LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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2010年06月の記事一覧

夏の日の「Okinawa Day @ Spitalfields, London E1」

2010.06.27
6月26日、ロンドン東部、リヴァプール・ストリート駅から徒歩数分のところにある、スピタルフィールズ・マーケットの一角で、沖縄と沖縄文化を紹介するイヴェント、「Okinawa Day」が催されたので行ってきた。

 昨年、同マーケットで開催されたジャパン・フェスティヴァルの規模がとても大きいものだったので、それよりちょっとだけ小さいくらいのものかなと期待していたら、とても小さいものだった。冷静に考えれば、沖縄のことだけであのマーケットを埋め尽くすのは難しいだろう。僕の勝手な期待がでかすぎた。

 それでも、フェスティヴァルを計画し、実行に移した皆さんの熱意には頭が下がる。

 メイン・ステイジでのイヴェントのプログラムもけっこう練られたものだった。最初は、伝統音楽の演奏で、ゆったりした旋律に観客の反応はそれほど鋭いものではなかったように思う。でも、それでも、鳩間節とそれにあわせた伝統舞踊には熱心な拍手が送られていた。
 次の、沖縄空手の鍛錬・実技披露は見ごたえがあるもの。こんな、ヨーロッパの西の片隅に浮かぶ小さな国で、沖縄の文化を熱心に学んでいる人々がいるということが沖縄出身ではないけれど、嬉しかった。それにしても、あの、肉体と肉体がぶつかり合う音は、ちょっと怖かった。

 正午になり、気温は30度を超えただろう。DJタイムになり、ポール・フィッシャーさんが一人で黙々と曲を選んでいたので、リクエストとしていいかどうか尋ねてみたところ即座に、「誰が聞きたいんだい?」。ということで、ネーネーズの「テーゲー」をリクエスト。懐かしい、10年以上も聞いていなかったけど、沖縄に行きまくっていたころの思い出、りんけんバンドやネーネーズが日本でデビューしたころのコンサートの記憶がどっと。
 「素晴らしい天気だから、アップ・ビートのものをリクエストしてくれるといいな」、ということで彼が選んだ定番の「ハイサイおじさん」がかかっている間に、りんけんの「年中口説」と大工哲弘で何かテンポのいいものがあればとリクエスト。上原知子さんの透き通る声は、太陽がじりじり照りつけるロンドンに涼風を。
 続く大工哲弘の歌は、「インターナショナル」。保守連立政権が打ち出した予算の大幅削減にゆれるイギリスで聞く、ウチナンチュ(大工さんは八重山出身だったかな?)が歌う「インターナショナル」。こんな幸せ、予想もしていなかった。
 
 来年も同じイヴェントがあるのなら、「沖縄そば」が食べたい。

http://www.okinawaday.org.uk/index.html


 閑話休題。7月11日に、バタシー・パークで「バスティーユ・デイ・ロンドン・ガーデン・パーティ」なるイヴェントがあるそうです。

http://www.bastilledaylondon.com/

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シシングハーストとウィズリィの写真

2010.06.27
先週末に行ったシシングハーストと、ウィズリィで撮った写真ができました。できは全く良くないですが。7月半ばまでは、どちらの庭も夏の花で彩られているのではないかと思います。

Garden8.jpg

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157624242798779/
(シシングハースト)

Purple2.jpg

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157624242825313/
(ウィズリィ)

ロンドン中心部に点在するヴィレッジは、「村」か?

2010.06.22
僕は都市景観論者でも、都市計画に詳しいわけではないですが、ここ数年、ずっと頭の片隅にひっかっかっていた、ロンドンの限られたところで出現している「ヴィレッジ」について友人たちに聞く機会があったので。

 ロンドンの地理に詳しい方、もしくは実際に住んでいらっしゃる方には無用の説明かと思いますが、ロンドンも郊外にいくと「なんとかヴィレッジ」と正式に呼ばれる地域があります。先日、所用で初めて足を踏み入れたウィンブルドン駅からちょっと先にいったところにある、「ウィンブルドン・ヴィレッジ」や、ロンドン南東部にある「ダリッチ・ヴィレッジ(Dulwich Village)」など。ウィンブルドンのほうはヴィレッジというよりは、富裕層が住む郊外の住宅地という趣ですが、ダリッチのほうは日本語の「村」が醸し出す雰囲気があると思います。ダリッチ村と音に出しても、違和感はない感じです、個人的には。


(真ん中に、ダリッチ・ヴィレッジという通りがあります)

