LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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2010年11月の記事一覧

イギリスでのヴォランティア活動について

2010.11.28
2年位前から、「イギリスでヴォランティア活動に参加するにはどうすればいいんですか?」という質問を時折受けるようになりました。イギリスに来たばかりの人には情報を見つけることですら難しいのだろうとやっと思い至り、参考になることを祈りつつ僕個人の経験と、ほかの人から教示いただいた情報を。

 東京で働いていたころ、ヴォランティア活動に参加するなんて考えたことすらありませんでした。イギリスに来て、どうして参加することにしたかというと、一義的には勉強を補完する実経験をつみたい、それだけでした。

 初めて参加したのは、ケンジントン・アンド・チェルシィ区によるこれでした。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1249.html

 まさか受け入れられるとは思っていなかったので、トレイニング期間中も、実際の活動が始まってからも無我夢中でした。今となっては、いつもどんなことを感じながらサポートを担当した人とあっていたのかは手に取るようには思い出せません。自分のためにしていることが、結果としてほかの人の助けになっているという新しい感覚が、やけに新鮮でした。もちろんいい経験ばかりではなく、苦いことも。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-238.html


 この活動が終了してしばらくしてガーディアンの広告で見つけたのが、以来ずっと参加している、Terrence Higgins Trusthttp://www.tht.org.uk/)です。

 THTやケンジントンの活動のようなヴォランティア募集を知るには、まずは新聞です。無料のメトロやイヴニング・スタンダード紙にもかなり掲載されますが、僕が勧めるのはガーディアン紙が水曜日に印刷する「ソサエティ」セクション。これには、一般の会社のマネイジャー募集から、地方自治体の事務部門等いろいろな業務募集広告が掲載されます。その中に、必ずヴォランティア募集の広告もあります。メンタル・ヘルス関連から国際ヴォランティアまでかなり幅は広いです。
 また、オックスファムなどのイギリス国内だけでなく、世界的に知名度の高い慈善団体だと自らのウェブでヴォランティアをいつも募集しているのではないかと思います。さらに、規模によると思いますが、大きなNHSの病院もウェブ上で院内で彼らの業務を助けてくれるヴォランティアを募集していることがあります。

 どの分野にその慈善団体が特化しているか、どのポジションに応募するかで面接がどのように進み、またトレイニングはあるのか、あるとすればどれくらいの期間になるのかはまったく変わってくると思います。また、僕自身、THTの中で自分がかかわっていることしかわかりません。
 そのTHTで今携わっているのは、かつて僕自身が申し込んだコミュニティ・サポート・ヴォランティアに応募してきた人たちをインタヴューすることです。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-943.html


 確か、面接の前に書き込まなければならない書類がかなりの分量だったはず。ただ、どのような書類が通過するのかの基準を僕は知りません。インタヴューを通過すると、週末に2回くらいのトレイニングがあるはず。そこでは、実際にヴォランティア活動を始めてから遭遇するかもしれない状況設定の中でロール・プレイをして、どのような活動を求められているのか、またその活動は本当に自分がやりたいことなのかを知る機会にもなっています。

 サポート・ヴォランティア、そしてインタヴューアーとしてかかわってきて、ヴォランティアとして学んだのは、「自分に要求されたこと以外のことは勝手にしない」、「良かれと思っては結局、身勝手な行動に過ぎない」ということ。
 ヴォランティアとして経験をつんでくると、「こうしたほうがいいのではないか」と思うことがおきるかもしれません。でも、限られた予算、限られた人員をやりくりしているような慈善団体では、一人のヴォランティアによるレポート・ラインを通さなかった小さな失敗が、後々まで尾を引くことはありえます。

 このようなことだけではないですが、フラストレイションが大きくなってやめていく人、また多くのヴォランティアがかかわっているので人の出入りは激しく、THTにとっては人員の確保は常に大切な課題のようです。できるだけ多くのヴォランティアに安定して長期間にわたり活動してもらうために、THTは多様なワークショップを設けています。もちろん、THTの活動に沿ったものですが、ほかではお目にかかれないような講習会に参加できるのは、僕個人としては、活動していく上でのインセンティヴと捉えています。来年1月下旬に、これまでに2回抽選で外れたあるワークショップへ参加できることになって嬉しいのですが、忙しい時期と重なってしまっているのが気がかりです。
 THTの場合だと「日常生活」に根ざしているという感覚は薄いかもしれないです。それでも、チームのほかの人たちとの情報交換や、大きなイヴェントの準備で隣り合ったほかのヴォランティアの人たちと話すと、僕がしていることが何らかの形で今僕が属している社会、地域に提供され、その結果として、暮らしているという感覚がより鮮明になることはよくあります。

 THTでヴォランティア活動をということだと、参加目的をかなり具体的にする必要があるかもしれないですが、イギリスで生活していることをもっと実感したいということであれば、たとえば街中でよく見かけるチャリティ・ショップで尋ねてみるのもいいと思います。
 今年の初夏にロンドンに移ってきた友人は、住まいが決まるとすぐにそれほど遠くないところにあるチャリティ・ショップで直接ヴォランティアになれるかどうかを尋ね、すぐ採用されたそうです。本人ができる範囲内での時間で働いているそうです。友人が楽しく参加しているのが一番ですが、話を聴くと「こんな素晴らしい(またはみょうちきりんな)客との出会いがあった」とか、「あんな小さな店でこんなドラマが起きた」だの、存分にコミュニティの一員としての生活を送っているようです。


(LAタイムズから拝借。2009年3月に、オバマ夫人がホワイト・ハウスの近くのSoup Kitchenでヴォランティアしたとき。昔はこのようなこと売名行為としか考えていなかったけど、ヴォランティア団体側から見れば、これほど優れた啓蒙活動はない)

 ヴォランティア活動と一口に言っても、団体が携わる分野、所属するグループによって経験すること、学ぶことはまったく違ってきます。たとえば、友人が日本で携わっている、Room to Readhttp://www.roomtoread.jp/)のFund Raising(寄付金集め)の活動計画、実際の現場の話を聞くと活動の性格の違いは一般の会社で経験することと同じです。営業(友人が携わるヴォランティア業務)と人事(僕がかかわっているヒューマン・リソース・オペレイション部門に当たるヴォランティア活動)くらいの違いといって差し支えないでしょう。

 ここまで書いてきて、というか書く前からはっきりと意識していることは、「日本国内で設立された、日本国内で活動するヴォランティア団体・活動については何も知らない」、ということ。でも、日本やイギリスで、また世界中で活動するヴォランティア団体に参加しともに活動していくことに大きな違いはないと思います。

 たまに偉そうなことを書こうとするなら、ヴォランティア(無償)だからといっていい加減なことはできない。ヴォランティアの小さな活動に、生きる糧を見出す人が居る。その糧を失わせることはできないと考えます。

