないので、地下鉄との接続も便利とは言いがたい。でも、ロンドン東部を、南北に走る公共交通機関が実現するのは本当に画期的だと思う。たとえば、ハックニー区に住む人がウェスト・クロイドンまで行くのは、数回の乗り換えに、待ち時間があったはず。

 今回の新規ルートは観光地を巡るものとは言い難いけど、新しい形のロンドン一周旅行を楽しめるようになる、かもしれない。たとえば、何とか始発駅のドルストン・ジャンクションまで行って、そこからウェスト・クロイドンへのプチ鉄道の旅。ウェスト・クロイドンからはトラム(路面電車)でウィンブルドンウィンブルドンからは、ナショナル・レイルウェイを使ってウォータールーに。
 もしくは、ウェスト・クロイドンからクラッパム・ジャンクションまで北上して、そこから既存のオーヴァーグラウンドに乗り換えてテムズ越え。さらにウィレスデン・ジャンクションで乗り換えてユーストンまで行けば、ほぼロンドン一周。ガイドブックの指示のまま回るロンドンとは違ったロンドンを見られるのではないかと思う。

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