 いつから使われだしたのかは判りませんが、ここ数年、ロンドン中心部にある限定のエリアの特色を表現するときに、「village like」が使われることが多くなってきています。例として、勝手に僕の庭と称している、マリルボーン。

http://www.marylebonevillage.com/en/marylebone-village/

 つい最近では、新潮社の旅行雑誌「旅」の5月号で紹介されていたカフェ、兼パン屋に行ったときのこと。その店は、ブレア元首相夫妻が住むあたりで、Connaught Streetにあります。中近東エリアになってしまっているマーブル・アーチの裏側にあって、高級ブティックが数軒ある通りです。他にもいい感じの店がある通り、高級感漂う住宅が並ぶところですが、そこここに「Connaught Village」という看板があるのには、ちょっとした違和感を感じました。

 なんとなく言いたいことは見えているし、そこに住んでいる人たちが、大都市の中心部ながら、こじんまりとした静かな生活をおくれる特別な地域、ということを言いたいのだろうと思います。でも、たとえば、マリルボーン・ヴィレッジに住む皆さんは、イギリスのどこかにあるであろういわゆる「village」に住んだことはあるのだろうか?たとえば東京の銀座を、「銀座村」とか「銀座Village」と呼んだら一層の「特別感」が生まれてくるのだろうか?、等々。

 最初に尋ねたAやMは、「ノスタルジーなんじゃないのかな」とか、「大都市に埋没しないで、特色を出したいだけなのかも」とか当たり障りのないこと。で、ブリティッシュ・ロック、アートだけでなくロンドンの不動産にも詳しいW夫人に尋ねたところ、開口一番、「不動産屋のマーケティングよ」、とばっさり。 

 「一般論としていってもそれほど間違ってはいないと思うけど、昔のヴィレッジ構成に欠かせなかったのは、教会、肉屋、パン屋、そしてキャンドル・メイカーだったのよ。それが時代の移り変わりで他の要素も入ってきたけど。

 「私の記憶が間違いでなければ、(ロンドンの住宅地で)最初にヴィレッジと表現し始めたのは、おそらくハムステッド(ロンドン北部)周辺だったと思うわ。ヒースもあるし、それこそVillage-likeといっても違和感はあまりないし。Aがあなたに言ったようにノスタルジーもあるでしょう。でも、最近使われるマリルボーン・ヴィレッジやコンノート・ヴィレッジは、ロンドンの限られた、なんとなく特別な地域に住む優越感、ほかとは一線を画す何かがあるということを、住む人も不動産業者も意識して使っていると思う。

 「面白いことに、ヴィレッジと称する必要がない地域もあるわ。ノッティング・ヒル・ヴィレッジ、チェルシー・ヴィレッジと誰かが言い始めたら、私はそれはおかしいと思う」。

 だからどうしたと言われてしまえばそれまでなんですが、個人的にはずっと興味を惹かれることだったので。


 閑話休題。で、その「旅」の5月号は、ロンドンのアフタヌーン・ティーの特集。イギリス人の友人たちの見せたら、その反応の面白いこと。まず、「信じられない。どうして日本人はこんなにアフタヌーン・ティーが好きなの?」、というのがまず最初の反応。そのうち、その情報量の素晴らしさに気づき、「このカフェはよさそうね。なんて紹介されているの?」とか、徐にiPhoneを取り出して、住所と電話番号を記録する友人たち。新潮社さん、この特集記事はイギリス人をすら夢中にさせています。

 個人的な感想。美術館・博物館内のレストランやカフェを紹介してあるのは、とてもいいアイディアだと思いました。僕個人の経験では、庭園博物館、ナショナル・ポートレイト・ギャラリー、ウォレス・コレクション、テイト・ブリテンはお勧めです。逆に、ナショナル・ギャラリーのレストランは僕には外れ。
 凄いなと思ったのは、クラウチ・エンド(Crouch End)にあるパン屋が紹介されていたこと。ロンドンに住んでいてもクラウチ・エンドなってめったに行かないし、まして日本からなんて、僕だったら嫌です。しかも、行き方の紹介の仕方がよくない。Finsbury Park駅からW7のバスに乗る、というのは正しい情報。しかしながら、とても重要な情報が抜けています。それは、Finsbury Park駅周辺が、旅行者にとってどれほど危険と隣り合わせの駅であるか、ということ。以前、研修先に行くのに、この駅を使っていましたが、改札エリアを抜けるや否やバス停まで一目散。帰宅が遅くなったときは、バスの扉が開くや否や、これまた改札まで一目散。
 もちろん、いつもいつも誰かが襲われるとか、ということはありません。でも、駅の構造が複雑(特に出入り口)な上に、バスターミナルも二つに分かれているので、ガイド・ブックを開きながら不安げにうろうろしている旅行者がいれば、それはカモです。住んでいる人には申し訳ないですが、僕の友人・知人がロンドンを訪れて、一人でフィンズベリー・パーク駅周辺に行くといえば、僕は止めます。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-750.html