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「春琴」、ロンドンとパリ公演

2010.11.27
*著作権は、共同通信社に帰属します




熱く迎えられた「春琴」、ロンドンとパリ公演
谷崎潤一郎の作品世界を英国人演出家が舞台化

 英国人舞台演出家、サイモン・マクバーニーが、谷崎潤一郎の「春琴抄」と「陰影礼賛」に触発されて舞台化した「Shun-kin」は2008年の東京での世界初演後、2009年2月にロンドンで初演、同年3月には東京で再演された。昨年のロンドン初演時には、大雪や度重なるロンドンの交通機関の不通にもかかわらず、口コミで広まった評判により、会場となったバービカン劇場は連日満員の観客の熱気に包まれていた。
 今回のロンドン再演(11月4日から13日)への期待は高く、チケットの売れ行きは前回をはるかに上回るものだった。物語の大筋は変わらないものの、マクバーニーが再び手を加えた演出は、細部に変更がなされた舞台で進む春琴と佐助の物語と、現代に生きる観客とをより密接につなげたように思われる。新聞各紙の批評家からの評価もおおむね高く、初演時に散見された的外れな批判はまったくなかった。「日本の」との枕詞を必要としないほど普遍的な舞台作品としての評価を得たようだ。
 今回初演となったパリ(11月18日から23日、パリ市立劇場)では、チケット発売2日後には、全6公演がほぼ完売になるほどで、観客の期待はロンドンと同じくらいに高かった。
 今回のロンドン、パリ公演では、マクバーニーは俳優たちや実際の舞台から感じたことを再び舞台に戻すことをしたようで、毎回ではないが細かな部分に変更が加えられることがあった。その変化に全力で応える俳優たちから発せられるエネルギーはとても鮮烈だ。パリ公演でもロンドンの舞台とは違った部分があり、演じられる「春琴」という舞台があたかも生きているかのよう感じられるほどだ。
 パリの観客層はロンドン同様、現地のフランス人が9割近くを占めた。初めて体験する「春琴」に戸惑いもあったようだが、カーテンコールで出演者に送られる拍手は、とても熱かった。


 連絡が来たところでは、12月3日の徳島新聞の夕刊、12月15日の北國新聞の夕刊に掲載されました。

一期一会で巡り会った料亭:広尾 一会

2010.11.25
自ら足を運び、自分の舌で料理を楽しんでいない料亭のことを書くことは、極端な言い方をすれば「仏像を彫って魂を入れず」ということだろうとは思う。

 9月、ギリシャ(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1261.html)への飛行機は朝一番、午前6時半。フラットを出る時には当然新聞を買えるはずもなく、でも、ヒースローでも早すぎて買えなかった。ところが、まったく期待していなかったBAが週末版のFTを無料で配布していた。
 朝食が終わり、まず開いたのは「Life & Arts」セクション。その5頁目を開いて目に飛び込んできたのは、白い割烹着をきりりと着てカメラを見つめる若い料理人の姿だった。

Ichie.jpg

 FTが東京発の食の話題として9月19日に紹介したのは広尾にある、「一会」という名の懐石料理の店。

http://www14.ocn.ne.jp/~h_ichie/index.html

 ミシュランの一つ星を獲得したからという話題性はあるのだろうけど、イギリスのビジネスマンにどうアピールするのかわからないような話題を取り上げるFTの編集部門は度量が深いのか。
 で、記事で紹介されているMr Watanabeの話がまた興味深く、何度も読み返し、捨てずにロンドンに持ち帰ってきた。友人の一人、Aが11月下旬に仕事で東京に行くと聞いたので、日本食が好きな彼に記事を読ませた。読み終わるや否や、「I am really touched by his story.すぐに予約してくれないか?」。

 この程度のことならいくらでもだし、自分自身訳もなく「勝手にお店を応援」モードになっていたので早速電話してみた。電話口にはご主人自らが出た。
 ロンドンから電話していること、FTの記事を読んだことを伝えると、こちらが居住まいを正してしまうほど静かではっきりした口調で「ありがとうございます」と。今でははっきり思い出せないけど、FTの記事が掲載されてから海外からの問い合わせが増えたと仰っていた。
 大変丁寧な受け答えに僕自身もきちんと訊くべきことはと思い、「僕は同席しませんが、外国人二人で内一人は日本語をしっかり話します。送り込んで平気ですよね?」、と今思えばかなり失礼な尋ね方をした。
 「私どもは、日本人のお客様も外国人のお客様も同じに接しますので、ご心配は要りません。でも、英語が得意ではないので、日本語を話せる方がいらっしゃるのは、正直に申し上げて、ほっとします」。
 その後料理のことを尋ね、ご主人から「できればご友人の方にお伝えしていただけると助かります」とのことを伺った。予約は2週間前で十分ですよとのことだったので、そのときは予約は入れなかった。

 Aに、「ご主人と電話で話したけど、話し方からするととてもナイーヴで驚いたよ。あんな人がヴァルチャー・ファンドに居たこと自体が信じられない」と伝えた。すると、「料理人がナイーヴなんてことありえない。君、日本語しゃべれるの?」、と大変失礼なことを言ってきた。なので、「すべての料理人がゴードン・ラムジィやジェイミィ・オリヴァみたいだったら、ナイーヴな料理人なんてこの世界に居ないとは思うよ」。

 ご主人と話したとき、現在は夜だけの営業、しかも毎日3組限定と伺ったので、Aが候補に上げた日の3週間前に電話してみた。接客を担当されている大塚さんが出られた。幸運にも一日だけあいていたので、Aへは事後承諾で予約を入れる。大塚さんの話し方も、人柄が声からでも良くわかるもので、「このお店なら、喧しいAとW(東京在住のビジネスマン)も大丈夫だろう」と確信。

 当日。WがiPhoneから料理の写真を次々に送ってくる。殺意を禁じえなかった。冗談はさておき、AとWの評価は、「simple, but absolutely EXQUISITE! Highly recommendable」。二人が食した霜月の品書きの中で、心配だったのが「白子玉締め」。白子が好きという西洋人には会ったことないし、日本料理好きなAとWも例外ではない。でも、大塚さんからどのよう調理法かを伺い平気だと思ったので二人には余計なことは何も言わなかった。Wの感想は、「The chawan mushi was To die for」。

霜月お献立

先 付 ずわい蟹むしり とんぶり 蓮芋 黄菊 香味出汁
小 付 白子玉締め
お 椀 椎茸 鰻 京人参
八 寸 唐墨 海鼠親子和え 鬼灯 銀杏 栗煎餅 昆布籠盛
炊 合 京小蕪
強 肴 無花果
焼 物 九絵塩焼
止 肴 柿 もって菊 みずれ酢 西洋松露

食 事 白米 小岩井農場有精卵 小鉢 香物 味噌汁
〔または 季節の炊込飯〕

甘 味 抹茶焼菓子 黒胡麻あいす最中


 これを書くにあたり、ネットで「一会」の評判を追ってみた。つくづく思ったのは、最近の料理屋さんは大変。何しろ、作った料理に手をつける前にまず写真を撮られて、それらがすぐさまインターネット上にアップされてしまうのだから。お店は、広尾界隈では唯一僕が行くあるところからほんの数分の場所。知っていたら、今年の2月の一時帰国のときに立ち寄れたかもしれないと思うと。いずれにしても、あの日にギリシャに行っていなかったら9月19日のFTを購入していたかどうか、またはBAが別の新聞を置いていたらと、「一会」を知った経緯には「一期一会」が見え隠れする。
 ネットでの評判を読むと、渡辺さんは真っ直ぐな性格の方らしい。無理されないでほしい、というか僕が試すまでは元気でいらしてほしいな、と。

