LONDON Love&Hate 愛と憎しみのロンドン

1999年のクリスマス・イヴにロンドンに。以来、友人達に送りつけていたプライヴェイト・メイル・マガジンがもと。※掲載されている全ての文章の無断引用・転載を禁じます。
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自分の中の他人:二つの文化のはざ間で

2011.01.29
日本語を話している映像を撮ってもらう機会があった。自分ではできないけど、助けがあってその映像を家族や遠くにいる友人、そしてイギリス人の友人たちにも送った。そして、イギリス人、また遠くに住む非日本人の友人たちからの反応がとても新鮮だった。曰く、

「I have never seen you speak Japanese. When you were speaking in Japanese, your body language and facial expression were completely different from those when you speak to me in English. You looked like a person who I know for years, but who has not shown me who you are」。

 日本語を全く理解できない人と日本語でコミュニケイションする意味なんてないのだから、彼らに向って日本語を話したことはない。だから、仮に彼らに向って日本語を話したとして、そこに何らかの違いあるだろうなんてことを考えたことなどなかった。
 身体的には、日本語を話すときと英語を話すときの違いにはずいぶん前から気づいている。声帯のどの部位から音が出ているのかの違いは自分には明らかだ。

 英語を話すときの自分。日本語を話すときの自分。他者なのだろうか、本人なのだろうか。一人の体の中で時計の振り子のように二つの文化が移動している。個人の中に異なる文化が存在している、そのようなことだろうか。

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Comment

- かんとく

守屋さん
おはようございます。この違いって、程度の違いはあれ、皆さん一様にあるような気がしますね。例えば、英語を話すと急に表情や身振り手振りがActiveになったり、あと言い方もストレートになりがち(これは言語能力の優劣かもしれませんが・・・)。同じ英語でも、イギリスで暮らしている日本人と、アメリカで暮らしている日本人のビヘイビアも違いがあると思います。アメリカの日本人はアメリカ人の影響か、もっとストレートです。人が環境や言語で大きく影響を受ける証座と思うので、どっちもその人なんでしょうね。
2011.01.30 Sun 07:31 URL [ Edit ]

- 守屋

かんとく さん

 おはようございます。

 ビジネス・コンサルタントをしているスコットランド人からのコメントが面白かったです。

 「英語で話していて言葉を捜しているとき、あなたはいつも視線を上に向ける。でも、何を言っているかはもちろん判らないけど、日本語で言葉を捜しているときには視線をやや下に向けているわね」。

 かんとくさんが指摘されているように、環境や言葉、それに誰に話すかによって自分でも気づかない自分の行動があるんだと思います。
2011.01.30 Sun 09:56 URL [ Edit ]

- ハマちゃん

面白いですよね。
使う言語で人格が変わる、みたいな感覚に陥ること、
確かにあるかも…

知人(日本人)が、スペイン語で話す時はなんとなくテンションが上がって陽気になると言ってましたが、
そういうのも面白いです。
2011.01.31 Mon 10:54 URL [ Edit ]

- 守屋

ハマちゃん さん

 使い古された言い方ですが、言葉・言語というのはツールでもあり、学問であり、文化であり、性格の一部でもあるように感じました。
2011.02.01 Tue 17:26 URL [ Edit ]

- cantalupo

守屋さん
ご無沙汰しております。こんにちは。

イタリア語で話している時は、ものすごくはっきり、そしてできるだけ簡潔に話そうとしています。
以前友人から言われたのは、たいていの日本人がイタリア語で話す時は、日本語を話すよりも高い声で、少し速く話すのに、君の場合はイタリア語になると日本語よりも太い声でゆっくり話すのはなぜ?と。
それはたぶん、日本語で察してもらおうという感覚をイタリア語の時は持たないようにしているからではないかと思いますが・・・ともかくイタリア語で話す時の自分は、とても強い気分です。
2011.02.02 Wed 08:18 URL [ Edit ]

- 守屋

cantalupo さん

 こんにちは。こちらこそ、ご無沙汰しています。

>日本語で察してもらおうという感覚をイタリア語の時は持たない
 面白いですね。思い返してみると、英語を話しているときに、自分では十分な説明をしていると思っていると、「そこがよく判らない」等の突込みがよく入ります。語彙や文法と同じくらい、母国語自体の影響力というのはあるのだということなんでしょうね。

 僕は英語中心の生活になってから、思考回路がかなり簡潔、言い換えるとできるだけ最小限の表現で済まそうという感じになってきています。書き言葉はその限りではないですが。
2011.02.02 Wed 22:35 URL [ Edit ]

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