庭園めぐり:シシングハーストとウィズリィ

2010.06.20
今の時季に使う言葉ではないことは承知の上で、夏に向けて三寒四温のロンドンです。

 今週末、時間の余裕が出ることを見越して、サリー県在住の友人に頼んで、シシングハースト・キャッスル・ガーデン(ナショナル・トラスト所有)とウィズリー・ガーデン(ロイヤル・ホーティカルチャラル・ソサエティ所有)に行ってきました。シシングハーストに行った土曜日には天気に恵まれませんでしたが、ウィズリィでは天気が大当たり。今年の長い冬の影響からか双方の庭園とも、いまだ完全な見ごろを迎えているようではなかったので、これから観にいかれるかもしれない何方かの参考になれば。

 シシングハーストに着くころには、今にも大粒の雨が降ってきそうなくらい灰色の雲が頭上を覆ってしまい、さらに、麻の半そでシャツだけでは我慢できないほどの寒さ。今日ははずれかなと不安でしたが、いつものように庭は美しいままでした。

http://www.nationaltrust.org.uk/main/w-sissinghurstcastlegarden


http://beta.nationaltrust.org.uk/home/item273771/

 庭に入るなり驚いたのは、やかましく響くドイツ語の応酬。何事かと思ったら、ドイツ人(か、ドイツ語圏の人たち)が大型観光バスで大挙して訪れていました。わざわざドイツから多勢の人が観に来るほどシシングハーストって有名なんですね。そんな団体の皆さんを避けて、まず目指したのはシシングハーストはといえばの『ホワイト・ガーデン』。多くのガイドブックで説明されているのは、この『白い庭』が最も美しいのは6月。ところが、贔屓目に見ても、白いのは庭の半分足らず。素人目からも、庭が白く輝くにはまだ数週間ほどかかりそうな印象でした。
 雨は降りそうだし、鳥肌が立つほど寒い上に目当てのホワイト・ガーデンがそんな状態だったの気分転換にタワーに。で、タワーの頂上から庭を見下ろすと、ローズ・ガーデンとコテイジ・ガーデンは色とりどりの花がほぼ満開。もちろん、すっ飛んでいきましたとも。写真は現像してからフリッカーに載せるつもりでいます。

 さまざなま薔薇から立ち昇る馥郁たる香りと、人の手によって作られた庭という印象がまったく感じられないほど自然な趣のコテイジ・ガーデンを満喫して向かったのは、レストラン。7年前に初めて訪れたとき、レストランの印象のほうが強かったです(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-199.html)。ところが、再訪の度にレストランの質は落ちていくばかり。今回もあまり期待せずでしたが、やや、上向きになってきた感じです。デザートは二重丸でした。

 ウィズリィを所有する王立園芸協会が、どうやら財政的な問題を抱えているらしい、ということを会員である友人から聞いていました。曰く、寄付を募る手紙やメイルが増えている。また、以前は、会員は二人のゲストまでは無料で入園できたのに、現在は一人まで。うわさでは、そのゲスト一人無料も廃止するらしいとか。

http://www.rhs.org.uk/Gardens/Wisley

 その噂が本当かどうかは判りませんが、確かに、広大な園内で幾つかちぐはぐな場所に遭遇しました。今回、最もがっかりだったのは、6月にもかかわらず、実験農園がなんともさびしい状態だったこと。農園の入り口には、「さまざまな色の競演を楽しんでください」と謳っているにもかかわらず、デルフィニウムを除けば、咲いているのは地味な花ばかり。さらに、更地のままの区画もかなりありました。もうひとつは、昔のグラス・ハウスがあった場所を、今年の夏は「ひまわり畑の迷路」として入場者を呼び込もうとしていること。そんな、他の農園でやっているようなことをウィズリィがやる意味があるのかどうか。ウィズリィにしかできないことで存在を示すのが本道ではないかと。

 愚痴はここまで。シシングハースト同様、ローズ・ガーデンは満開。「ダーシー・バッセル」と名づけられた薔薇があるのなら、「どうしてシルヴィ・ギエムがないんだよ」とこぼしつつ、「ラプソディ・イン・ブルー」という名の、紫の花弁の色に魅入り。巨大な温室の外側に広がる「Prairie Meadow」が再現する自然の中の野原の真ん中で頭上に広がる青空を仰いだり。ロック・ガーデンでは、そこがお気に入りの場所として知られる、ウィズリィに住む猫が気持ちよさげに昼寝しているところを写真に。今回は入場したのがちょっと遅めだったので、約3時間、園の半分をゆっくり歩きながらでしたが、かりそめのイギリスの夏を満喫してきました。