ポジティヴ・サイコロジィとmental ill-healthへの偏見をなくすには

2010.11.22
精神医療の現場の一部で議論されていることを、僕自身がどう感じたかを記録するのが主目的とはいえ、このような形で書くのであれば丁寧に書きたいのですが、そうすると数時間かかっても終わりそうにないので、このような簡素な形で。ただ、アクセスしやすい情報についてはできるだけ紹介できればと思っています。

 「ポジティヴ・サイコロジィhttp://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1278.html)」は名前だけは知っていましたが、どうも胡散臭い印象を捨てきれていませんでした。が、講習を前に読んでおくようにとのお達しがあったマーティン・セリグマン博士の論文を読むと、人がどのように幸福を感じるかを科学的に論証しようとする試みに、まやかしと感じるような点はありませんでした。

 講習のはじめに、セリグマン博士が牽引するポジティヴ・サイコロジィの考えが精神医療の現場の取り組みにどのような変化をもたらして以下の説明がありました。

From a focus on coping with trauma to the way we lead our lives under benign conditions

From a focus on pathology using a medical/ disease model to the fulfilled individual and thriving community

From a focus of repairing or preventing damage to building positive qualities

From a focus on learned helplessness and depression to learned optimism and wellbeing


 正直、言うは易しと思います。が、特に三番目にあるダメイジから立ちなおせることに集中するだけでなく、(ポジティヴというよりも)生活にもっと柔軟性を取り入れることで、精神へのストレスを自ら緩和できるような生活環境を作り出すことに取り組むというのは、プレッシャァが氾濫する現代、考える意味はあるように思います。

 セリグマン博士のウェブにすでに日本語の表記があるので、日本でもよく知られている心理学の分野なんだと思います。余計な心配ですが、うわべだけを掬い取って、「健全な精神は健全な肉体に宿る」なんて短絡思考が復活しないことを希望します。

 講義の後半で、幸福を感じることができるであろう要素が挙げられました。その中からいくつかを。

Connectedness with family

Connectedness with community and friends

Reasonable financial situation

Hope, honesty, perseverance, courage

Giving is more satisfying than receiving


 実現できればいいとは思うのですけど、今のイギリスの社会情勢からするとどれもこれもかなり難しいのではないかと感じます。たとえば、家族や友人、コミュニティとのつながりを大切にすることについてですが、福祉予算や住宅手当の削減によりロンドンに住めなくなる低所得者層が何万人規模で生まれるであろうとの予測があります。
 政府の政策の失敗で慣れ親しんだ地域を追い立てられる人が増えれば、幸福に感じることはますます難しくなるのではないかと想像します。

 セリグマン博士のサイトで試すことができる「強みに関する調査」について2点。この調査の結果についてまとめた論文が、「アメリカン・サイコロジスト」の2005年の7月8月号に掲載されています。統計学が大好きという奇特な人にしか勧められないほど数字がてんこ盛りです。

 調査の説明の部分で博士は、この調査に参加した人の大部分が心理学に深くかかわっていない人たちという事実がデータの信憑性高めていると思う、といった趣旨の発言をしています。これは本音だと思います。
 個人的なことですが、社会心理学の分野で調査論文(とても簡単なもの)を書いたときに、古典的な質問表を使用したほかに、自分で独自の質問を作った経験があるので、240問の質問に答えている間に、質問の配置の組み合わせや、その組み合わせから浮かび上がってくる結果が読めてしまう気分になりました。そして、あたらずとも遠からずの結果でした。

 この講習会に参加していてひとつ釈然としないと感じるのは、カウンセリングやサイコセラピィをmental ill-healthになってからの「治療」としてしかみなしていないのではないかという点です。しかしながら、セリグマン博士の論文の中で以下の一文を見出したときは、ほっとしました。

Psychotherapy as defined now is where you go to talk about your troubles and your weakness; perhaps in the future it will also be where you go to build your strengths.

 カウンセリングって、心が疲れてからだけではなくて、日常の中で普通に受けてもいいだろうにいつも考えているので、カウンセリングがこういう風に多くの人から捉えてもらえればと願います。

 最後に、イギリスや西洋で語られる「心理学」はそこに生きる人々と、歴史や文化に大きく影響を受けていることを痛感した経験を。言い換えれば、西洋、もしくは日本の「幸せ」とほかの社会・文化の中で感じる「幸せ」の基準は違う。
 レクチャーの後、小グループに分かれておのおのどのようなことが自分にとって幸せなことなのかを話し合いました。僕が入ったグループにジンバブエ出身の女性が居ました。とてもふくよかな方です。
 彼女によれば、「イギリスに来てから、太っていることをまるで犯罪のように言われることが多い。でも、私が生まれ育った国では、あんな政治情勢だから、太っていることが幸せの象徴なのよ」。かなり目からうろこでした。


 「心が疲れてしまって、精神が一時的にへこんでしまった人」への偏見はどのようにこの社会に存在し、そのような人たちをどのように疎外していくのか、という講習の冒頭で紹介されたウェブです。

http://www.time-to-change.org.uk/

 おそらく自動的にヴィデオがポップ・アップしてくると思いますが、出てこないときには「Don’t get me wrong」をクリックしてください。バイポラーか鬱を患った若者がフラットメイトとガールフレンドを探す過程で経験する疎外のシステムです。

http://www.time-to-change.org.uk/erik


 このようなヴィデオが公になっていることだけでも、イギリスは社会が精神医療により取り組んでいると思う反面、これがまだまだ現実なんだと思い知らされました。また、奇麗事だけを言うつもりはありません。僕だって、双極性障害を患っていた事のある見ず知らずの人と住むかと問われれば、答えに詰まってしまうかもしれません。

 講義の流れの中で、「格差が大きい社会で社会的な、そして健康の問題が悪化する傾向にあるのでは」、ということに触れそのときに参考資料として使われたのがこれです。

The Spirit Level from Penguin(日本でもすでに翻訳・出版されているようですね)
http://www.equalitytrust.org.uk/

SpritLevel.jpg

この本にまさかこのようなところでお目にかかるとは思ってもいなかったので驚きました。読んだわけではないのですが、書かれている内容について賞賛の声があると同時に、シンクタンクから激しく批判されているという話題をこの夏に読んだもので。グラフだけを見ていると、何かしらのヴァイアスがかかっているのではとの印象はあります。

The Spirit Level: how 'ideas wreckers' turned book into political punchbag

http://www.guardian.co.uk/books/2010/aug/14/the-spirit-level-equality-thinktanks

 日本は、最も収入格差が小さく、健康・社会問題も最もよいレヴェルにあると紹介されています。本当ですかね?アメリカが収入格差においても、健康問題においても最も酷いという結果に驚く人はいるのでしょうか?


(オックスファム関連のウェブから拝借)

 以上駆け足ですが、どなたかの参考になれば幸いです。

銀行に、ひいては政府に一泡吹かせるには

2010.11.21
多くの人が本気で参加するとは今の段階ではまったくわからないけど、興味が高まってきたので本文にも。

 今日、11月21日のオブザーヴァ紙の3面で大きく報道されたのは、かつてマンチェスター・ユナイテッドのスター・プレイヤーだった(はず、サッカーはまったく興味ないので)エリック・カントナー流の予算削減へのプロテスト。

Eric Cantona's call for bank protest sparks online campaign
http://www.guardian.co.uk/world/2010/nov/20/eric-cantona-bank-protest-campaign

 金融危機を引き起こしたにもかかわらず、いまだに巨額のボーナスを享受する銀行を破綻させるにはデモなんて必要ない。いっせいに預金を引き出せばいいのさ、と。

"I don't think we can be entirely happy seeing such misery around us. Unless you live in a pod. But then there is a chance... there is something to do. Nowadays what does it mean to be on the streets? To demonstrate? You swindle yourself. Anyway, that's not the way any more.

"We don't pick up weapons to kill people to start the revolution. The revolution is really easy to do these days. What's the system? The system is built on the power of the banks. So it must be destroyed through the banks.

"This means that the three million people with their placards on the streets, they go to the bank and they withdraw their money and the banks collapse. Three million, 10 million people, and the banks collapse and there is no real threat. A real revolution.

"We must go to the bank. In this case there would be a real revolution. It's not complicated; instead of going on the streets and driving kilometres by car you simply go to the bank in your country and withdraw your money, and if there are a lot of people withdrawing their money the system collapses. No weapons, no blood, or anything like that."


 とても面白いし、実現したらそれこそ世界の金融地図、ひいては政治地図が書きかえらることもあるかもしれない。ただ、治安のよくない国で現金を持ち歩くのは怖いだろうし。そんなリスクを多くの人がとるだろうか。

 ファンタジィといっても差し支えないだろう。でも、そのファンタジィが現実になったら、それはそれで社会が大きく変わる節目になるかもしれない。


(BBCのサイトから無断拝借)

英語に関するあれこれ3:フランスよ、君までが

2010.11.21
その2(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1277.html)で、ギリシャ旅行中に読んだ記事を使おうと思ってすっかり忘れてしまい、もういいかと思っていたところでイギリスとは海峡を、そして世紀を超えて未来永劫続くであろう愛憎関係にあるフランス発のニュースを読んだので。まずは新しいニュースから。

 18日のイヴニング・スタンダード紙によると、フランス人が「観光地としてはパリよりロンドンのほうが優れている」という判断を下したそうです。

London’s better than Paris, admit French
http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23898942-londons-better-than-paris-admit-french.do

UK_France_04.jpg
(すべての画像は、http://www.greenbees.fr/06_Ressources/06_Intercultural_Differences_UK_France/Intercultural_UK_France_EN.htmから拝借)

 フランスの観光関係者がフランス人を相手に、ロンドン、マドリッド、ローマ、ベルリン、アムステルダム、そしてパリの中から観光で訪れるとしてどの首都が一番かという調査をした結果、憎きロンドンが一位になってしまったそうです。

 リンクした記事の最後に、フランス人はパリに対していつも批判的だからと言い訳があります。また、僕自身パリにはとても長いことご無沙汰していて、フランス人がパリのどこを気に入らないのかについて僕なりの情報を持ち合わせていないので判断のしようがないです。ただ、ひとつ記事の中で引っかかったのが以下の文。

There was a minor complaint about the lack of foreign languages spoken.

 これを拡大解釈すると、「パリでは英語表記があふれているのに、ロンドンにはフランス語表記の案内がないじゃないか!どういうことなんだ!!!」、と。

 この文を読んで、すっかり忘れていた記事を思い出しました。エギナ島(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1265.html)の新聞販売店で購入したガーディアン・ウィークリィに最近、フランス本国で英語で歌うミュージシャンが増えているという記事でした。

French pop music finds its voice with English language lyrics
http://www.guardian.co.uk/education/2010/sep/14/french-pop-sing-in-english

 近年、英語で詩を書き歌う歌手がフランスで増えているのは、英語を耳にする機会が増えていることが一因であろうという記事です。以下にいくつか引用しておきます。

In the last three years there has been a rise in the number of French artists choosing to sing in English, despite quotas requiring at least 40% of music played on radio stations to be in French. It means English-language artists automatically compete with international acts for airplay.

過去3年、フランスのラジオ局でかかる音楽の鬱、少なくとも4割はフランス語で歌われるものという規制があるにもかかわらず、英語で歌うフランス人・ミュージシャンの数は増えている。英語で歌うことを選んだ歌手は、必然的に、(ほかの国籍の)英語で歌う歌手と競合することになる。

 商業音楽の大半が、アメリカやイギリスのチャートで売れたものが世界中にあふれるという状況で、昔から欧州の非英語圏出身の歌手が英語で歌って話題になるということはよくあります。僕が知っている範囲だと古くはギリシャ出身のナナ・ムスクーリ(彼女の声は大好きです)、オランダ出身のショッキング・ブルー(「ヴィーナス」)、ドイツ出身のネーナ、そして忘れてならないスウェーデンのアバ。どこでいつ聞いたか読んだのかはまったく思い出せませんが、イギリス人はアバの音楽の普遍性を認めつつも、歌詞で使われている英語の文法の誤りを指摘しては溜飲を下げています。

 そんな中にあって、フランスだけは誇り高き彼らの言葉があるのだから「なんでわざわざ」憎いイギリスの言葉で歌うということがなかったので、僕が知らないだけかもしれないですが、驚きました。

UK_France_06.jpg

He said that not only had the French government made a huge commitment to raising standards of English, with a foreign language being taught in all primary schools, he also believed that there had been a shift in attitudes over the last 15 years towards English.

He attributed this partially to the Eurostar train service between Paris and London. "There's major daily movement between the two countries; the UK is accessible yet different."


(フランスのブリティッシュ・カウンシルの)代表者によると、フランス政府の外国語教育の質を上げる姿勢だけでなく、過去15年、フランス人の英語に対する姿勢が変わってきている。その理由のひとつは、ユーロスターによる、両国間の往来の簡便さが上げられるのではないか。


 ユーロスターの影響でフランス人が英語を学ぶなら、どうしてイギリス人はフランス語学ぼうとしないのか、と突っ込みを入れたくなります。余談ですが、ロンドンの貸し自転車お披露目記者会見で、フランス人記者からフランス語で質問されたときに、それまで英語で答えていたボリス・ジョンソン・ロンドン市長が、英語訛りだけど流暢なフランス語に間髪いれず、かつどもることもなく切り替えたのには感心しました。オックスフォード出身って、伊達ではないんですね。



 これを書くにあたって見つけたのは、ガーディアンのこのセクション。

http://www.guardian.co.uk/education/series/learning-english

 このようなセクションがあることは知りませんでしたが、英語教育に関心のある方には興味を惹かれる記事があると思います。で、検索していたときに9年前の記事を見つけました。

Bringing Europe's lingua franca into the classroom

http://www.guardian.co.uk/education/2001/apr/19/languages.highereducation1

この記事の出だしの部分が、これも含めて3回書いてきた英語によるコミュニケイションに格闘し続ける僕の想いを描いています。

A Finnish scientist coming to Vienna for a conference on human genetics; an Italian designer negotiating with prospective clients in Stockholm; a Polish tourist chatting with local restaurateurs in Crete: they all communicate successfully in "English", but which "English"? Well, chances are that it is not the language you hear in chat shows and soaps on British or American television, but rather a range of "Englishes", with enough of a common core so as to make it viable as a means of communication.