 3年前のものですが。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157601176043822/

 こちらは4年前の8月。

http://www.flickr.com/photos/89578620@N00/sets/72157594263258732/

松竹大歌舞伎ロンドン公演千穐楽(6月15日)

2010.06.17
19日から、2年ぶりの日本公演が始まるロイヤル・バレエの最終日(11日)のことを応援をかねて書きたいのですが、先に歌舞伎公演の千穐楽(と書くそうです)の感想を。

 今回、予想外にはまってしまい、友人が送ってくれる情報で短期間にたくさんのことを知ることができました。観にいく度に、同じ演目にもかかわらず、「そうか、この振り付けはこういう意味だったのか」との発見があり、劇場に足を運ぶ楽しみにわくわくしている自分がおかしかったです。
 友人が知らせてくれた情報によると、海老蔵が演じる「四の切」は、猿之助から教わったもので「澤瀉屋型(おもだかやがた)」というもの。身体的に要求の厳しい「四の切」であるから若い海老蔵だからこそと思われるかもしれないけど、歳をとってもできるのが歌舞伎役者の凄いところである、等々。こんなことを聞いてしまうと、バレエやオペラと同じように、別の役者で同じ演目を見比べたいと思い始めると、働いても働いても何も残らない、ということですね。サンディ・テレグラフのダンス・クリティクの女性は、「KABUKIはアディクティヴ」と評してしていましたが、まさにです。

 本題に戻り。今回の歌舞伎公演、レヴューはかなり割れましたがどうやら口コミで評判が広まったと思われ、最後の4公演はウェブ上では完売。サドラーズではかなり異例なことですが、15日には、リターン・チケットを求める列に20人くらいが並んでいたようでした。普段は日本文化にまったく興味のないスコットランド人の友人が評判を聞きつけて行きたいといってきたので、完売になる前に確保できたのは幸運でした。歌舞伎だけでなく、日本の伝統芸能のことは何一つ知らない友人の感想(後述)は面白かったです。

 僕が選んでおいた席は、花道から出る揚幕の目の前。遮るものは何もなし。俳優の皆さんが花道にいると、舞台が観られないという欠点はありました。しかしながら、『鳥居前』では、最後、六方を踏みながら花道をずんずんずんと進んでくる海老蔵が、目の前に迫ってくるというのは面白い経験でした。

 インターヴァル中に友人と彼女の高校生のお嬢さんに感想を聞いたところ、彼女たちのなかで強く印象に残ったのは、海老蔵の表情の雄弁さ、そして静御前の「女性」らしさ。特に後者の点については、「あんなエレガントな動き、まさに女性のようだったわ。演じるという不自然さなんてまったく感じなかったわ」、とのこと。普段、シティの親父相手にビジネス・コンサルタントとしてバリバリ働いている友人からすると、なんでも新鮮に映るのだろうということは考えられますが、それでも良い点を見ているなと思いました。
 昨年の「十二夜http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-995.html)」のときの観客の反応から感じたことですが、イギリスに限って言えば、男性が女性の「振り」をする、というのはどうしても一段低く見られてしまう、ということがあると感じます。性的な面ではないけど、女装する(その逆もあり)皆さんを、こちらではcross-dresserといいます。特に男性の皆さんの「変身後」にはつらいものがあります。なんと言うか、「女性にはなれない悲しさ、それに伴う凄さ」というものがどうしても付きまとうように感じます。歌舞伎の女形役者の皆さんが目指す方向はまったく別のもの。Cross-dresserがあらわすものではない、ということをもっと知って欲しいなと。

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(例として的確かどうか判りませんが、イギリスでは著名なアーティストである、Grayson Perry)

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(素)

 友人によると、ヘッドホンは本当に素晴らしい助けだったそうです。物語だけでなく、文化的な説明もしっかりされていて、たった数時間で日本の文化の歴史をたくさん知ることができたそうです。

 「四の切」が始まると、いろいろな仕掛け、海老蔵の熱演に会場の熱気は高まるばかり。特に、揚幕の音に引っかかって源九郎狐の登場を見逃した観客の皆さんのどよめきには優越感に浸ってしまいました。千穐楽も無事に終わり、今回の歌舞伎公演はロンドンのダンス・シーンの語り草になるかもと思いながら観ていましたが、やっぱり舞台には魔物がいるようです。
 最後、敵の兵を手玉に取り、初音の鼓を手にして去っていく源九郎狐は宙乗りになります。二人の黒子がでてきて狐の背後にワイヤーをくくりつけるところで、そのワイヤーが舞台上部の桜の枝に引っかかってしまいました。すぐにおかしいと気づいたのでずっと海老蔵の表情を双眼鏡で見ていましたが、さすがですね、動揺は一片たりとも見せませんでした。が、口惜しいという色は目の端に見えた気がします。
 日本語や英語のインタヴュー(http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment_and_arts/10275423.stm)を読んで感じたのは、海老蔵は「完璧主義者」かなと。もしそうであるとすれば、許せないことかもしれません。忘れようにも忘れられないことかもしれません。でも、逆に考えれば、「この借りを返すために、再びロンドンへ」、ということになるのではないかと。僕の勝手な想像ですけど、今回の公演を機にしばらくは、「KABUKIといえばEBIZO」、「EBIZOといえばKABUKI」とロンドンでは語られるのではないかと。

 そのことがあってか、それに千穐楽だからでしょう、カーテン・コールは華やかなもの。最後には、ストールズ(平土間)はほぼオール・スタンディング・オベイション。ブラヴォーも盛大に飛び交い、素晴らしい終わりでした。

ムサシ、ロンドン公演の記事

2010.06.14
*記事の著作権は、社団法人共同通信社に帰属します。記事の無断引用・転載は固くお断りします。


熱演の2人、クールな舞台 
「ムサシ」ロンドンで好評 

「字幕を見ながらの舞台は初めてだったけど、面白かった。舞台セットはと
てもクール」「侍を演じた2人はすごかった」「スピリチュアルな物語の展開
には感銘を受けた」―。
ロンドンのバービカン劇場で5月に上演された「ムサシ」(井上ひさし作、
蜷川幸雄演出)。英国人演劇ファンはそれぞれに熱い感想を語った。
「ムサシ」は昨年、日本で初演。すぐにバービカン劇場とニューヨークのリ
ンカーンセンターから招待を受けた。今回が「ロンドン・NYバージョン」と
銘打った再演の最初の上演だった。
宮本武蔵を藤原竜也、佐々木小次郎を勝地涼が演じた。2人の熱演もさるこ
とながら、白石加代子の演技には、ときに舞台をさらってしまうほどの存在感
があった。
「報復の連鎖を断ち切る」という物語の主題が、現地の演劇ファンにどこま
で理解されるだろうかという不安が関係者にはあっただろう。しかし終演後の
スタンディングオベーションと鳴りやまぬ拍手からは、そんな心配は杞憂(き
ゆう)だったに違いないと思えた。カーテンコールに応える出演者たちや蜷川
は満足そうだった。
ニューヨーク公演は7月に予定されている。(ロンドン共同)

松竹大歌舞伎ロンドン公演2回目(6月7日)

2010.06.09
なんだか、にわか歌舞伎経験者としてあれこれ書くことが正しいのかどうか判りかねますが、7日に会場であった友人が、「日本文化を応援するのは当然ですよ」、という趣旨のことを言っていたので、それに倣って2回目の感想を。ちなみに、松竹のウェブに初日の様子が挙がっています。劇場内に、どのように花道が設えられたかがわかります。

http://www.kabuki-bito.jp/news/2010/06/post_76.html

 舞台の感想の前に、まずイヤホンガイドについて。これ、日本では「有料」で貸し出されているそうですが、今回のロンドン公演ではチケット料金に含まれています。7日に座った席は最前列。昨年の11月に他のダンス公演のチケットとあわせて購入しておいたので、£25-。この料金にガイド代まで入っているなんて円高とはいえ、なんて太っ腹の松竹。
 イヤホンガイドは入り口で配布されていまして、興味があったので、配っていたサドラーズの担当者に尋ねたところ、初日はかなりの数が戻ってこなかったそうです。なので、2日目からは舞台がはねると同時に、出口だけでなく、会場内のいたるところで係員が大声で返却を促したところ、日曜日も月曜日も戻ってこなかったのは2つ3つくらいだったそうです。
 実は、2回目の観劇の前に、ある友人からイヤホンガイドについて助言をもらいました。
 
 「イヤホンガイドは、一度は借りるのがお勧めです。『吉野山』は舞踊が中心ですが、清元の音楽の歌詞で場面や静御前の心情が語られるところなど、なかなかガイドなしにはわかりづらいと思います。同じく『吉野山』や『四の切』で、狐忠信はすっぽん(花道七三(はなみちしちさん)の位置-舞台への距離が3です-にあるセリです)から出てきますが、ここから出るのは普通の人間ではない、という約束事があります。妖怪だの、今回みたいに実は狐だの、幽霊だの。人間でも「忍者」とか、妖術使いならアリですが。イヤホンガイドはそういうことも解説してくれるので、芝居がより面白くなると思ってます。さきの『吉野山』で言えば、すっぽんから出てきた、イコール、この忠信は実は本物の(生きた人間の)忠信じゃないのね、ということがわかるわけです」。