 「英語くらいは話せるようにならなければ」といっても、その先に広がるコミュニケイションの荒野に終わりはないです。

自殺は防げるか

2010.11.19
時間が空いてしまいましたが、精神医療の講習会で「自殺」が取り上げられたときにことを簡単にご紹介。自分のためにも書いています。また、副題は、「議論が下手なのは日本人だけではない」です。

 「自殺」を取り上げたときは、ちょっと変則で参加者を二組に分けて、「自殺は防げるか?」ということを議論するというものでした。僕は、「Yes」に振り分けられました。
 精神医療が主題とはいえ、自殺を防げるならどのような取り組みができるかどうか、ということで物理的なこと(たとえば崖のふちを立ち入り禁止にする等)から、精神的なサポートまでさまざまな視点から考察するようにと講師から言われました。

 参加者は多少の差はありますが、仕事に精神医療がかかわってくるところで働いている人が多いです。が、そこはやはりロンドン、人種的に多岐に渡り、悪く言えば烏合の衆のようなグループ内できちんと議論が進むように、講師からいくつか考えるポイントを与えられました。その中で、個人的に気になったのは、「自殺防止活動」とメディアの関係でした。
 自殺防止のチャリティや医療関係者が過去十数年にわたって取り組んでいるのが、ジャーナリスト養成コースに赴いて、そこで学ぶ将来のジャーナリストたちに、自殺に関する報道を「美化」することのないよう啓蒙するというもの。

 最近イギリスでも、インターネットの自殺サイトで知り合った見ず知らずの若者がともに自殺する事件が、徐々にですが増える兆しがあります。その報道を読んでいると、イギリスのメディアの困惑振りが垣間見えます。何がおきているのだかさっぱりわからないというお手上げ論調から、分析しようとしつつも、的外れな方向に吠えているだけのもの。
 イギリス社会の中で、「自殺」という行動がどのように考えられているのか、正直なところ良くわかりません。が、この秋は、10月以降にケンブリッジ大学で、4人の学生が相次いで自殺するなど、これまで見えなかったことにしていた自殺を社会がしっかり取り組まなければならない状況になりつつあるように感じます。
 この講習会でずっと言われていること、「精神にかかわる病や行動を特別視しない」ことを実現することがどれほど大変なことか、そして重要な課題なのかを改めて実感したのが、この「自殺は防げるか?」の討議でした。

 実際の討論(ディベイト)が始まって数分で切れてしまいました(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1275.html)が、気分を落ち着けてからは挽回の意思を込めて積極的に参加したつもりです。で、その討論の間に気づいたのは、実際に討論しているのは、双方のグループからそれぞれ3人くらいのみ。その6人の中に、マジョリティを占めるナイジェリア人参加者が一人も入っていないことでした。
 もしかしたら、まったく関心のもてない主題だったのかもしれません。でも、普段の少人数によるディスカッションだとほかの人に発言させる気などまったくないようにしゃべり続ける彼らがずっと沈黙していた状況から考えたのは、「西洋の観点から見てディベイトが下手なのは、何も日本人だけじゃないんだな」、ということ。
 言わずもがなですが、仮に西洋社会の枠組みで西洋人を相手にしなければならないのであれば、彼らの流儀を知っていなければならないでしょう。でも、世界のどの地域で、どのようなことを議論するかで、討論の流れも性格もまったく変わってくるであろうと推測します。中には、日本人が舵を握れることだってあることでしょう。

 いつも読んで考える機会をもらっている方の最近のエントリです。

http://blog.goo.ne.jp/bigupset39/e/ffe3930a1f2d7c9eab0d3efdf495236a

 別の読者の方からのコメントに書かれているように、西洋人は「中身のないことを、あたかも立派なこと言っているように見せる」のが、たまに神業かと思うほどのことがあります。

 今回、「自殺は防げるか?」という討論の最後で講師から、「討論はまだ続けたいけど、時間なので最後に僕のからひとつ。仮に、僕が治る見込みのない病に冒されていて、自殺したいと考えている。どうする?」。
 自慢ではなくて、この質問に手を上げたのは、僕と「No」の側の白人イギリス人女性だけでした。最初に彼女ができないという観点から発言したのですが、やや尻切れで終わりました。そこでその前週の「鬱」に関するレクチャー(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1274.html)で聴いた、being valued and accepted by the others would encourage the depressed to get out of their prison ということを踏まえて、こういいました。

 「病に冒されている人の身体的、そして精神的苦痛を取り除く助けにはならないかもしれない。でも、その人の闘病の経験がほかの人の治療に役立つかもしれないことを伝えることができば、もしかしたら自殺を思いとどまることになるのでは」、と。

 すかさずその女性が、「でも、アルツハイマーだったらだめでしょ」、と切り替えしてきました。そのときにもっと冷静に考えれば僕もすぐにまた切り返せたかもしれないですが、彼女のまるで延髄反射のような返し方に、あきれるやら感心するやらでした。

 本題に戻って。これまでの講習の中で、講師陣が何度も何度も強調するのは、「Mental ill-healthstigmatise しない」ということ。スティグマタイズという言葉、日本語に訳しづらいですが、あえて言えば、心が疲れた果てにとる行動を、その行動に身動き取れないほど浸かってしまった人を「恥ずかしいこと」とは考えないようにするということです。言うは易しということは十分に承知しています。


 大学時代の恩師(これからもよろしくお願いします)が、江戸時代のある狂歌を教示してくれました。

死んだならたった一分というだろう、生きていたなら百もくれまい」。

 自殺はウィルスでもなければ、感染症でもないです。

2012年のリサイタル:プレガルディーン

2010.11.18
今夕、ロイヤル・オペラ・ハウスにチケットを購入しに行った。ものすごい人ごみ。なぜなら、チレアの「アドリアーナ・ルクヴルール」の初日。10月31日のウィグモアでのリサイタルが期待通りのでき(それ以上ではなかったけど)だったカウフマンは聴きたいのだけど、もうゲオルジューを聴きたいとは思わないので、パス。

 初日を観に来ていた友人と話した後、ふとチケット・オフィスの壁際になんだかなじみのある顔を発見。ウィグモア・ホールのディレクター、Gilhoory氏だった。
 こんなところで話しかけたら嫌がられるかなと思ったら、「昨年、君のインタヴューを受けたよね。覚えているよ」と。残念ながら、そのインタヴュー記事はお蔵入りになってしまったけど、僕にとってもとても興味深いものだった。
 カウフマンのリサイタルは良かったですねと振った後、「でも、待ち遠しいのはクリストフ・プレガルディーンのリサイタルです」と僕が言い終わるや否や、「Yes, he is GREAT!実は、今日ベルリンから戻ってきたばかりなんだ。彼のエイジェントに会ってきて、2012年の6月のコンサートをブックしたんだ」。
 エイジェントが承諾したからといって、歌手本人が許諾するかどうかは別の話。だけど、ウィグモア・ホールがプレガルディーンの魅力を十分に理解しているという事実が嬉しい。

 まだ歌われる内容の詳細は更新されていないので、12月1日のリサイタルの情報。

About this concert
Renowned German lyric tenor Christoph Prégardien performs songs by two of the greatest Lieder composers, partnered by Andreas Staier, whose fortepiano brings refreshingly new colours to these much-loved keyboard parts.

‘[Prégardien] stops you in your tracks right away, and won’t let you get back to your life until well after silence returns’ The Toronto Star


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(こんな、見た目まったくさえない二人がどのような音を生み出すのか)

 プレガルディーンのウェブによると、彼は2011年の2月、日本で4回リサイタルを行う予定になっている。所沢(マーキー・ホール)、萩(どうしてなんだろう?)、東京(トッパン・ホール)、神奈川(神奈川県立音楽堂)。
 伴奏者が同じだから曲目も同じかと思ったけど、現段階で重複しているのは、たとえばトッパン・ホールの

シューマン: N.レーナウの6つの詩による歌曲集と古いカトリックの詩によるレクイエム Op.90
鍛冶屋の娘/ぼくのばら/出会いと別れ/牛飼いの娘/孤独/ものうい夕暮れ/レクイエム


http://www.toppanhall.com/concert/detail/201102171900.html

 12月1日のリサイタルしだいでは、東京に追っかけようかと思った。残念ながら2月17日はロイヤル・オペラの新作オペラ、「アンナ・ニコル」の世界初演の日。

 2012年にロンドンに、イギリスにいるかどうかは判らないけど、居られたら観にいきたい。ウィグモア・ホールの2011/2012シーズンのプログラム発表は、2011年の3月ごろの予定になっているらしい。

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1180.html

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春琴2回目、およびバービカン情報

2010.11.13
8日に、春琴を再び観劇。この日は、それなり日本文化に親しんでいる二人のイギリス人の友人と一緒。彼らの感想を含めて、感想を箇条書きで。

☆友人二人、WとY双方が痛く気に入ったのが、ナレイター役の立石涼子さんの声。勝手に解釈すると、どうやら気が休まるらしいアルトだからとのこと。イギリスにはアルトやメゾ・ソプラノに著名なオペラ歌手が多いようだから、その系統がすきなのかな、と。

☆そのナレイションの内容が、初日(11月4日)から変更されていた部分があった。個人的には、ナレイションの終わり方は前回のほうが好きだが、11月8日の終わり方は初日より丁寧に練られた印象だった。その変更は、ガーディアンのレヴューの、

But the virtue of the story is that its meaning is left open.

に呼応している。

☆Wによる、「嫉妬って、表現の違いはあるけれど、どの文化でもあるのね」は、春琴の佐助への態度をまさに言い当てている。

☆今回のロンドン公演で、レヴューで一人の俳優だけを取り上げて評価するということがないのは、舞台上の俳優たちが生み出すアンサンブルに瑕がないということなのではないかと想像する。日本的といえば日本的だが、今回の舞台は一人の俳優にだけ頼っているものではないと強く感じた。

☆ロンドン公演2回目にして、ロンドナーの多くがこの舞台をコンテンポラリィな舞台とより鮮明に意識しだしたように思う。もう一度くらい、ロンドン公演があってもいいなと。

☆パリでも、チケットの売れ行きは上々らしい。劇場のウェブの解説(英語!)を読むと、コンプリシテの舞台だから、というの大きな売りのよう。舞台が始まって、演者にフランスでどのような評価がくだされるのか興味津々。

☆今回の「春琴」の再演を含めて、昨年と今年はロンドンで日本の舞台を多く観ることができた。2009年は春琴、KABUKI十二夜http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1039.htmlhttp://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-995.html)。今年は、MUSASHIhttp://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1196.html)、歌舞伎http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1214.html)と春琴の再演。東京では演劇や歌舞伎なんて観たことなかったけど、ロンドンにいるうまみを満喫している気がする。

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(タイムズから。£1-も払ったんだから使っても良いかなと。今回の再演の舞台からなのかは不明)

 この秋、バービカンは日本文化にどっぷり浸っている。ギャラリーではファッションの大変素晴らしい展示。そして映画も北野武や黒澤明の作品を多く上映している。その中で異彩を放っていた、そして居るのが溝口健二監督による「瀧の白糸」。
 10月24日に、イギリス在住の日本人女性弁士と、イギリス人女性による琴の伴奏つきで上映されたのを見た。全然興味がないまま、イギリス人の友人に引きずられるようにして観にいったのだが、もう、吃驚。こんな素晴らしい心理劇が、無声映画の時代に日本で作られていたなんてまったく知らなかった。溝口監督の作品は、ほかに「山椒大夫」と「雨月物語」も上映されたけど、売り切れ御礼になったのはこの「瀧の白糸」だけ。あまりの反響に、急遽2011年1月23日の再上映が決まりチケットももう手元にあるのだけど、バービカンの予定からは削除されている。興味のある方は、こまめに確認してみてください。

 文化予算が大幅、というか悲劇的というほど削減されるイギリスの文化施設のほぼすべてが同様の行動に出ているが、バービカンもメンバーシップを三段階に分ける新しい制度を導入した。したからイエロォオレンジレッド。既存会員は自動的にオレンジになっているが、最高ランクのレッド・メンバー(年会費、£100-)になってみてはとの誘いが来る。レッドの売りのひとつは、新しくあつらえた、レッド会員だけが使える専用ラウンジ、レッド・ルーム。春琴を観にいった日に、上演前に試してみた。
 込んでいなければ雰囲気は結構良い。ワインも値段の割にはいけるし、何より会員証を提示すれば飲食費が少し割引になる。£100-をはらって、このVIPルームを元が取れるほど使う気になるかどうかは、これからのプログラムしだい。

春琴のレヴュー

2010.11.10
春琴のレヴューがほぼ出揃った。面白いことに、どれも4つ星。インディペンデントのレヴューはあらすじ紹介の域を出ていない。個人の推測の域を出ないけど、この変化は、2009年の公演以降、日本文化への理解が「異国趣味」から「成熟した文化」という視点に移行してきたからではないかなと。

Shun-Kin – review

Michael Billington
guardian.co.uk, Wednesday 10 November 2010 22.15 GMT


http://www.guardian.co.uk/stage/2010/nov/10/shun-kin-review


Complicite's version of a 1933 Japanese story by Jun'ichir¯o Tanizaki was coolly received when first shown nearly two years ago. I don't know why. Simon McBurney's production is one of the company's finest achievements. It offers a compelling portrait of sadomasochistic love, is full of moral ambivalence and is staged with miraculous delicacy and wit.

Tanizaki's tale reconstructs a true story from 19th-century Japan. It revolves around the relationship between the domineering Shun-kin, an Osaka merchant's blind daughter, and the devoted Sasuke, who learns from her the art of playing the stringed "shamisen", and who becomes her lifelong servant and secret lover. So intense is his passion, in fact, that when Shun-kin suffers a facial disfigurement, he performs an astonishing act of self-sacrifice. But the virtue of the story is that its meaning is left open. It can be seen as the ultimate triumph of masochistic ardour, as a study in the reversal of traditional Japanese gender roles or as an attack on a hierarchial society now eroded by industrial modernisation.

By using multiple narrators, McBurney allows for every possibility. He also turns a story filled with cruelty and violence into an object of aesthetic pleasure. The domineering Shun-kin is brilliantly represented first by a petulant puppet, then by a masked female actor, and finally by one of the puppeteers. The staging conjures a vanished world with refined simplicity: poles become waving branches, flapping papers turn into soaring larks and Honjoh Hidetaro's shamisen music even evokes the horrific act. The piece is enthralling.