 『吉野山』が終わり、インターヴァル中、周りにいらしたほかの日本人の皆さんが、「綺麗だけど、話がぜんぜんわからないよね」と言っていたので、英語とはいえ、歌舞伎に縁のない日本人にもイヤホンガイドは役に立つのかもと思ったしだいです。ちなみに、今回のサドラーズの舞台では「すっぽん」はなく、忠信の振りをした源九郎狐は、舞台中央の桜のセットがさっと開いてそこから登場してきます。

 先に書いたように、7日の席は最前列。サドラーズで、オーケストラ等が入らない場合の最前列に座ると、舞台がほんのちょっとだけ視線の上にある状態です。今回は、歌舞伎公演のために日本から持ってきたであろう板の舞台をさらにその上に敷き詰めてあったので、役者の皆さんが舞台の後方で演じる場面(特に『四の切』で)では見切れることがけっこうありました。また、初日は丁度花道に出てくる揚幕の直線上の位置に座っていたので舞台全体を過不足なく観ることができたのですが、最前列ど真ん中だとそのつど後ろを振り返り、でも振り返っても角度的になんか物足りなさは残りました。ま、だからこそ£25-なわけですが。
 
 しかしながら、その不足感を補ってなおお釣りが来るほどの醍醐味は、間近でみる超一流の歌舞伎役者の皆さんの素晴らしい演技。特に『鳥居前』と『吉野山』では、初日にたくさんのことを見逃していたことを知りました。たとえば『鳥居前』での海老蔵の豊かな表現力。遠くから見ると、どうしてもその尋常ではない派手なメイクの方に目が行ってしまいました。が、目の前1メートくらいのところだと、彼の顔の筋肉の一筋の動きでどのような精神状況を表そうとしているのかが手に取るように。
 さらに、これは初日の舞台のときから気づいていたのですが、バレエ・ダンサーとはまったく別の訓練の積み重ねとはいえ、その完璧なボディ・コントロール。義経の大谷 友右衛門、静御前を演じた中村 芝雀のお二人が、ふと演技を止めて静止のポーズに入ると、文字通り微動だにせず、しかもその立ち姿勢が美しいまま。
 でも、僕個人にとって、『鳥居前』でもっとも大きな発見であり、驚きは忠信って強いだけではないんだ、と言うこと。義経が去ったあと、静御前が立ち上がるとすぐに、先に支度を済ませていた忠信が徐に前屈みになり、静御前の着物のすそについたであろう土ぼこりを手で優しく払うしぐさをしました。「荒事」が売りの『鳥居前』でこんな「普通」の人間らしい仕種を見ることなど考えてもいなかったので、歌舞伎、侮れません。

 舞踊がメインの『吉野山』で、その踊りの素晴らしさ(こちらのレヴューでは、stylisingが多用されています。この単語、発音し難いです)を感じたのは、源九郎狐のソロ・ヴァリエイション(歌舞伎用語でなんと言うのか判らないので)。清元が、「やしょめ(それともやそめ)、やしょめ」と歌いだすと、きびきびとした踊りが始まります。たん、たんと両足で一度づつ力強く音を立てて3度目もありかと思うと、三度目の足音は静かに、その後にまた一度、片方の足で音を立てます。これをもう一度繰り返し、そのあと両足で軽く跳躍し、着地で音を立てるかと思いきや、まったくの無音の着地。そして先のシークゥエンスをもう一度。2回しか観ていないので、もしかしたら勘違いと言うこともありえますが、テンポの速い調子で進む清元のリズムにのる海老蔵のまったく濁りのなり踊りからは古臭さはまったく感じませんでした。むしろ、洗練されたと言っても良いくらい。次のステップはこう来るに違いないというこちらの期待からほんの一瞬身を翻して、でも決めるところは決めるよと言ったかんじでしょうか。
 『吉野山』の最後で、源九郎は静御前の見ていないところでちょっとした狐らしい仕種を見せます。これに呼応するのが、ファイナンシャル・タイムズのレヴュー。

http://www.ft.com/cms/s/0/cd592310-724d-11df-9f82-00144feabdc0.html

 Kabuki is first cousin to classical ballet mime in terms of its distillation of everyday movement to create stylised motion that retains the essence of its meaning. Poses and gestures are shaped with the care of a master calligrapher and Ebizo and Shibajaku wield the pen with supreme skill.