春琴2010年ロンドン公演初日の雑感

2010.11.07
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(2009年ロンドン公演のテレグラフの記事から拝借)

先週の木曜日、11月4日にバービカン・シアターで「春琴」の初日を観てきた。具に書いている時間の余裕がないので、ごく個人的に感じたことを箇条書きで。

☆どこがと尋ねられても具体的には答えられないけど、2009年のロンドン公演と比べると全体の印象として「イギリス色」が強まっている印象を持った。あえて例を挙げると、隠美的表現が隠美とはいえないほど直球の場面が散見された。

☆瑞木健太郎さんの役回りにかなりの変更。

☆ナレイターの部分が前回よりも冗長。説明的過ぎるような印象。

☆本條秀太さんの音楽が増えている。

☆バランスを崩しているということでは決してないが、深津絵里さんの、とりわけ中盤以降の演技・気迫は一段、突き抜けていた。すでにやり慣れている役を、丁寧になぞってみましたという緩みは一切なかった。

☆舞台の進行とシンクロする映像が多用されていたような。

☆壮年期の佐助の描かれ方からは、とても説得力のある静かさを感じた。

☆前半はイギリス人の観客から失笑が漏れる場面が何度かあったが、後半は、彼らが舞台で展開する春琴と佐助の物語に入り込んでいたように感じた。後半は、言葉の壁が取っ払われたようだった。

 初日の観客層は、日本人の観客はかなり少なく2割くらいといったところ。この状況は、なんだか訳もなく嬉しかった。前回の公演時、各新聞のクリティクのレヴューは結構辛らつなものがあったものの、口コミで評判が伝わったらしく、最後の数日はほぼ完売したと聞いている。見逃したイギリスの演劇ファンが待っていたということなのかもしれない。

 上に挙げた点を感じたものの、舞台は素晴らしかった。前回観たから今回はパスという方には、「舞台は一期一会」ということを改めて伝えたい。
 ロンドン公演が10回なら、凱旋になる東京公演は20回くらいあってもいいだろうに、12回だけということですでに完売で買い逃した人も多いらしい。人づてに聞いた話なので確証はないが、インターネットのオークション・サイトでは世田谷パブリックでのチケットが悲しいことに高値で売買されているとのこと。
 そのような状況から見ると、ロンドンにいる演劇ファンは、殊にこの「春琴」の公演をチケットを買えるかどうをやきもきしないで観られることは幸運だと思う。ロンドン公演は、来週の土曜日11月13日まで。

幸せになりたいか!!!:ポジティヴ・サイコロジィ

2010.11.07
いや、べつに。

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(Positive Psychologyで検索して見つけた画像)

次回の講習会のお題は「ポジティヴ・サイコロジィ」。これがどうして精神医療と結びつくのかは、200頁を超える資料にいまだに手をつけていないのまったく判らない。が、すでに心理学の一分野としては確立されているようで、イギリスの大学院でも、「ポジティヴ・サイコロジィ」に特化した修士コースがある。

 この分野の第一人者と思われるのは、ペンシルヴェィニア大学のマーティン・セリグマン博士。そのウェブ上にある、個人の資質についての質問だけは試すようにとのお達しがあったのでやってみた。

http://www.authentichappiness.sas.upenn.edu/Default.aspx
(英語だけど、サイトの右上で日本語を選択できるようになっている。フランス語がないところに国民性の違いを考慮してターゲットを絞っているのが伺える)

 試すようにいわれたのは、VIA Survey of Character Strengths(強みに関する調査)。質問の数、なんと240。答えている途中で、質問の配置の構成が見えてしまい、結果を予想したらまさにそのとおりだった。

 面白いことは面白いけど、ここの結果を真に受けないように、ということを強調しておきます。このような心理学の質問は、いたって相対的なもの。絶対ということはない。たとえばこの質問を作ったのが誰なのか、どのような社会で暮らしているのかによって導き出される結果はかなり左右される。また、今回のように、原文(この場合英語)で作られた質問を他の言語に訳した場合、ニュアンスに差異が生じることを完全に避けることは難しい。
 このようなことは、セリグマン博士はすでに想定済みのことであろうし、考慮したうえで他の言語に訳したのだろうと考える。時間があれば、英語と日本語の両方で試してみても面白いかもしれない。同じ質問でも、日本語で考える自分と、英語で考える自分に違いがあるかもしれないから。

英語に関するあれこれ2:外国語を学ばないイギリス人

2010.11.04
その1(http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1256.html)からすっかり間が開いてしまいましたが、ちょうど11月2日にコラムが掲載されたので、補足というか、本音です。サブ・タイトルは「英語を話せるからって驕るなよ」です。まとまりのない文章・構成になると思います、ご了承の程。

 英語が主要言語の国で勉強し、暮らすことを僕自身が選択したわけですから、英語を話さなければならない、ということを僕は厭いません。話せるようにならなければ何も進まないですから。非母国語である程度学んだのはほかにドイツ語だけで、世界中で話されているであろうほかの言語に比べて、英語を学ぶことがどれほど難しいのか、もしくは簡単なのかはまったくわかりません。
 でも、暮らし始めたころから現在まで、時折イギリス人に対して力強く言い放ちたいのは、「君たち、外国人がどれほど苦労して英語を学んでいるかをもっと理解しろ!」、と。このようなことを言っても、「別に君にこの国に来てほしいなんて僕たち頼んでいないし」といわれるのが関の山です。それでも彼らには、彼らが英語を話せること、かつ多くの外国人が英語を話そうとしていることがどれほど彼らにとって幸運なのかを理解してほしいです。

 偶然、英語が世界の言語の中で偶然にも強力な地位を保ち(この点は「収穫逓増の原理」をご存知だとしっくり来るかもしれないです)、偶然、英語が話される国に生まれ育ち、外国に行っても、その国の人が英語を話そうと、話せるようにと努力しているから外国語を学ぶ必要なんてまったく感じない。
 暮らし始めて最初の数年、よく言われたのは、「君の英語は、僕の日本語から比べたら素晴らしいよ」。最初のころはこれを真に受けていました。でも、あるときを境に気づきました。こんなことを言うイギリス人に限って、日本語を学ぼうとも話したいとも思っていない。外国人がどれほど苦労しようが彼らにとってはまったく関係のないこと。

 暴論ですけど、世界中で多くの人が英語を学んでいるのですから、イギリス人(だけでなくアメリカ人やオーストラリア人等々)全員に気をつけてほしいのは、「外国人が理解できるきちんとした英語を話しなさい」、と。英語を学んでいる外国人が混乱するような使い方はするな、と。言葉は生き物ですから、時代や社会の変化によって変わっていくのは仕方のないこと。このような例もありますし。

http://playsandbooks.blogspot.com/2010/10/says.html

http://www.bbc.co.uk/news/magazine-11639208

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(「トマァト」と普通に発音できるまでに数年を要しました)

でも、「ちょっと待て。ネイティヴ・スピーカーがどうして正しい過去形と、動詞の変化を使わないんだ」とか、「えっ?今、なんて言った?He don`tって何だよ」、とか結構あるんです。それでいて外国人が文法を間違えるとほくそえむ。

 その1で Are you sure?が嫌いと断言しましたが、最近もうひとつ嫌いなのは、「Ta(タァと発音します)」。ご存知の方は多いと思いますが、意味は「ありがとう」です。これに初めて遭遇したのがいつだったかはもはや思い出せませんが、意味を知るまでは、「何だよ、『タァ』って?!」といぶかしく思っていました。今は意味を知っていますし、矢鱈と言われるんですが、「Than youという素晴らしい表現があるのにどうして使わないんだよ!!!Thank youというたった2単語を発音するのがそんなに億劫なのかよ!!!」と。「Ta」なんて俗語を、あたかも地球上のすべての人が知っていて当然という不遜な態度に喝を入れたくてたまりません。
 
 本題にちょっと近づくと。このエントリィとコラムを書くにあたって、イギリス人の友人の何人かに「イギリス人の外国語への態度」について尋ねてみました。少数からの意見ではありますがほぼ全員が、「イギリス人は昔から外国語を学ぶ気なんてまったくないんだよ」、とのこと。
 そのうちの一人が例としてあげたのが、チョーサーの「プレリュード(っていっていたような)」。その中に、ロンドン東部のBowに住むある女性がフランス語を話せるという描写が出てくるそうです。その女性はフランスに行ったことはなく、学んだのはBowで。つまり、女性はフランス語を話せると吹聴しているけど、その「フランス語」が通じるのはイギリスのロンドン東部のBowでだけ。誰もそれがフランス語かどうかもわからないんだよ。イギリス人が外国語に抱く気持ちなんて今も昔もそんなものだよ、とは友人の弁。

 英語と一口に言っても、ロンドンで話される英語、スコットランドで話されている英語、また、アメリカ、カナダ、ニュー・ジーランド、シンガポールと地域によって独自に使われる表現、発音の違いがあることを、英語を母国語にする人たちすべてが知っていなければならない、なんてことは乱暴なないものねだりであることは承知しています。ちなみに、僕の日常生活の中で最も理解しがたい「英語」は、ニュー・ジーランド。もはや、未知の外国語ではないかと感じずにはいられない発音の違いに戸惑うことが尽きません。


(英語を話せないまま「コックニィを話せるようになりたい」というのは愚かなことだと僕は思います。リヴァプールの「スカウズ」も耳に慣れるまではかなりてこずります)

 英語を話せる人たちからすれば、なんて暴論なんだと思うことでしょう。それでも、たまに思わずにはいられません。「英語だけを話していればいい、言い換えれば外国語を学ぶ必要性を理解しなくても済まされる環境にいることがどれほど恵まれているかを、理解してほしい」、と。

 身勝手なことをここまで書き連ねてきていまさらですが、僕自身、不遜な態度をとっていることを感じます。「一言も英語を話せてなくて、どうしてこの国に、ロンドンに来たの?」っていいたくなる機会がたくさんありますから。
 大陸に住む友人たちのことを思うと、僕自身、なんて怠け者なんだと思います。彼らは日本語を話し、暮らしている土地の言葉を話せる。さらに、押し寄せる英語の波を乗り切るために英語も話せる。最近では、パリやベルリンではフランス語やドイツ語を話せなくてもまったく問題ないそうです。このような状況は、イギリス人にとってはますます外国語を学ぶ意味がないことになるでしょう。英語の勢いはとどまる気配がないように感じます。それに倣ったからといわれても仕方ないですが、最近、海外旅行の行き先の選択の第一条件は、英語が通じるかどうか、というていたらくぶり。

 いつもコラムを読んでくれる友人から、日本人は英語へのコンプレックスがあるから、との感想をもらいました。ふと思ったのですが、「英語へのコンプレックス」ってどうしてあるんでしょうか?そもそも、英語を学ぶことへコンプレックスを持つ意味って何なのか、と。
 今の時代に限れば、世界と対峙するのであれば英語を話せたほうがいいでしょう。でも、あえて言えば、使えない英語を延々と教えて、さらにその過程でコンプレックスを増大させるだけの今の英語教育を見直すべきなのではないかと外野は感じます。メディアからの伝聞ですが、海外に出たがらない若い世代に英語を学ばなければならない意味を誰が教えられるのかな、と。

 ごく一部の、言葉を学ぶ才能に恵まれた人たち以外には、外国語を学ぶことは時間もお金もかかるし、そして人生の大半を費やすことになることだと、僕自身、毎日の生活の中で痛感します。一方で、以下のリンクのひとつでも語られていますが、外国語を学ぶことは、自身の知の裾野を広げる、そして身近なことを新しい視線で考えることができるきっかけになるのではと思います。

Britain in language battle over EU civil service exams

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/eu/7866200/Britain-in-language-battle-over-EU-civil-service-exams.html

Why we should mind our languages

http://www.telegraph.co.uk/education/secondaryeducation/7964468/GCSE-results-Why-we-should-mind-our-languages.html

今年のクリスマス切手はウォレスとグロミット

2010.11.02
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 メディアが報道したのがちょうどギリシャに行っていたときだったので見逃していたけど、今年のクリスマス切手が今日、11月2日に発売される。デザインは、ウォレスグロミット

http://www.norphil.co.uk/2010/11a-Christmas10.htm


http://www.guardian.co.uk/culture/2010/sep/21/wallace-gromit-christmas-stamps


http://www.wallaceandgromit.com/


http://www.dailymail.co.uk/news/article-1313817/Wallace-Gromit-appear-Royal-Mail-Christmas-stamps.html


They are multi Academy Award winners and global screen stars, and now Wallace and Gromit will make a special appearance in millions of homes worldwide after signing up to feature on Royal Mail’s Christmas stamps, unveiled today.

Available from 2nd November, the stamps feature the nation’s favourite animated characters going about their Christmas duties with the 1st Class stamp showing the two posting their Christmas cards.

Wallace and Gromit go carol singing on the 2nd Class stamp and dress the Christmas tree on the 60p stamp. As usual, Gromit is left to do the majority of the work, carrying the cards and hauling an unfeasibly large Christmas pudding around on the 97p stamp with his reward being a bone-themed jumper shown on the £1.46 stamp.

Like the duo’s award-winning films, the stamps are packed with detail, but with the added challenge of reducing the ‘World of Wallace and Gromit’ down to stamp size.

To achieve this, Royal Mail’s design team worked closely with Nick Park and Aardman Animations to devise brand new scenes featuring the pair.

The approach to the stamps was similar to how Aardman Animations create a film, with Nick Park drawing scenes and visual jokes involving the characters, before refining the designs so that they would work in a definitive stamp format. Each stamp was then constructed with models, props and background sets – all created especially for the issue.

Nick Park, creator of Wallace and Gromit, said; “It’s been such a wonderful honour and a pleasure to work with Royal Mail and to have my characters, Wallace and Gromit, immortalised on their very own stamps.

“It was one of the biggest challenges my talented team and I have faced yet - to create memorable Christmas images of the duo - the size of postage stamps. But we knew we’d lick it in the end.”

Philip Parker, Royal Mail Stamps spokesperson, said; “The process of developing these stamps has been a labour of love for all concerned – but I think it has resulted in one of the finest sets of Christmas stamps Royal Mail has ever produced.

“Nick and his team’s attention to detail is legendary, but their efforts to bring Christmas with Wallace and Gromit to life on stamps is truly extraordinary. Keen-eyed collectors armed with a magnifying glass will see that the envelope seen being posted on the 1st Class stamp features the actual 1st Class stamp.”

(ロイヤル・メイルのウェブから)

 在イギリスの方には余計な情報だろうけど、日本には97ペンスの切手。ただ、海外向けの切手は結構早くに売り切れることが多いように思う。また、今日郵便局の窓口では、まだファーストデイの手続きができるはず。これを購入すると、特別な消印が押された封筒に張られた切手が届く。
 個人的に、97ペンスはちょっとだけど、1stのデザインはかなり良い。ファーストと60ペンスの組み合わせなら日本に送れるはず。

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