 幾つか読んだレヴューの中では、FTのが最も的を得ているように思います。

 幕間に、一緒に来ていたイギリス人の友人たちに偉そうに、「こういう物語、わかりづらいものがあるんじゃないかな?」、と言ったところ、ある友人はこう切り返してきました。「この義経千本桜って、ある意味ロード・ムーヴィーであり、旅の途中で登場人物がなにを考え、どのようなことを発見していくかということが物語の骨子だろう。乱暴かもしれないけど、チョーサーの『カンタベリー物語』だって旅物語。共通するものはあると思うよ」、と。負け惜しみともこじつけとも思える一方で、頷けなくもない。で、そう考えると、この『義経千本桜』も、オペラや古典バレエのように、設定を別の時代に置き換えるのもできるのではないかとも思ってみたり。

 週末の公演はほぼ完売のようですが、来週の月曜日、14日の席はまだ残っているようです。

 蛇足ながら、これまで読んできた本の中で多少なりとも歌舞伎についての知識を教えてくれたのは、「東亰異聞小野不由美)」や、近藤史恵の初期の歌舞伎ミステリィ(「ねむりねずみ」とか)といったところ。

松竹大歌舞伎ロンドン公演初日の雑感

2010.06.06
ロンドン、一気に夏になりました。僕は、今年こそ「バーベキュー・サマー」になって欲しいのですが、文句たれのロンドナーはすでに「暑すぎる!」を連発しています。彼らの心理システムに「幸福」という領域はないのだと思います。

 6月4日に初日を迎えた、「松竹大歌舞伎ロンドン公演」の初日を観てきました。薀蓄語れるほどの知識は持っていませんので、感じたこと、見聞きしたことを。これからチケットを買おうかと思っている皆さんへのお節介なアドヴァイスは、舞台に向かってセンターから右よりの席のほうが物語の進行、役者の皆さんの動きを観やすいかもしれません。さらに、ストールズ席(日本風に言えば1階)のH、J、K列がリターンででていたら、即購入することをお勧めします。

 プロによる初日の速報はこちらを。

http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060501000264.html

 会場のサドラーズに到着してまずしたのは、外観の写真を撮ること。ポスターのほかに、幟のようなものが外壁に設置されていて、丁度サドラーズの前にバス停があるので、ロンドンの2階建てバスと一緒に幟を写真に収めるのは記念になるかなと。入り口周辺には、もちろん多くの日本人観客の方がいましたが、予想していたよりも着物姿の方は多くありませんでした。それより、久しぶりに日本の企業文化を目の当たりにしたのは、10人くらいの日本人会社員と思われる皆さんが、一斉に名刺交換を始めたこと。ロンドンが世界に誇るダンス・パワー・ハウスのサドラーズが、一瞬、大手町あたりに転送してしまったような雰囲気でした。

 公演前から、松竹の「歌舞伎を正しく世界に広めるためならば」という明瞭な姿勢には感銘を受けていましたが、初日の会場でその感慨は強まるばかり。まず、日本から持ってきたのであろう大量のヘッドホン。日本と違って、劇場を出る前にきちんと返すという道徳意識が疑問視できるロンドンでは賭けなのではと思いましたが、使われた皆さんには大変好評のようでした。終演直後に、前の列に座っていたイギリス人のご婦人に尋ねたところ、「このヘッドホンがあったから、舞台でどのような物語が進んでいるかがきちんと理解できたわ。Great!あなたたちも試せばよかったのに」、とのこと。
 現代日本語に翻訳してあるヘッドホンがあったら、僕も借りていたかもしれません。初日の数日前に、サドラーズの関係者の方と話す機会がありました。そのときに、「物語が作られたのは何世紀も前だから、理解できない言葉の使い方もあるはずだよ」、といったところ、「知らなかったわ。まるで、私たちがシェイクスピアの時代の英語をすぐに理解できないのと同じことなのね」、と。
 これは松竹だけによるものではあるとは思いませんが、プログラムは驚異的な分厚さ。サドラーズであれほど分厚い、つまり協賛企業の広告が掲載されているプログラムは観たことありません。それだけの資金が必要だったということでしょうけど、なんだか天晴れ、という感じでした。

 今回上演されたのは、「義経千本桜」から『鳥居前』、『吉野山』、そして『川連法眼館(『四の切』とも言うそうで)』。歌舞伎に造詣の深い友人によると、この三つを一緒にというのは日本でもあまりないかもしれないとのことでした。そこから察するに、市川海老蔵さんの今回の海外公演にかける意気込みの高さを感じることができるのではないかと思います。

 まず、物理的に目を奪われたのは、舞台装置に使われている彩の豪華絢爛さ。いつも観ているオペラやバレエとは、まったく違った色世界。圧倒されました。同時に、「なんだ、僕が明るい色の服を好んで着るのは、日本の伝統にのっとっていることなんだ。日本人は灰色や暗い色を好む、という固定観念のほうが間違っているんだな」、と納得できるほどつぼにはまる総天然色。ひとつだけがっかりしたのは、『吉野山』の舞台で中心に立つ桜の大木。花の咲き具合がちょっと貧相に思いました。

 『鳥居前』と『吉野山』の間には休憩がなく、会場が暗転している間に舞台セットの交換が行われました。この二つに関しては、まだ印象があやふやなので、あと2回観て書けたらと思っています。

 『吉野山』が終わり、初日だと関係者が集まるメザニン(中2階)に行くと、サドラーズの芸術監督のスポルディングさんがいたので、「おめでとうございます。Your dreams come true!」と伝えたところ、満面の笑みで「今回の歌舞伎公演、ずっと楽しみに待っていたから、本当に嬉しいよ」。彼によると、今回の公演実現には数年を要したそうです。日本でも大掛かりな歌舞伎公演を海外にということであれば、準備期間が数年というのは驚きません。
 で、ちょっと話をずらして、今年の秋からの公演について疑問に思っていたことを尋ねてみました。質問は、「どうして、ヴッパタールの公演のチケット、あんなに高いんですか?」。スポルディングさんは政府による文化予算の大幅削減の影響については巧くかわして、「あの公演は、カンパニーのほかに、オーケストラやオペラ歌手が参加するからね。どうしてもあのくらいの値段設定になってしまったんだ」そうです。ちなみに、このヴッパタールの後援企業はルフトハンザ一社のみ。翻って、今回の歌舞伎公演の協賛企業は十数社。文化行事を実現させるためには、パトロンは必要なんだということを実感しました。
 スポルディングさんと話し終わって横を向くと、どうも見たことのあるような日本人男性が。そうそう、プログラムにスポルディングさんと並んで写真が掲載されていた、松竹の大谷さんという人みたいだな。周りに松竹の関係者がいないようだから、ちょっと話しかけてみようと思って話をきいてみるとと大谷さんでした。とても朗らかな方で、僕がいきなり話しかけてもいやな表情は一切せず、初日の成功が嬉しくて仕方ないといった感じでした。大谷さんが別の場所に移動する前に名刺までいただいてしまって。で、席に戻ってまじまじと名刺を見たら。知らないということは、図々しいと紙一重、ということなのかもしれません。

 で、『四の切』。凄かったです。友人から教わっていたので、揚幕の音による仕掛けに引っかかることもなく、舞台狭しと飛び回り、演じまわり、さらに跳躍する海老蔵の姿には、言葉もなく圧倒されました。バレエとオペラと同じ。素晴らしい表現者、役者がいてこそ受け継がれる意義のある文化があることを改めて学んだ思いです。
 おそらく、サドラーズの構造上、そしてイギリスの安全基準の双方によって、最後の宙乗りは写真で見ていたものとは若干違ったものでした。でも、白い衣装を着てサドラーズの舞台空間のまさに真ん中に浮いている海老蔵は、まるで太陽のような力と暖かさを発していたように感じました。歌舞伎って、娯楽としても超一流ですね。なんか、バレエやオペラのファンともかぶるものがあるのではないかと思いました。
 拍手は鳴り止まず、という感じで続いていたのですが、カーテン・コールが一回だけというのが拍子抜けでした。

ドイツからのニュース:人体、売ります。

2010.06.03
見出しを本紙で読んだとき、瞬時に、またもや休載が決まったらしい「HUNTER X HUNTER」の『人体蒐集家の館』というタイトルを思い出した。

Anatomist Gunther von Hagens sells off dead bodies a slice at a time
http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/31/von-hagens-sells-dead-body-parts

For sale: a smoker's lung, a slice of human head, a piece of hand.

A mail-order service has been set up by a controversial German anatomist offering these and many more human and animal body parts, including preserved slivers of duck and cross-sections of giraffe neck and crocodile jaw.

(記事の冒頭部分)

 21世紀の『ソドムとゴモラ』、『バベルの塔』という気がしてならない。個人的に、イスラエルの史上最悪の非道、カンブリアでの銃乱射、そしてメキシコ湾での人災による原油流出に匹敵する衝撃。人類、何も学んでないのかも知れない。

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